フォーマルからインフォーマルへの地平を拓く新機軸
1904年に試作機が作られたとされるサントス リストウォッチは、いわばマルチパーパスウォッチの祖であった。以降、カルティエはそのキャラクターを磨き上げ、後継機たちにユニークなキャラクターをもたらした。それを象徴するのが、薄型の「サントス デュモン」と、交換式のストラップを備えた「サントス ドゥ カルティエ」である。
オリジナルモデルの正統な後継者。非常に薄いケースと、シチュエーションを選ばないディテールを備える。バッテリー寿命約6年のクォーツムーブメントを搭載。クォーツ。LMモデル。SS×18KPG(縦43.5×横31.4 mm、厚さ7.3mm)。3気圧防水。60万5000円。ほかにも、小ぶりなSMモデル(縦38×横27.5mm、厚さ7.3mm)がある。価格56万円。
ヴァル フルリエと共同開発した新しいクォーツムーブメントを搭載することで薄型ケースを実現した。だが、ケースサイドからも分かるように、立体感を増したベゼルが、ドレスウォッチとは異なる印象を与え、ツヤを抑えたストレートなストラップと併せて、現代のサントスがフォーマルからインフォーマルへと活躍の領域を広げたことを象徴する。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
今年発表されたカルティエの「サントス デュモン」は今のトレンドに極めて忠実な時計だ。薄いケースに、カジュアルでもフォーマルでも使えるディテール、そして男女を問わないサイズ感は、まさにメーカーが目指すべきものと言えるだろう。しかし、この時計を単に流行に即した時計と見なすのは早計だ。今やトレンドとなった「インフォーマルウォッチ」。その先駆者こそが、サントス リストウォッチだからである。
サントス リストウォッチは、ブラジルの富豪にして飛行家であったアルベルト・サントス=デュモンの要望により作られたものだ。理由は、飛行中に懐中時計を取り出すことが困難だったため。懐中時計を取り出すには、操縦桿から片手を離す必要があったが、当時の操縦桿は極めて重かったため、片手で操作するのは難しかった。対して、彼の友人のルイ・カルティエは、バックルとベルトを使い、時計を腕に留めるアイデアを提案したという。
ルイ・カルティエが、この時計がどう使われるかを考慮したのは、デザインを見れば明らかだ。サントスのプロトタイプが完成したとされる1904年(資料にその存在が明記されたのは06年である)当時、腕時計といえば、小ぶりで丸いケースに、ワイヤーラグを備えるのが当たり前だった。しかし、サントスは、すでにケースに一体化した頑強なラグを備えていた。おそらくルイ・カルティエは、ワイヤーラグのベルトが外れるのを嫌ったのだろう。事実、ワイヤーラグを備えた初期の腕時計は、第1次世界大戦が勃発すると、簡単にベルトが外れるという問題に直面した。
もっとも、サントス=デュモンは、この時計を普段使いしたに違いない。というのも、彼の写真を見ても、懐中時計を留めるチェーンが見当たらないのである。細身のスーツを好んだデュモンが、わざわざ懐中時計を懐に入れたとは考えにくく、彼はおそらく、カルティエの手掛けた瀟洒な腕時計をどこでも使っていたのではなかろうか。飛行中はもちろんのこと、パーティーでも、あるいは食事の場でもだ。ルイ・カルティエもまた、そう使われることを考えて、サントス リストウォッチを作ったに違いない。
1915年に販売されたサントス リストウォッチ。製作はエドモンド・ジャガーである。1907年に、カルティエはジャガーとコラボレーションを提携。以降、さまざまな傑作をリリースした。細身のストラップが、腕時計黎明期の時計らしい。手巻き。18KYG×PG(縦34.9×横24.7mm)。カルティエ パリ製。
1916年のサントス リストウォッチ。写真から4つのラグがミドルケースに溶接されているのが見て取れる。ルイ・カルティエは、当時一般的だったワイヤーラグの弱さを嫌ったのだろう。手巻き(ジャガー製Cal.126)。18 石。1万8000 振動/ 時。Pt×18KWG(縦34.4×横24.7mm)。カルティエ パリ製。