松山猛の台湾発見/台湾再発見

2019.04.13

ビル群

台中で進む、旧市街の巨大ビル化。
17世紀以来漢民族が移住の拠点とした台南、そして日本統治時代に発展した台北、その中間に位置する台中という都市は今、大発展を遂げようとしている。そこは地形的にも発展の余地を残す平原であったから、東京にも負けないくらいの高層ビル群が建ち並ぶ、台湾市といってよいくらいの可能性を秘めた土地柄となった。さらに高速鉄道の開通により、経済発展の中心ともなりつつあるのだ。
松山猛・著『ちゃあい』より
(1995年、風塵社刊)


台中へ

 台北ばかりが台湾元気島の中心ではない。台湾中部の台中市は、今猛烈な勢いで再開発が進行中だ。山地の多いこの島だが、中部には平野が広がる。昔から農業、商業の中心として、台中市は栄えてきた。
 政治経済の中心台北、いち早く工業都市化した高雄に、一歩遅れをとったとはいえ、台中は昔から台湾の心の故郷のような町だった。中央山脈から流れ出す、大甲渓、大胚渓などの河により、豊富な水量に恵まれ、気候のよさも手伝って、人情は穏やか、まさにラテンアジアのヘソ的ロケーション。
 その台中が今輝いている。旧市街の巨大ビル化が進み、さらに市街地がふくらみ、大型マンションが林立しはじめているのだ。
 洪肇源さんは建設会社の若き重役。その会社「中屋機構」はこの数十年ほどの台中の成長、急成長とともに実力をつけ、台中大改造の一翼を担う会社として伸びた会社である。
 昔の台湾民家は、四合院造りの庭付き平屋か、商業地では騎楼と呼ばれる3階建て程度の店舗兼用住宅が多かったが、再開発地域のマンションはスケールが大きい。そして一戸当たりの面積も、もともと大家族主義の国ゆえに広々としている。
 その上こうしたマンションでは、プールや中庭、リモコンで開閉する電動シャッター付きの駐車場など、素晴らしい設備が常識となりつつあるようだ。
 実は洪さん、筆者の家人の従兄である。彰化市の旧家の長男で、若い頃苦学して建築を学び、そこそこの規模の会社に入社。しかしそれから台中の成長が本格的になった。それとともに、あれよあれよとパワーエリートへの道を歩んだ、シンデレラボーイズのひとり。台中で最も人気のデパート「中友」もそのグループ企業のひとつで、そこには二男の洪肇慶さんがいる。つまり兄弟揃って、台中に活力を与える仕事をしているわけだ。
 台中市の西郊で進められている、第7期再開発地域で、中友が計画中の巨大マンションのモデルルームへ行ってみた。
 黎明路と公益路が交わる、文教地区の隣接に予定されているこのマンションは、「中友生活家」と呼ばれるもので、下層にショッピングセンターやレストラン街を配置し、その上に3棟の住居区がそびえ立つもの。

 中空の屋上にはプールやジム、そして託児所あり、文化教室ありと、そのビル群だけで生活に必要なものがすべて完結している。いわば独立した島のような生活の場だ。
 完成は2年後くらいなのに、もう6割以上売れていて(編中:1995年当時)、赤い紙に金彩で予約した人たちの名前が書かれた札が、巨大なモデルルーム横の販売センターに貼り出されている。
 一戸当たりの面積は最小で25坪。大きいのは45坪。けっこう広いと、溜め息まじりの人も多かろうが、台中あたりだとこれは狭いほうで、70坪とか、中には150坪なんてマンションも多いのだ。国情が違うとはいえ、台湾も島国だ。どこか日本と異なるダイナミズムがあるとしか思えぬ。
 中友デパートも、台湾のライフスタイルの変化を掴み取り、魅力的な商品を並べて大繁盛だ。中国茶や食材など、伝統的な品も充実していてうれしい。
 文人肌の父親洪祖球さんと母親の秀美さんも、今では海外旅行を楽しみ、蘭の花を育てる。新時代台湾を心から楽しんでいるのである。