松山猛の台湾発見 第2回 <口福を求めていざ>

2018.03.31
台中駅から北東に歩くと「建国市場」に着く。台中の台所のような存在であり、早朝に賑わいを見せる。生鮮食品などを扱う店を中心とした大きな市場であり、細い通路の両側に、肉、魚、野菜などが所狭しと並ぶ。

 台中での楽しい発見は、駅の横の建国市場だった。この巨大な味覚の集積場には、食のすべてが並んでいた。1階建ての建物に、みっしりと並んだ店また店。食用蛙たちは、5匹づつくらい足を一緒にしばられている。市場の娘さんが、その蛙のワタをぬくのだが、それがまたリズミカルな手さばきなのである。息子は内蔵を取られた蛙が、それでもピョンと飛ぶのに驚いていた。
 見たこともない形態の野菜、旬の筍、生きた鶏や鵞鳥、火股(ハム)屋には大きなハムの固りがたくさん下がっている。練物屋には風味のよいイカ団子があり、これは台北で帰る日に買わねばと夫婦で確認する。

 それからの3日間は、台中、彰化、嘉義、大痺と、親戚の家を駆けまわり、夜ごとに心づくしの宴を開いてもらった。
 松山さんは、すっぽんが好きだったねと、すっぽんのスープや煮付けが出る。鱲子(からすみ)も好きだった、そうだ田うなぎもだったと、出るわ出るわ。たいていが10人くらいの席だから、そのにぎやかな雰囲気が、食をすすめてくれるのだろうか。渡りガニも、小ぶりだがおいしい季節だった。そしてなにより、心の通った人々の笑顔が、最高のごちそうなのであることは言うを待たぬ。

 中華料理の素晴しさは、気取りなく、だれもが楽しめる点にある。礼節は安らぎの中にあるのであって、まず作法でがんじがらめにせぬところが良い。子供が騒ごうが、いっこう気にせぬとも良いのは、僕らにはありがたい。なに、子供の大声より、はるかにまわりの卓の大人たちの方が、騒々しく楽しんでいるのだ。夜の食事ともなれば「そわけん」と言う、じゃんけんをやって、負けた方が酒盃の酒を罰として飲む。人々の心は、常に陽気なのである。

松山猛プロフィール

1946年8月13日、京都市生まれ。
1964年、京都市立日吉が丘高等学校、美術工芸課程洋画科卒業。
1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの友人、加藤和彦や北山修と共に作った『帰ってきたヨッパライ』がミリオンセラー・レコードとなる。
1970年代、マガジンハウスの『ポパイ』『ブルータス』などの創刊に関わる。
1970年代から機械式時計の世界に魅せられ、スイスへの取材を通じ、時計の魅力を伝える。
著書に『智の粥と思惟の茶』『大日本道楽紀行』、遊びシリーズ『ちゃあい』『おろろじ』など。