一葉茶
台北の古くからの目抜き通り、中山北路にある「謝金行」は、良質の骨董品が見つかる店で、台北へ行くと必ず時間を作って立ち寄る場所である。
老主人の謝さんは台湾が暑くなる夏場は、アメリカ西海岸のサンフランシスコに行くという国際派だ。向こうにも彼の骨董の店があるらしいのだ。
あるとき、珍しいお茶を一服さしあげましょうと謝さんが言う。
「これはね、重慶の一葉茶という葉で台湾では手に入りにくい品なんだが、あなたは茶に興味を持つ人だから、知っておかれたほうが良いでしょう」
事務室の棚の鍵のかかる開き戸から、珍品の焼き物でも出すように、御老人は茶の容器を取り出した。
それはかつて見たことのない黒々とした大葉種の茶葉であった。急須にまず、水仙種の葉をいれ、そこに黒い一葉茶の破片を混ぜ、その頂点に1枚大きな葉をのせる。熱湯が注がれると、たちまち不思議な芳香がたちこめる。
まずひと口、口に含むと、どこか漢方薬的な味がする。どのように作られるのかいまだに知らないままだが、それは単純に言葉にできる味ではない。
飲みごこちはなんというか、喉から胃の腑までが、やたらとすっきりする味である。そしてここちよい苦味がある。
葉の色などを見ると、いわゆる黒茶に似ている。広東でよく飲まれる普洱茶と同じような、麹菌の作用によるものかもしれない。
しかし普洱茶にはこのような、やがて爽やかさに変わる苦味はないのである。
その味は強く印象に残った。老人はまた珍蔵の茶を棚にしまい、どこで買えるのかはついに聞けずじまいとなった。
その後は機会がある度に、一葉茶を探してみた。一度などは包装紙に一葉茶と、印刷された茶を見つけたが、その中味は似ても似つかぬ代物だった。
ある日、台北の龍山寺界隈を歩いていて、偶然一葉茶を屋台で売っているのを見た。西南の四川省重慶産ではなく、東北の品らしい。ラベルには「長白山一葉茶」とある。長白山といえば吉林省にある山で、朝鮮との国境になっている所なのだが。しかしその黒々とした茶葉は、まさに探し求めていた一葉茶そのものだった。日本に持ち帰り、軽い発酵の烏龍茶に混ぜて飲んでみたら、謝老人に飲ませてもらった茶とほぼ近い。あらためていろいろな茶が、広い中国には数々あるものだと思った次第だ。
なるほどこの苦味は酷暑のころに良さそうだ。苦味は暑気ばらいの特効薬、そして食欲の素となってくれるから。
1946年8月13日、京都市生まれ。
1964年、京都市立日吉が丘高等学校、美術工芸課程洋画科卒業。
1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの友人、加藤和彦や北山修と共に作った『帰ってきたヨッパライ』がミリオンセラー・レコードとなる。
1970年代、平凡出版(現マガジンハウス)の『ポパイ』『ブルータス』などの創刊に関わる。
70年代から機械式時計の世界に魅せられ、スイスへの取材を通じ、時計の魅力を伝える。
著書に『智の粥と思惟の茶』『大日本道楽紀行』、遊びシリーズ『ちゃあい』『おろろじ』など。