【新連載】松山猛の台湾発見 第1回 <茶の国に呼ばれて>

2018.03.17
時計業界では「時計王」として知られる松山猛氏。作詞家、作家、編集者として幅広く活躍してきた彼は、靴、ギター、カメラ、お茶、骨董品と、幅広い分野に造詣が深い。そんな松山氏を半世紀にわたって魅了し続けている場所が、台湾だ。台湾の一体何が、好事家・松山猛の心をつかんで離さないのだろうか。

日本との縁が深い隣国『中華民国台湾』は、魅力にあふれた土地として、近年日本人が訪問する旅行地となった。
そして僕にとっては、台湾にルーツを持つ家内との結婚や、そこで出会った素敵な『茶』を通じて友達もでき、今や第二の故郷と呼んでも良い存在となった。
そこには多くの人が虜になる美味しい物や、それを支える素敵な人々の笑顔がある。
多くの人に台湾への興味を持っていただけたら幸いと考え、その魅力の一片を伝えたくこの連載を始めることにした。
いささか古い話から始めることをご容赦願いたいと思う。(2018年3月 松山猛)

<茶の国に呼ばれて>

松山猛・著『せらみか』(1993年、風塵社刊)

 今年になって、春のうちに台湾へ行こうと夫婦で話し合うようになった。最初はアメリカに居る彼女の兄家族や、僕の友だちを訪ねようと計画をたてたのだが、下の娘にはまだ長旅はかわいそうだし、それならばまだ曽祖母に、この子を見せていないからと、台湾行きを考えるようになったのだった。
 陰暦旧正月頃は飛行機も宿も、大混乱であるというから、その後の3月上旬に出かけることに決め、切符の手配やらなにやらで、2月はあわただしく過ぎた。しかし台湾へ行くと決めたとたんに、さまざまな考えが湧き、そして楽しい思い出や期待でいっぱいになるのだった。
 まずそのひとつは、なつかしい人々の顔とことばだ。妻の伯父伯母たちは、皆温かい人々で、僕はすっかり彼らと仲良くなっているし、彼らから聞く昔話には、興味の尽きぬところがある。戦前の台湾は、日本国台湾県であったわけで、日本人として生きたその人たちの語ってくれる、昔話には、人の心の奥深くに響くなにかがある。
 結局のところ政治という怪物に、人間はほんろうされ、転がされる運命にあるわけだけれども、またそんな与えられた国籍などという枷を、透明にしてしまう力を、人の一人ひとりがもっているのだということも、言わずもがなに示してくれる、人間たちがそこにいるのだ。
 そして第二の楽しみは、中国各地の料理がその緑したたる島で賞味できること。ポルトガル人がイーラ・フォルモサと、その美しい島影に呼びかけた時代そのままに、台湾は南の海に浮んでいる。

これは筆者が凍頂山の麓で撮影したものだ。楽器を持ち寄っているのは近所に住む人々である。こうして人々が町の集会場に寄り集まり、楽器演奏を楽しんだり、茶を飲み団欒する姿は、日常的に見られる光景なのだそうだ。