松山猛の台湾発見/元気島に出かけよう

2019.04.27
台湾はラテンアジアではあるまいか。いつそこに行っても元気がもらえる夢の島であるような気がするからだ。その食の世界には中国各地の美味から、台湾で発展した独特の料理があり、そこにかつての日本時代の影響を感じることがある。台湾の人々はよく働き、よく美味しいものを食べ、人生を朗らかに生きるすべを知っている。僕はそんな台湾を愛する。
松山猛・著『ちゃあい』より
(1995年、風塵社刊)

新鮮な魚介類や肉、果物などの生鮮食品のほか、乾物やお惣菜などさまざまな食品が手に入る台北の「濱江市場」。地元の人々の暮らしを垣間見ることができる、松山猛氏が好むスポットのひとつ。


台北近郊

 火山島台湾には温泉がある。ありがたくない地震もあれば台風も襲来する。国土の6割が山地で、3000m級の高山が島の中央にせり上がっており、モンスーン地帯の雨がそこから滝となり峡谷となって無数に流れ出す。
 台湾の風景が変化に富んでいるのは、台北だけにいては分からない。いざ郊外へ、元気島のアウトドアを求めて出かけよう。
 骨董好きなら絶対行くべしは何日かかっても見切れぬほど内容の濃い故宮博物館である。隣の中国式大庭園、至善園も深い緑が心を安らげてくれるだろう。
淡水の町は一種独特の雰囲気があり、昔オランダがこの島を占領していた時代の名残の紅毛城という砦があったり、気の利いた骨董屋が並んでいたりする。淡水河の夕景はなかなかの絶景で昔から人々に好まれている。
 最近ブームタウン化しているのは『悲情城市』のロケ地となった九份の町。もとは金鉱山が発見されて、海を見下ろす山腹に作られ、やがて金が掘り尽くされるとともに忘れられた存在になってしまった町。それだけに悲哀と古き時代の夢が残され、絶好のロケ地となった。やたらと階段の多い町全体がレトロ気分でいっぱいで、昔の台湾の町とはどんなだったろうと、今や老若男女が訪れる新観光地だ。
 ふた昔ほど前、好色日本人が押し寄せた台北のすぐ北、北投温泉は今、台湾人のためのレジャーの地だ。かつての花町の気風はもうなくなり、アウトドア気分を味わいにくる台北人がモンゴリアン・バーベキューや地鶏料理を食べ、温泉卵をパクつく遊楽地となった。戦前からの温泉も相変わらずの人気だが、客の主流は台湾の人。日本人も健康なレジャーを求めて帰ってきてほしいというのが地元の人たちの願いらしい。
 さらに足を伸ばせば、高山族の里の烏来(ウーライ)があり、陶磁器の町の鶯歌(インコウ)がありと、さすがに台北の近くには見るべきところがたくさんあるのだ。