松山猛の台湾発見/古き善きものと新しき良きもの

2019.03.30

「誠品書店」

1989年に台北で創業した「誠品書店」。現在では台湾各地で約40店舗を展開する同店は、日本への進出も話題になっている。
画像提供:台湾観光局

 英文、中文、そして日本語の書籍を一堂に集めた「誠品書店」は、台北ダイナミズムの核のひとつだ。台湾人は勉強家だが、そのための材料がここにすべて並んでいる。ドイツなどの国際ブックフェアで発注した欧米の書籍や日本の本、雑誌、そしてこの頃印刷やデザインが格段によくなった台湾の本がずらり。
 客層も豊富で、インテリジェント漂う美女美男が、熱心に好みの本を選んでいる。
 ユニークなのは古書部の存在で、そこには英国、フランスの珍本美本が並び、さらに中国の宝と呼べる「四庫全書」数巻があったりするのだ。また子供用絵本の特別室があり、いつもこの書店はにぎわいを見せる。
 地下には、大小ふたつのギャラリー空間があって、新人作家の展覧会の開催中だった。社主の呉清友さんはニュービジネスの旗手のひとり。只今ドイツの見本市へ出張中ということで会えなかったが、相当なアイデアと行動の人と見た。
 書店を中心に、新しい文化を育て、新しい芸術家を送り出そうという姿勢に、台湾の新しい風を感じてしまうのだ。
 誠品書店のスタッフは、みんな若々しく元気が良い。数十年前まで戒厳令があった国とは思えぬ最近の自由化ぶりに彼らは全身を使って対応しているに違いない。近々東京へ出かけ、今様の東京のアート状況を見に行くと言うので、僕も東京のギャラリーやら芸術本のセンター的役割をする書店(例えば神宮前のワタリウム美術館)などの所在について教えてあげた。
 台湾の人々は良くも悪くも歴史的に日本を手本にしてくれるから、なるべく日本の良い部分のエッセンスをこちらとしても伝えたいではないか。
 台北や台中、高雄は驚くべきスピードとスケールで近代化を果していく。同時に物価も上昇して、昔ほど安上りの旅をこちらは楽しめなくはなったが、近頃停滞気味の日本に比べると、そのダイナミズムにこちらも活気づけられるのが面白い。
 駆け足で近代化が始まると、その一方で懐古趣味が現われる。古い市街を探訪する本や古い写真帖の複刻もブームだ。ついつい買いそびれたが、昭和初期位の広告画を集めた大冊の本があって、そこには昔風の美人画なども多く興味をそそられた。
 長く工事を続けている新都市交通システムもやがて走り出す。しかし残念なことに、不思議な雰囲気が魅力的だった中華商場は道路拡張のために取り壊されてしまった。
 この3階建ての市場が何棟も連なる界隈は、その1階の西側が食堂街となっていて、旨い餃子を食べさせる店、刀削麺専門店、ペキンダック屋など、いろいろな庶民的美食が並んでいた。「餃子大王」という店は、軍隊食堂風で、大ぶりの焼餃子がおいしくてよく通った。緑豆が出る季節には緑豆入りの卵が人気で、その素朴な味わいが良かったものだが。
 この店で注文をすると、フロア係の人が、「餃子1客(イーガー)、ビール1本」と大声で調理場に声をかける。すると木霊のようにキッチンから声が返ってくるのだ。
 タイル張りの内装、きちんと備えられた食器や箸、どこかビストロ風のインテリアが良かったものだが。
 もっとも台北のあちこちには、まだまだ屋台街がある。その気になれば北の基隆港へ行くと、海鮮料理屋が並ぶ一画もある。日本語で“サシみ”」なんて書いてあったりして笑えるし、おいしい物が多い。
 今風の美しい食品マーケットもあるけれど、僕は昔ながらの東山水新富市場など、食への飽くなき追究をおこたらぬ欲望がむき出しになった市場を好む。
 きっとこの次に誠品書店へ行ったら、この国、この町の細部を取材した本が並んでいるだろう。台北は今、さまざまな角度から見ても、お洒落な都市へと変身したのだ。

松山猛プロフィール

1946年8月13日、京都市生まれ。
1964年、京都市立日吉が丘高等学校、美術工芸課程洋画科卒業。
1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの友人、加藤和彦や北山修と共に作った『帰ってきたヨッパライ』がミリオンセラー・レコードとなる。
1970年代、平凡出版(現マガジンハウス)の『ポパイ』『ブルータス』などの創刊に関わる。
70年代から機械式時計の世界に魅せられ、スイスへの取材を通じ、時計の魅力を伝える。
著書に『智の粥と思惟の茶』『大日本道楽紀行』、遊びシリーズ『ちゃあい』『おろろじ』など。