INSIDE & OUTSIDE EVOLUTION
(右)マニュファクチュールムーブメントを搭載した新型J12。見た目の変化はわずかだが、ほとんどの構成要素が変更されている。価格も極めて戦略的だ。自動巻き(Cal.12.1)。28石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。高耐性ホワイトセラミック(直径38mm)。C.O.S.C.認定クロノメーター。200m防水。63万2500円。6月発売予定。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
J12進化の本質
「何も変えることなく、すべてを変える」というコンセプトでモデルチェンジされた、シャネルの新しいJ12。見た限り、何も変わっていないように思えるが、内実は別物と言ってよいほどの変容を遂げた。今や、シャネルのアイコンに留まらず、第一級の実用時計に生まれ変わった20年目のJ12。その進化の本質をひもといていきたい。
J12 何が変わり何が変わらないのか?
20年目を迎えて全面刷新されたJ12。そのモデルチェンジに際して、何を変え、何を変えなかったのか?キーパーソンであるアルノー・シャスタンとニコラ・ボーの両氏に、そのポイントと、現在に至るまでのいきさつをすべて語ってもらった。
ヴァンドーム広場に面したシャネルのブティックを最上階まで上がると、隙のない身なりをした、ふたりの紳士が私たちを待っていた。ひとりは、シャネル ウォッチメイキング クリエイション スタジオ ディレクターのアルノー・シャスタン氏、もうひとりは、インターナショナル ビジネス ディベロップメント時計・宝飾ディレクターのニコラ・ボー氏だ。彼らの前には、シルクのような布で覆われた、黒いトレイが置かれている。
私たちを一通り見渡した後、シャスタン氏が語り始めた。「私たちは、何も変えることなく、J12のすべてを変えました」。言葉への反応を楽しむかのように、彼は再び私たちに視線を向け、一拍置いた後、マジシャンのような手つきで、トレイ上の布を取り去った。彼らが言う〝20年目の新しいJ12〞のお披露目である。 トレイの上に並べられたのは4本のJ12。内訳は、黒が新旧2本、白が新旧2本である。シャスタン氏が「何も変えない」と語ったように、トレイ上に鎮座する新旧のJ12は、同じにしか見えない。しかし、子細に見ると、2019年版のJ12は、なるほど以前とはまるで異なる。まずは個人的な話をさせてほしい、とシャスタン氏が語り始めた。「2000年にJ12が発表された時、私は学生でした。新しいクリエイションを見て、一目惚れをしました。つまり、J12は時計に対する新しい見方を教えてくれたのです。その後、あるメゾンでデザインの責任者になり、やはりJ12の革新性を、今度は外から見る立場に置かれました。そして、13年にシャネルに入社することになったのです」
デザイン学校を卒業後、フランスの時計・宝飾ブランドに勤務。2013年、シャネルに入社。「プルミエール」「J12」「ボーイフレンド」「コード ココ」「ムッシュー ドゥ シャネル」などのデザインに携わる。彼の手掛けた時計は、2017年と18年の2回にわたり、ジュネーブ ウォッチ グランプリを受賞した。
入社後、彼は自身が見続けたJ12の全面的な見直しを手掛けることになった。「ジャック・エリュがデザインしたJ12は、シャネルにとってのアイコンであり、ミューズのような存在です。事実、シャネルでは、J12を女性形で呼ぶほどですから。4年前に、そのJ12を新しくするプロジェクトが始まり、私はクリエイションの責任者として、〝オリジナル〞との対決を迎えました。アイコンを変えるのは、大変に難しかった」
対決とは大げさな物言いだが、シャネルの女神に手を付けるのだ。当事者としては〝対決〞という気分になるだろう。「J12を新しくするにあたって、ふたつのオプションが存在しました。ひとつはすべてを変えること。そして、もうひとつは何も変えないこと。対して私たちは、パラドックスを選択しました。何も変えずに、すべてを変えるということです。目標は、J12のDNAを維持して、コンテンポラリーに仕上げることでした。綱渡りのような作業でしたけどね」
見直しを図るため、シャスタン氏のチームは、すべてのディテールをチェックしたという。そして最終的にオリジナルの70%を改めた。変更点はほぼすべてに及ぶが、ベゼルのフォントなどが細身になったほか、リュウズの張り出しは抑えられ、ケースの抑揚はより強調された。簡単に言うと、スポーティーさを抑え、より抑揚の効いたデザインに変更され、というわけだ。加えて、ステンレススティール製の裏蓋は廃され、セラミック製のミドルケースと裏蓋を一体化したケースに改められた。
「2000年から04年まで、シャネルは切削でセラミックケースを製造していました。しかし、それ以降はインジェクション成型に切り替わり、より複雑な形状のケースやブレスレットを作れるようになったのです」
ケース構造が改められた最も大きな理由は、新しいムーブメントを載せたためである。搭載するのは、長いパワーリザーブを持つ自動巻きムーブメントだ。ニコラ・ボー氏が話を引き継いだ。「私たちは良質なムーブメントを求めていました。ただ、すべてを自社で設計・開発するよりも、パートナーを生かせないかと考えました」
基本的に、シャネルは外部パートナーの助力を得て、時計を開発するスタンスを採ってきた。シャネルの自社製ムーブメントを手掛けるローマン・ゴティエ然り、最近資本参加したモントル ジュルヌ然り。今回、シャネルが白羽の矢を立てたのは、2016年創業のケニッシという新鋭のムーブメントメーカーだった。
ISG経営大学院卒業後、リシュモン グループでキャリアを積み、2002年にシャネルに入社。外装を製造するG&F シャトランの拡充を図っただけでなく、J12コレクションを質・量共に充実させ、女性用コレクションも一新した。いわば、シャネル躍進の立役者である。
ちなみに、J12のプレビューに先立つ19年の初めに、シャネルは次のようなプレスリリースを発表した。「シャネルはこのたび、プレステージウォッチブランドとしての地位をより強固にするために、自動巻きムーブメントの新しいマニュファクチュールであるケニッシの株を取得したことを発表します。ケニッシは、高性能で頑強なムーブメントを製造しています。現在はジュネーブに拠点を構えていますが、2021年には、ル・ロックルの新しい社屋に移転する予定です」
ボー氏はさらに続けた。「ケニッシは、チューダーのムーブメントも製造しています。そして現在、ケニッシは自動巻きムーブメントを、ブライトリングにも供給しています。そのケニッシに、シャネルが資本参加したのです。自社製ではないですが、マニュファクチュールムーブメントですね」
チューダーとシャネルの連携によるムーブメントというわけだ。なるほど、J12のムーブメントは、両持ちのテンプ受けやフリースプラングなど、チューダーのムーブメントの要素をそのまま引き継いでいる。「新しいムーブメントには、耐磁性の高いニッケルリンのヒゲゼンマイを採用しました。また、ローターの設計も変えました」(ボー氏)
チューダーとブライトリングで実績を積んだムーブメントを、J12に搭載するというアプローチには感心させられた。弱点を改良してあるため、不具合が起こるリスクは小さいし、量産機のため、価格の上昇はわずかだ。つまり、J12はユニークなキャラクターを変えることなく、第一級の実用機に進化したわけだ。