バーゼルワールド2019 前代未聞のクロージング・プレスカンファレンスで感じたこと、考えたことVol.2

ウォッチジャーナリスト渋谷康人の 役に立つ!? 時計業界雑談通信
渋谷ヤスヒト:取材・文・写真 Text & Photographs by Yasuhito Shibuya

 Vol.1ではバーゼルワールドが危機に至った経緯を筆者の経験を交えて解説してみた。では、話をクロージング・プレスカンファレンスでの、バーゼルワールドのマネージングディレクター、ミシェル・ロリス-メリコフ氏が語ったフェアの再生・復活プラン「バーゼルワールド2000+(プラス)」に戻そう。

「言いたいことがあったらぜひ言ってほしい。私たちは皆さんの声を聞いて今後のフェアに反映していく。2020年は、来場者にとっては“新しい体験ができるプラットフォーム”となり、時計関係者にとってはビジネスに役立つミーティングポイントを目指す、新しいバーゼルワールドの最初の年になるが、ホスピタリティのさらなる改善など、われわれは未来に向かって毎年、どんどん改革と進化を続けていく。フェアの出展料をロケーションに応じて10%から30%削減する。デジタル技術を使ったコミュニケーションやプロモーションを強化する一方で、今年使わなかったホール2全体を改装し、中国ブランドのエリアや、若い世代に関心の高いスマートウォッチのコーナーも設ける……。そう言えば、トイレの問題に気づいていなかったのは我々の大きなミステイクだ……」

カンファレンスの冒頭、希望の持てる要素として挙げられたのがこの数字。中国のソーシャルメディアを意識しているのは、スイス時計の輸出額の5割を超える現実を考えると当然だ。

 スイス2大時計フェアを訪れたことのある人なら、おそらく全員がトイレで困った経験があるはずだ。バーゼルワールドの会場であるバーゼル・メッセ、SIHHの会場であるジュネーブのパレクスポ、どちらのメッセ会場も初めて訪れると、なかなかトイレが見つけられない。さらに、トイレまでの距離が遠くて焦る。バーゼル・メッセには、基本的に広いホールの左右の外側にしかトイレがない。そしてパレクスポの場合もブースの外側の地下2階にしかない。建物の構造上、仕方がないはずのこの問題まで何とかしようという姿勢にも、フェアの存続に対する危機感と改革への真摯な態度が見て取れる。

 ところで、盛りだくさんの改革案だが、改革の目玉は何だろうか。

 最大の革新、それはビジネス目的で来るバイヤーやジャーナリストばかりでなく、新作時計に興味のあるコレクターや消費者まで、あらゆる来場者が「来て良かった」と感じる体験を得られる「体験型プラットフォーム」にすることだろう。それはリアルな世界においても、デジタルのヴァーチャルな世界のどちらにおいてもだ。

 メリコフ氏は、自身が20年にわたってプロデュースし、ヨーロッパ最大のテクノ&ダンスのイベントに育て上げた「チューリヒ・ストリートパレード」のように、バーゼルの街全体を巻き込んだ、時計関係者以外の市民にとってもビッグなイベントにしたいと考えているのだと思う。

これが改革の最大の目玉のひとつ。しかし、現実化するには多くの時間と費用がかかるはずだ。

 ところで、質疑応答では「スウォッチ グループをどう呼び戻すのか?」という質問も出た。そのためにフェア終了から間を置かず、このプランを持って彼らの元を訪れることまでメリコフ氏は率直に語った。この場で出たジャーナリストや出展社からの質問は、繁栄にあぐらをかいて何もしなかった事務局の「不作為の罪」を糾弾するものではなく、フェアの将来を心配しての質問、そしてメリコフ氏を応援するコメントがほとんどだった。それはそうだろう。それまでローザンヌで仕事をしていたメリコフ氏に罪はない。彼は前任者の不始末を押し付けられただけなのだ。それもあまりに大きすぎる不始末を。

2019年は、ウブロのカンファレンスとゼニスのナイトイベントに使われただけのホール2.0も、来年は上の写真のように生まれ変わる。

 とにかく、クロージング・カンファレンスで語られたプランは、信じがたいほど盛りだくさんで画期的、というか、あり得ないほど数多く、そのすべてが革命的であった。

 では、それでバーゼルワールドは果たして再生・復活できるのだろうか? 正直、私には分からない。何よりも広げられた“風呂敷”のサイズが、“大風呂敷”どころではないから。実現までのハードルがあまりに険しく、かつ疑わしい超ビッグサイズのものだからだ。

 メリコフ氏が提示する復活・再生プランの中身以上に、バーゼルワールド復活・再生の鍵を握るのは、そして、誰よりも「その生死」を左右するのは、現在も出展している時計界のビッグブランドたちだ。ファッションの世界を見れば分かるように、彼らには独自にイベントを開催できる力がある。それでも彼らが、これからもフェアに留まること。それが、バーゼルワールド復活・再生の必要条件だ。

 ただ、バーゼルワールドの意味と価値は、トップブランドが勢揃いした華麗なステージであるSIHHとは大きく異なる。バーゼルワールドは新作を発表するステージであると同時に、100年を超える歴史的な経緯から生まれた、時計業界の未来を育むミーティングポイント、つまりインキュベーター(孵卵器)としての役割がある。この役割を放棄したら、フェアの意義や魅力は半減するだろう。もしステージとしての価値だけを追求するなら、ステージをスイス最北端、最も便利なチューリヒから約1時間もかかるこのバーゼルを会場にする必然性はない。

 ビッグブランドがバーゼルワールドのこのふたつの役割をどう考え、事務局に何を求めるのか。そして、このフェアとどう関わるのか。バーゼルワールドの未来は彼らの意向や考え方に大きく左右されるだろう。

 万が一、彼らが世界に対して新作を発表するステージにはもっとふさわしい場所があり、ミーティングポイントやインキュベーターとしての機能など自分たちには関係ない。そう考えるなら、彼らは躊躇なくバーゼルワールドから撤退する可能性がある。そうすれば、1917年の「スイス産業見本市」をルーツとする、100年を超える歴史を誇るこのイベントは消滅する。

サステナビリティにも配慮した今年のバーゼルワールドを象徴する、メインホール1.0のゲート前で「バーゼルワールドデイリーニュース」を配るコンパニオンたち。どこよりもフェアの行方を左右するのが、このエリアにある人気ブランドたちだ。

 彼らがバーゼルワールドを見限るのが先か。それとも見限られる前にバーゼルワールドが、彼らにとって魅力的なものに生まれ変わるのが先か。

 フェアの生死を争うこの「待ったなしのレース」はすでに始まっている。パテック フィリップとロレックスは、フェアへの出展契約を更新したと伝えられているが、それがフェア存続の十分な保証になるとは、残念ながら思えない。

 この原稿を書いている2019年4月27日時点でも、すでに各社はさまざまな思惑で動き始めている。まずブライトリングは4月中旬、すでに2020年はバーゼルワールドに出展せず、世界各国で独自のミーティングを行う方針を表明した。しかし、2021年以降については出展を検討しているようだ。

 その一方でジャン-クロード・ビバー氏の後任であるLVMHウォッチメイキングディヴィジョン プレジデント兼タグ・ホイヤーCEOのステファン・ビアンキ氏は、バーゼルワールド事務局のプレスリリースの中で、2020年もLVMHグループ傘下のブルガリ、ウブロ、ゼニス、タグ・ホイヤーが出展を継続することを表明した。ただ、2021年以降については明確にせず、含みを持たせている。

 これまで、ビッグブランド各社と対等か、時にそれ以上の、いわば“殿様”だったバーゼルワールド事務局の立場は180°変わった。フェアをバーゼルの街全体で行われる壮大な、一種の観光イベント化するために、時計ブランドに限らずあらゆる関係者の間を走り回って、話をまとめなければならない。果たして、そんなことが本当に可能なのだろうか……。

 ただ筆者は「もしかしたら、できるかもしれない」と思っている。フェアのマネージングディレクターのメリコフ氏と面識はないし、これまでインタビューしたこともない。だが、クロージング・プレスカンファレンスから2時間後、会場内をたったひとり、「まだ他に改善点はないか?」と探すように、撤収作業が始まった会場内を歩いて回るメリコフ氏の姿を目撃したからだ。

 メリコフ氏なら、彼の情熱と汗をもってすれば、あのプランのいくつかは実現され、バーゼルワールドは復活・再生できるかもしれない。もちろん、ビッグブランド、時計産業全体、そして製薬に次ぐスイス第2の産業である時計産業の未来を考えたスイス政府の協力があれば、の話だが。

 なお現在、このクロージング・プレスカンファレンスはbaselworld.comにおいてYouTubeで公開されている。1時間9分16秒の長さだが、興味のある方はご覧になってはいかがだろう。