台湾に関する連載の第3回目。今回は、「お茶」を探す旅のはじまりの記憶を辿る。
<まずは茶について知る>
松山猛・著『せらみか』より(1993年、風塵社刊)
台中の3日目は、亡くなった義母のいちばん下の弟さんが、車で彰化近郊のドライブに連れていってくれた。草頓の辺には百果園と呼ばれる山上の公園があって、そこにはあらゆる熱帯果実がたわわに実るという。
僕らは子供たちに、樹になったバナナを見せてやりたかったのだが、まだ季節が早いというので、揚桃(スターフルーツ)園に行くことになった。果実の断面が星形になる果物で、はじめは緑色で熟すと黄色くなる。しごくあっさりした味で水分も多く、蓮霧(レンプ)と共に、春先に出だす独特の果実である。
その百果園の途中、竹林の多い地区を通った。おじさんが車を停めると、そこは金紙を作る工場であった。金紙とは神様にそなえるお金の代用品で、黄褐色の紙に金箔が圧着されている。この金紙が竹を原料とするのだというのをその時はじめて知ったのである。
竹は水に浸けてふやかされ、圧搾され、粉砕され、石灰と混ぜて泥状にしそれを製紙して、さらに金箔を付けるのだ。
その工場のまわりには広場があって、そこには人形芝居の巡回舞台があった。そこにむらがる子供たちの中に、いまだに裸足の子供がいるのを見て、家内が「なんか昔の日本の横丁みたい」と言ったが、実は僕もそのことを考えていたのだった。
草頓への道すがらには香片、いわゆるジャスミン茶の工場があったり、煉瓦工場の大きなキルンがあったりで、はじめて台湾の田舎に来た気がする風景の連続だった。
おじさんたちが言うように、この生活をもっと時間をかけて、じっくりと味わいたいと考えもする。野の花、竹林、木樹の影のひっそりと崩れかけながらも、そのくせ生活の温かみのある家々。それらは、僕ですら知っている、古い日本の風景にどこか似ていて、安らぎをおぼえずにはいられなくなる。