包種茶
包種茶は軽発酵の、いわゆる清茶系に属する台湾茶だ。香り高くさわやかな喉ごしの茶で、飲み飽きることがない。
同じ台湾の中国茶でも、中南部を代表するのが、凍頂、風鳳谷の烏龍茶だとしたら、包種茶は北東部を代表するそれと言えるだろう。
ごくごく軽い発酵なので、茶の色も淡い緑がかった黄色。烏龍茶のそれが黄金色であるのと、きわだって異なる。
昔のおいしかったころの日本の茶にどこか性格が似かよっているかもしれぬ。
主産地は文山というところで、台北の東南の山地にある。雪山山脈の山ふところの一画で、もう少し西には山岳に住む少数民族の町、烏来(ウーライ)があって、湧き出る温泉と共に、観光客にも人気の土地だ。
包種茶の茶葉は、あまり揉みあげずに乾燥させてあるので、細長く仕上がっている。産地の文山では毎年シーズンになるとコンテストが開かれ、これで特等にあたる頭等茶ともなれば、それこそ目をむくような値段がつく。台北の新市街。副都心的な地区に実家のある知人が、ここの選ぶ茶はいつも良いと、連れていってくれた小さな店で、素晴らしい包種茶と出合った。
僕の目当ては、高山茶だったので、若い店主は阿里山の茶をすすめてくれた。
彼は脱サラをして、茶の専門店を持った人で、小さな店であっても、その心意気がみなぎっているのだった。
高山茶の良い物と、凍頂の良い物を比べさせてくれた。一種のテストを受けたわけで、いちおうはそれに当方は合格したのだった。
そのあとに、もう一種飲んでみたら、とすすめてくれたのが、近年めったにこれほどの茶はなかった……と若い主人が言う文山包種茶だったわけだ。
なるほど清い香りだ。淡いのだが深味がある。ああ、久しぶりに本物に出合ったと思った。
ただ値段もそれなりに良く、その日はなんとなく買いそびれてしまった。1斥=600gで3500元。日本円にすると1斥1万8000円であった。 100gで約3000円。昔ならあまり気にせずに買っていた値段なのだった。
また時間があれば立ち寄ろうと考えているうちに、仕事に追われて、気がつけば帰国の日となっていた。その店に行く時間もなく、宿のそばの、かって知ったる別の店で、同じ文山の茶を求めた。これもまた悪くはなかったのだが、この間飲んだお茶に少々後ろ髪ひかれる気分が残ってしまったのだった。
1946年8月13日、京都市生まれ。
1964年、京都市立日吉が丘高等学校、美術工芸課程洋画科卒業。
1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの友人、加藤和彦や北山修と共に作った『帰ってきたヨッパライ』がミリオンセラー・レコードとなる。
1970年代、平凡出版(現マガジンハウス)の『ポパイ』『ブルータス』などの創刊に関わる。
70年代から機械式時計の世界に魅せられ、スイスへの取材を通じ、時計の魅力を伝える。
著書に『智の粥と思惟の茶』『大日本道楽紀行』、遊びシリーズ『ちゃあい』『おろろじ』など。