松山猛の台湾発見 第5回 <花蓮にふるさとを感ず>

2018.05.12
台湾随一の絶景ポイントとして知られる太魯閣(タロコ)渓谷。長年にわたり立霧渓(たっきりけい)が太魯閣の大理石を浸食することで、断崖絶壁の渓谷が形成されてきた。特急電車や飛行機を使えば台北からの日帰り旅行も可能となるため、台北からのツアーが組まれることも多い。

 今度の旅では、中国式茶芸に必要な道具をあらかた手に入れるつもりだったし、最もスタンダードな紫砂の茶壷を、ぜひひとつ加えておきたかったのだ。  
 茶壷は少なくとも3種は欲しい。まず5、6人用の凍頂烏龍茶のための物、天霧茶という特別に標高の高い所で作られた茶用もひとつ。それから天霧香片のような、ジャスミン茶用といったぐあいに。
 さらに旅道具風に、持ち歩き可能なセットも作ってみたい。すでに京都で、明治頃の煎茶用の篭は買っておいたから、極小の2人用くらいの茶器があればと、また欲ばりな夢を見てしまう。

 さて、この旅のひとつの目的は、台湾の中央にそびえる、高い山並みを見ながら、旨い茶にめぐりあいたいというものだった。僕は太魯閣の大峡谷をこえた、天祥にある、中国風のコテージで、それが体験できるだろうと考えていた。
 太魯閣は、全山大理石質の峡谷で、どうしてこんな風景がこの世にはあるのか、といった景観の連続であった。もとより世に知られた観光地だが、まさに百聞は一見に如かず。いや そのすごいことったら。
 ところが天祥では、ちょっとした失望を味わった。いわゆるおいしい烏龍茶がなかったのである。賓館の昼食は悪くはなかったが、その後で一服の茶を、と思ったら、あるのはコーヒーと紅茶だけ。まあ、台湾のどこにでも烏龍茶があると考えていた、こちらの見当ちがいであって、だれも責める筋合いでもないのだが、しかし、もしあの美しい中庭で、濃い香気の立つ、一服の良い茶を賞味できたら、もう言うことはなかったのに。

 中国趣味も、けっこうなところまで自分の中で飛躍しすぎていて、どこか深山幽谷の、湧き水のある風景の中に、旅道具をひもといて、おもむろに炭火をおこし、詩を吟じては一服の茶と共に、世の愛を飲み干す気分でいるのだから、根は単純なるかな。

松山猛プロフィール

1946年8月13日、京都市生まれ。
1964年、京都市立日吉が丘高等学校、美術工芸課程洋画科卒業。
1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの友人、加藤和彦や北山修と共に作った『帰ってきたヨッパライ』がミリオンセラー・レコードとなる。
1970年代、平凡出版(現マガジンハウス)の『ポパイ』『ブルータス』などの創刊に関わる。
70年代から機械式時計の世界に魅せられ、スイスへの取材を通じ、時計の魅力を伝える。
著書に『智の粥と思惟の茶』『大日本道楽紀行』、遊びシリーズ『ちゃあい』『おろろじ』など。