古き良き台湾
戦前から台湾中部の中心地だった台中とその近郊には、明末清初の時代からの、古い歴史を持つ港町があったり、ちょっと東のほうへ行けば、風光明媚な緑の山地や竹林、そして茶の産地があったりと、見るべきところは多い。
今度の旅では、昔から洪おじさんに一度は行かなければと言われていた、古い港町、鹿港(ルーガン)へ出かけてみた。ここは台湾に福建人が移住を始めた当初からの港で、昔は岸辺に野生の鹿が生息していた浜辺だったとか。
やがてそこで製塩事業が始まり、移民の拠点として町は栄える。鹿港は台中の隣の彰化県に位置し、この彰化、鹿港、台中あたりが、近世から近代台湾の発展をうながす原動力となった町であった。信心深い漢民族は、これらの町に寺院や廟を次々と作り、それらがこの古い町々のアクセントとして残っている。
鹿港の龍山寺、媽祖のふるさと天后宮、そして台中の宝覚寺、彰化の大仏。特に鹿港龍山寺は、もともとの極彩色が風化して味わい深い雰囲気。定年を迎えた年齢の老人たちが、そこここで談笑し、あるいはうたた寝をしていて、しごくのんびりとした時が流れている。
常春、常夏の島ならではの、良い年のとり方の見本みたいな老人を見ていると、どこか取り残されぎみの日本の老人が可哀相に思えてならぬ。
鹿港で忘れてならないのは、古い洋館を使った「民俗文物館」の存在だ。民国8年(1919年)、日本では大正の頃、製塩業等で財をなした辜一家が建てた、ルネサンススタイルの煉瓦造り3階建ての屋敷に当時の文物が展示されている。
ヨーロッパ式の前庭、石畳の中庭のある立派な邸宅で、主人のベッドルーム、そして夫人のそれ、事業家らしく大会議室もあって、それぞれの部屋が当時のまま保存されていて興味深いのだ。中洋折衷様式といえばいいのか、華やかさの中にも渋味のある独特の世界が面白い。
宗教具の展示室の『地獄極楽図』は数枚の絵に分かれて、恐ろしい世界とそこから天国に至る道筋が描かれている。我々が子供の頃に見せられた懐かしくも怖い地獄極楽図に、久しぶりに対面してしまった。
時間の余裕のある元気島への遊覧者ならこれら台湾の古い歴史世界を歩けば、昔の日本によく似ていて、すでに日本から消え去った世界に帰れるだろう。それも今のうちに歩き回らないとやがては新しい時代の波間に消えてしまいそうだ。鹿港の水汲みポンプのある路地裏でタイムスリップを楽しみたい。
1946年8月13日、京都市生まれ。
1964年、京都市立日吉が丘高等学校、美術工芸課程洋画科卒業。
1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの友人、加藤和彦や北山修と共に作った『帰ってきたヨッパライ』がミリオンセラー・レコードとなる。
1970年代、平凡出版(現マガジンハウス)の『ポパイ』『ブルータス』などの創刊に関わる。
70年代から機械式時計の世界に魅せられ、スイスへの取材を通じ、時計の魅力を伝える。
著書に『智の粥と思惟の茶』『大日本道楽紀行』、遊びシリーズ『ちゃあい』『おろろじ』など。