アメリカ合衆国歴代大統領から現在のドナルド・J・トランプまで、どのようなブランドがその手首とベストを優雅に飾ってきたのだろうか。
その物語は、マリリン・モンローがジョン・F・ケネディに誕生日のプレゼントとして、"JACK / With love as always / from / MARILYN / May 29th 1962"という銘が刻まれたゴールドのロレックスを贈ったことで一層注目を集めるようになった。大統領はとにかく喜んだが、それがこの女優との親密な関係の証しと世間から見られることを恐れ、当時の補佐官ケネス・オドネルに渡し、「処分する」ように言った。2005年に、その時計とモンローの愛の詩が収められたボックスは12万USドルで落札された。大統領の歴史はこのように、時計好きならきっと誰もが興味を持つであろう時計絡みの話題に彩られているのである。
そこで、アメリカ合衆国歴代大統領と彼らのタイムピースについて知られざる逸話を振り返っていこう。
ジョージ・ワシントン大統領
1788年、ジョージ・ワシントンは新しい時計が欲しいと思い、当時商用でパリにいた、その3年後にフランスへのアメリカ公使となる友人であった、建国の父ロバート・モリスに、自分のために時計を1本パリで購入してくれと手紙を書いた。ワシントンはシンプルなゴールド製ケースで、質が良く、大きくスレンダーな、トーマス・ジェファーソンがジェームス・マディソン用に入手したようなものを希望していた。ワシントンは必要であればもう少し出すと言いながら25ギニーを送った(これはアドルフ・シャピーロ著の「時計師アントワーヌ・レピン」による)。3カ月後モリスは、ジェファーソンからマディソンの時計を作った職人は悪い奴なので、用心した方が良いと警告を受けたという手紙をパリからワシントンに宛てて送った。ジェファーソンは代わりに別の時計師ロミリー(Romilly)の所へ行くことを勧めた。悲しいことに、このロミリーも同類であり、モリスはその旨をワシントンに書き送った。モリスはある商人に、別の良い職人を尋ね、グレグソン(Gregson)という名前を聞き出した。しかしグレグソンも、他のふたりと似たり寄ったりであった。そんな中で、とうとう光明を見いだした。ルイ16世の時計師であり、歴史上の偉大な時計師のひとりでもあるジャン-アントワーヌ・レピンのもとへ辿り着いたのである。モリスはそこで、2本の同じような時計を購入した。1本はワシントン用に、もう1本は自分自身のために。
この2本の時計はいずれも大きくシンプルな鍵巻き式であり、ヴィーギュル脱進機を搭載していた。ワシントンの時計には5378の番号が振ってあり、1935年までワシントンの家族のもとにあった。時計のケースには、エングレービングで"Remontez droit/Tournez les Équilles/Lepine Hger du Roy/A Paris"と刻まれている。
ジョージ・ワシントンは他の時計も所有していた。ひとつは1777年2月の選挙によってメリーランド知事に選出されたトーマス・ジョンソン大佐より贈られたものだ。どこで作られた時計か確認できる痕跡は見当たらないが、スイスのヌーシャテルのシンボルが刻まれている。時計には、"Trenton N.J./Dec.10th 1777/Presented to my Friend/Col.Thos. Johnson of Md./as a Memento/of my great Esteem/Geo. Washington"と刻まれている。
エイブラハム・リンカーン大統領
エイブラハム・リンカーンはウォルサムの時計を身に着けていた。同じモデルは多くの南北戦争の兵士たちも身に着けており、独立宣言に署名をした大陸会議のメンバーにちなみ「Wm. Ellery(ウィリアム・エラリー)」と呼ばれていた。 時計にはシリアルナンバー67613が刻まれており、1863年製であった。このエラリーと言う時計は、高価ではないものの丈夫で、南北戦争の間には広く普及していた。戦争が終わった1865年、ウォルサムが販売した時計の約半分がエラリーモデルであった。リンカーンが選んだ時計がアメリカ製(もちろん合衆国製である。ウォルサムの本社はマサチューセッツのウォルサムにあった)の時計であったのが、単に愛国主義によるものではなかったという事実は興味深い。南北戦争はアメリカの時計会社が、スイスの羨む存在になった時代の幕開けを意味している。なぜならば、アメリカのマニュファクチュールが効率的な大量生産の技術を習得した上に、そこで作られる時計はスイスが誇る時計よりも安価なだけでなく、より高い精度を持っていたからある。
ユリシーズ・S・グラント大統領
1869年に第18代アメリカ合衆国大統領に就任したユリシーズ・S・グラントがどんな時計を持っていたかは明らかではないが、長い間身に着けていなかったことは分かっている。1857年、35歳の時、彼はセントルイス近くで農家としてわずかな成功を糧に生活していた頃、22USドルで時計を質に入れている。伝記小説家のうちのひとりは、それが自身の妻と3人の子供たちのクリスマスプレゼントを買うためだったのではないかと考えている。
ウォレン・ハーディング大統領
14人のアメリカ大統領がフリーメイソンの会員であり、少なくともそのうちのひとりウォレン・ハーディングはそれを証明する時計を所持していた。ハーディングが身に着けていたのは「メソニックウォッチ(フリーメイソンの時計)」と呼ばれるもので、フリーメイソンのシンボルである砂時計やコンパス、フリーメイソンのスクエアなどが描かれた特殊なタイプの時計であった。メソニックウォッチ(メソニック懐中時計とメソニック腕時計の両方があった)のケースは、もうひとつのフリーメイソンのシンボル正三角形の形をしている。これらのケースには、フリーメイソンの全能の目またはプロビデンスの目と呼ばれるものがあしらわれている。ハーディングの時計の場合は、この目はソロモン王の寺院とともに時計のケースバックに配置されており、ケースには"Hiram Watch Inc., 14K, No.145"と刻まれている。ムーブメントにある銘はウォルサムだ。"Hiram Watch Inc."という名前はヒラム・アビフ(Hiram Abiff)という人物の名前から来ており、フリーメイソンの伝説でも中心に位置する人物である。この人物はフリーメイソンのマスターであり、ソロモン王の寺院の建設を指揮した。未熟でフリーメイソンのメンバーに値しない3人の者からフリーメイソンの秘儀を教えるよう尋ねられ、それを拒否した人物としても知られている。また時計には"Swiss HALLMARK/15 jewels movement/Ser. #3364074."とも刻まれている。ハーディングは1920年にフリーメイソンの会員となっており、同じ年に地滑り的勝利で大統領に選出されている。