日本との縁が深い隣国『中華民国台湾』は、魅力にあふれた土地として、近年日本人が訪問する旅行地となった。
そして僕にとっては、台湾にルーツを持つ家内との結婚や、そこで出会った素敵な『茶』を通じて友達もでき、今や第二の故郷と呼んでも良い存在となった。
そこには多くの人が虜になる美味しい物や、それを支える素敵な人々の笑顔がある。
多くの人に台湾への興味を持っていただけたら幸いと考え、その魅力の一片を伝えたくこの連載を始めることにした。
いささか古い話から始めることをご容赦願いたいと思う。(2018年3月 松山猛)
<茶の国に呼ばれて>
松山猛・著『せらみか』(1993年、風塵社刊)
今年になって、春のうちに台湾へ行こうと夫婦で話し合うようになった。最初はアメリカに居る彼女の兄家族や、僕の友だちを訪ねようと計画をたてたのだが、下の娘にはまだ長旅はかわいそうだし、それならばまだ曽祖母に、この子を見せていないからと、台湾行きを考えるようになったのだった。
陰暦旧正月頃は飛行機も宿も、大混乱であるというから、その後の3月上旬に出かけることに決め、切符の手配やらなにやらで、2月はあわただしく過ぎた。しかし台湾へ行くと決めたとたんに、さまざまな考えが湧き、そして楽しい思い出や期待でいっぱいになるのだった。
まずそのひとつは、なつかしい人々の顔とことばだ。妻の伯父伯母たちは、皆温かい人々で、僕はすっかり彼らと仲良くなっているし、彼らから聞く昔話には、興味の尽きぬところがある。戦前の台湾は、日本国台湾県であったわけで、日本人として生きたその人たちの語ってくれる、昔話には、人の心の奥深くに響くなにかがある。
結局のところ政治という怪物に、人間はほんろうされ、転がされる運命にあるわけだけれども、またそんな与えられた国籍などという枷を、透明にしてしまう力を、人の一人ひとりがもっているのだということも、言わずもがなに示してくれる、人間たちがそこにいるのだ。
そして第二の楽しみは、中国各地の料理がその緑したたる島で賞味できること。ポルトガル人がイーラ・フォルモサと、その美しい島影に呼びかけた時代そのままに、台湾は南の海に浮んでいる。