CODE 11.59 by AUDEMARS PIGUET 完全解析

2019.06.10

QCに重点を置く開発製造の最前線

約7年の開発期間を経て、ついに完成したオーデマ ピゲの新基幹ムーブメント。3針自動巻きの「Cal.4302」と、バイプロダクトとなる一体型クロノグラフ「Cal.4401」が同時進行で開発されてきた。ムービングプロトタイプの完成は約2年前。そこから設計に微調整を加え、インダストリアリゼーションの過程を終えて、ル・ブラッシュの本社工房に設けられた専用ラインでは、生産に拍車がかかっている。組み立て調整の簡便さと、QCの徹底を主眼に置いた、新ムーブメントの実態を見てみよう。

New Movement & Factory

Cal.4302 [New Automatic Movement]

Cal.4302
Cal.4302
高級機然とした仕上げと実用機並みのパフォーマンスを備えたオーデマ ピゲの新基幹ムーブメント。主ゼンマイのトルクを大幅に引き上げたことで、非常に高いテンワの慣性モーメントと、8振動/秒のハイビートを両立させている。直径32.0mm(14リーニュ)、厚さ4.80mm、部品数257パーツ。

Cal.4302

3針自動巻きのCal.4302では、巻き上げ機構そのものがリバーサー式に改められている。写真は組み立て工程のセカンドステップにあたり、ちょうど注油を終えたセラミックリバーサーを組み付けている。MPSと共同開発したこのタイプのセラミックリバーサー(=ワンウェイクラッチ)は、現在もオーデマ ピゲの専用供給部品である。
Cal.4401 [New Chronograph Movement]

Cal.4401
Cal.4401
数千個単位で生産されるマスプロダクトムーブメントとしては、同社初となる一体型クロノグラフ。基本輪列をCal.4302と共有するバイプロダクト機だ。分割されたリセットハンマーや、インダイレクト式のフライバック機構を備える。直径32.0mm(14リーニュ)、厚さ6.80mm、部品数367パーツ。

Cal.4401

3つの積算計を一直線に並べたCal.4401の積算輪列。コラムホイールのすぐ近くに垂直クラッチが置かれている。プル式で作動するリセットハンマーは、ハートカムひとつひとつに対して分割されており、また規制バネもハンマー1本ごとに専用パーツを配置している。非常に複雑な構造に見えるが、実際には調整を簡便にすることが主眼。

 超ロングタームの開発期間を経て、ついに完成に至ったコード11.59。その中で最も多くの時間を要したのは言うまでもなく、搭載されるニュームーブメントである。オーデマ ピゲのムーブメント開発と言えば、超複雑系ムーブメントを専門に手掛けるル・ロックルの「オーデマ ピゲ ルノー・エ・パピ」(以下APRP)がよく知られているが、今回の舞台となったのはル・ブラッシュにある本社工房。2003年から熟成改良を重ねてきたキャリバー3120に代わる新基幹ムーブメント「キャリバー4302」と、数千個といった単位で生産されるマスプロダクトムーブメントとしては同社初となる、一体型クロノグラフの「キャリバー4401」が同時に開発されたのである。3針自動巻きの4302は、新しいロイヤル オークにも搭載されるが、クロノグラフの4401は、現在のところコード11.59が搭載するのみ。ふたつの新ムーブメントは、基本的な輪列設計や巻き上げ機構を共有するバイプロダクトキャリバーである。

セラミックリバーサー

ミレネリー専用のCal.4101に続いて採用されたMPS製のセラミックリバーサー。両方向巻き上げの要となるパーツであり、この部分の強度と信頼性が、自動巻きの性能を左右する。

 両機の基礎設計が始まったのは12年10月。その当時、ル・ブラッシュでムーブメント開発責任者の要職にあったのは、日本人時計師の浜口尚大(現ヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエ)だった。浜口は同年12月にはヴォーシェに移籍しているため、開発の初期段階に携わったのみと思われるが、基礎設計のブループリントが定まる時点では間違いなく管理側の立場にあった。設計の勘ドコロは、たとえパーツ数が多く高コストになったとしても、調整作業が必要となる箇所をできるだけ少なくして、製造の各段階で適切なクォリティを担保すること。それが端的に現れているのが、4401のリセットメカニズムだ。

 12時間積算計、秒積算計、30分積算計を一直線に並べる4401では、極端なことを言えば、一枚板のリセットハンマーをひとつ設ければ事足りる。しかし4401では、ひとつの積算計ごとに独立したハンマーを設けて、個別に調整可能としている。ひとつのハンマーに3つの仕事をさせるより、担当する仕事をひとつに限定してしまったほうが、結果的にパーツ数が多くなったとしても、個別の調整作業はずっと簡潔になる。さらに4401ではプッシャーとリセットハンマーを動かすレバーの間にテコを設けて、リセット動作をプル式に変換しているのだ。リセットプッシャーを押し込んだ際の、節度のある柔らかさも素晴らしい。

 新しい巻き上げ機構について語ってくれたのは、設計開発を引き継いだデベロップマネージャーのルカ・ラッジである。先代のキャリバー3120が採用していたスイッチングロッカー式の両方向巻き上げは、高級機ならではの仕様とも言えるが、歯先が摩耗しやすいことも一方の事実だ。同社ではスイッチングロッカーの歯車にルビーを追加したり、ローター受けをセラミックボールベアリングにするなど、数度にわたる熟成改良を施してきたが、次世代機となる4302では、巻き上げ機構そのものをリバーサー式に改めた。もっとも、リバーサーそのものがアキレス腱になってしまう例は枚挙にいとまがないのだが、4302ではMPS社と共同開発したセラミックス製のワンウェイベアリングを採用して、剛性と信頼性を確保している。なお、このセラミックリバーサーの初採用はミレネリー4101だが、現在もオーデマ ピゲ向けのエクスクルーシブとなっている。

オーデマ ピゲが本社工房を構えるル・ブラッシュの隣町にあたるル・サンティエも、ジュウ渓谷の中では時計関連の工房が多い地域として知られる。その中の工業団地VICにある工房がケース製造の拠点。生産規模だけで言えば、同社ジュネーブ工房のほうが大きいが、コンプリケーションなどの小規模生産品やゴールドケースはすべてジュウ渓谷が担当する。ロイヤル オークとコード11.59に関しては、円柱材(SSの場合は丸棒)のCNC切削から製造がスタート。熟達した9人のポリッシャーによる仕上げ工程を経て、ケースアッセンブリーまでを受け持つ。同工房のポリッシャー全員が、コード11.59を作業可能だが、ロイヤル オークよりも数段難しいと口を揃える。なお、ラグのロウ付けのみ、ジュネーブ工房の担当。

 なお4302/4401では、ムーブメントサイズが14リーニュにまで拡大されたことで、基礎体力が大きく向上している。まず3120の6振動/秒から8振動/秒に振動数をアップして携帯精度を確保。また香箱のサイズが大きくできたことで、約60時間から約70時間にパワーリザーブを延ばしている。現代的なムーブメントとしては標準的な仕様だが、特筆すべきは主ゼンマイのトルクだ。3120に対して約2・5倍のトルクを主ゼンマイに持たせたことで、テンワの慣性モーメントは4・5㎎・㎠から、なんと12・5㎎・㎠にアップしている。テンワの振り角はT0の平姿勢で約300度、立姿勢では約260度。T24での振り落ちもそれぞれ10度程度と少ない。簡単に言えば、かなりの力持ちだ。

 では、実際の製造現場に視点を移していこう。4302/4401のアッセンブリーは、工程を4段階に分けて行われる。4302の場合は、①まず香箱と巻き真、自動巻きへのトランスミッションなどを組み込むファーストステップ、②次に2番車からガンギ車までの輪列を組んでアガキ調整を行い、デクラッチとリバーサーを載せるセカンドステップを経て、③さらにアンクルとテンプを組んで調速を行い、④最後に裏輪列とカレンダーを載せる。4401も同様に4工程だが、①と②をまとめてひとりの時計師が担当し、③セカンドステップが調速、④裏輪列+カレンダーを経て、最後に積算輪列を組み付ける。①〜④までの工程を担当する時計師はローテーションするが、最後の積算計の組み立て調整は、現状、専任の時計師がひとりいるのみだ。

Cal.4302/Cal.4401のムーブメントアッセンブリーは、(作業内容こそ異なるものの)どちらも4工程の区切りを設けて、ステップごとに厳密なQCを受ける。「製造過程の各段階で適切なクォリティを保つことが、一定数以上を生産する基幹ムーブメントでは最も大切な要素」だと、CEOのフランソワ-アンリ・ベアミナスは強調するが、Cal.4302/Cal.4401は基礎設計の段階で、細かな調整を施さなくてもクォリティを保てるような配慮が盛り込まれている。写真左上の時計師が、クロノグラフの積算輪列を組み上げる、現状ただひとりの人物だ。

 アッセンブリー後の歩度チェックは6姿勢。その後、ダミーダイアルと針を組み付けて、カレンダーのクイックチェンジが正確に行われているかをチェックする。ダミーダイアルにはカレンダー表示窓が3カ所設けられている点が面白い。

 エクステリアマニュファクチュールでもある同社は、ジュネーブのサンクロードと、ル・サンティエの工業団地VICにケース工房を構えている。ジュネーブのほうが大規模だが、少量生産品とゴールド素材はすべてVICの受け持ち。コード11.59のケースは必然的に、すべてジュウ渓谷内で作られることになる。ここではブランク材からケースエボーシュを削り出し、9名のポリッシャーが最終仕上げを行い、ケース単体でのアッセンブリー完了までを受け持つ。なお、ラグのロウ付け工程のみ、面白いことにジュネーブが担当しているようだ。

 完成したケースはル・ブラッシュに運ばれ、ムーブメントアッセンブリーが行われていたのと同じ部屋で、ケーシングが行われている。〝エグゾスケレット〞(外側の骨の意味、要するにギプス)と呼ばれるジグでケースを保護しながら、ローターとバックケースを組み付ける。

アッセンブリーが完了したCal.4302/Cal.4401には、デイトディスクの開口部が3つ設けられたダミーダイアルが装着され、デイト表示が切り替わるタイミングチェックを受ける。針回しの時間は約10分間。この際に装着される針は、時分針のみしか機能的に関係がないので、秒針がカウンターウェイトだけのダミーとされている点も面白い。歩度チェックは6姿勢。シクロテストの最中に装着されるローターも、テスト用のダミーが用意されている。製品版のローターが組み込まれるのは、ケーシングされるタイミング。4カ所のラグ穴にネジを通してケースを保持する専用のアクリルプレートは、“エグゾスケレット”と呼ばれるジグ。写真はコード11.59用の専用品だが、オーデマ ピゲでは他モデルでも同様のジグを用いている。