~インダストリアライゼーションとの闘い~
時計産業と密接に結びついた“スイスエナメル”は、世界中にあるエナメル工芸の中でも特異な部類に入るだろう。家内制手工業的に発展を遂げてきたスイスエナメルの技法は、1970年代を最後にその伝承が途絶えてしまったという。現在作られているエナメルの多くは、さまざまな作家たちが独自に研究・復刻させた手法に則っており、その様相は決して一元化できるものではなさそうだ。しかし、そんなスイスエナメルを取り巻く環境の背後にも、インダストリアライゼーション=大規模工業化の波は押し寄せてきている。

三田村優、奥山栄一、吉江正倫:写真 Photographs by Yu Mitamura, Eiichi Okuyama, Masanori Yoshie
鈴木裕之:取材・文 Text by Hiroyuki Suzuki
この記事は 2018年10月発売の11月号に掲載されたものです。

工業史の中に埋もれた技巧再び

エナメルは何処から来て、何処へ向かうのか?
スイスエナメルの技術は、1970年代を最後に一度失われたロストテクノロジーだ。しかし機械式時計の復権とともに再び需要は拡大し、わずかに残ったサプライヤーたちは、長い年月にわたって需要を賄い切れないでいる。高温焼成による“酸化金属とガラス質の化学変化”がすべてであるエナメル工芸の世界に、高度にコントロールされた“大規模工業化”の試みは果たして馴染むものなのだろうか?

2008年ごろに製造されたH.モーザーの「マユ」。まったく同じデザインながら、フルッキガー製のポリッシュラッカーダイアル(右)と、ドンツェ・カドラン製のホワイトエナメルダイアル(左)を揃えた珍しい事例である。ラッカーダイアルが丹念な研ぎ出しによって、しっとりとした艶感を持つのに対し、エナメルダイアルは表面に若干の柚肌を残している。しかし釉薬の焼成でガラス質となったダイアル表面に生まれる独特な映り込みは、エナメルダイアルに特有のものだ。

 「メティエ・ダールをインダストリアライゼーションできるエンジニアを求む」。かつて、スイスの技術者向け求人サイトに、こんな募集告知が掲載されたことがある。矛盾を通り越して、冗談としか思えないような内容だが、募集をかけた当の時計メーカーは真剣そのものだ。ちなみに、この募集告知が言うメティエ・ダールとは、主にエナメルダイアルを指している。1970年代にスイスエナメルの技術は一旦途絶えたが、機械式時計の復権とともに需要は再び増大し、ホワイトエナメルのダイアルを専業的に手掛けてきたドンツェ・カドランのキャパシティを完全に超えてしまった。かくしてエナメルダイアルを求める時計メーカーの一部は、社内にアトリエを設けて自社製造に乗り出すことになるのだが、その試みは必ずしも成功したとは言い難い。老舗のドンツェ・カドランでさえ、歩留まり率は3割にも満たず、仕掛かり品のほとんどが破棄されてゆくという状況を大企業のファイナンス担当が許容するはずもない。急務とされたミッションが生産性の向上だったのだ。

 先の告知記事には、もうひとつ根本的な矛盾がある。それはホワイトエナメルのようなベース部分を、そのままメティエ・ダールと位置付けていることだ。たしかに技巧の限りを尽くしたミニアチュール・エナメル(エナメル細密画)や、さまざまな伝統技法を重層的に組み合わせるヴァシュロン・コンスタンタンやピアジェの作品群、またヴァン クリーフ&アーペルのエクストラオーディナリーなどは、間違いなくメティエ・ダールの名に値しよう。しかし多くの時計愛好家が好むソリッドエナメルは、美術品というより伝統工芸品の部類だ。例えば美濃や阿波、大洲などの手漉き和紙はそれだけで非常に優れた伝統工芸品だが、白紙のままでは美術品や芸術作品になり得ない。これはマーケティングやPRの問題でもあって、ホワイトエナメルの歩留まり率に起因する稀少性を拡大解釈して、それだけでメティエ・ダールだと安易に位置付けてしまった感もある。その促進剤となったのは「グラン フー」という新しい言葉だ。

 直訳で“大きな炎”を意味するグラン フーは、高温焼成エナメル全般を指すのだが、本来は増え過ぎたエナメル代替品に対する皮肉をこめて、一部のエナメル作家たちが使い始めた言葉であった。皮肉の対象となったのは、今から10年ほど前に流行した「コールドエナメル」である。二液混合重合型の熱硬化性樹脂(レジン)を用いて、その表面を研ぎ出すこの手法は、本来は分解修復が不可能な古美術品などに使われたエナメル装飾のリペア技術に過ぎなかった。それがコールドエナメルという言葉とともに、エナメル代替品としての市場価値を得てしまったのだ。さらにこの時代には、ホワイトエナメル地の上から塗料で絵付けを施しただけの細密画なども作られ、これらも本来のものと同様にエナメル細密画として扱われてしまった。マーケティングやPR側の“技術に対する無関心”が最大の罪であることは間違いないが、それに最も反発したのは当の作家たちであった。エナメルならばごく当たり前の“高温焼成”という工程を、グラン フーという新しい言葉を作ってまで差別化せねばならないほどに、紛いモノである“焼かないエナメル”も多かったのである。しかしコールドに対するカウンターパンチでしかなかったグラン フーという言葉は勝手に独り歩きを始めてしまった。その帰結がグラン フーこそメティエ・ダールだという、飛躍し過ぎたマーケティングの論法だ。グラン フーのホワイトエナメルは確かに優れた工芸品だが、やはりそれだけではメティエ・ダールになり得ないはずだ。

 では本来のエナメル工芸とはどんなものであったのか? 本邦の七宝作家である大和順は、作品集『無限の譜』(亥辰舎刊)にこんな言葉を寄せている。「高温を得た時、七宝釉薬は金属との相乗効果に依りオパール状の輝きを放つ……その一瞬をとらえる」。では七宝釉薬とは何かと言えば、同書は「宝石と同等の屈折率をもつ酸化金属性多鉛クリスタル釉薬」と定義している。本稿ではこの七宝釉薬を、“金属釉”として区別したい。スイスエナメルを語る際の要点となるものに、金属釉と陶釉というマテリアルの混在と、技法の違いがあるからだ。

 ついでに言えば、エナメルという言葉自体も、改めて定義しておいたほうが良いかもしれない。スイスで使われるフランス語のエマイユは、古代仏語のエスマルから転訛した「溶ける」の意味だが、英語のエナメルは「何かを覆う素材」という意味であり、厳密には金属性ガラス質に素材を限定していない。そのためエナメル塗料や、エナメル靴のようにも使われている。もちろんここではエマイユの意味に限定したい。

 スイスエナメルが隆盛を極めた19世紀末のジュネーブには、250人もの細密画家がいたと伝えられているが、当時のエナメル工房は、時計産業と同様の“分業制”だったということにも注意を向けておきたい。ベースホワイトを焼く職人、肖像画を描くペインター、さらにはクロワゾネの専門家といった具合だ。ところが現在は、全工程をひとりの作家、または一カ所の工房で完結させなくてはならない。筆者はこの10年間に、さまざまな作家や工房を訪ね歩いたが、その手法はすべてバラバラで、そこに規則性や法則性を見出すことは不可能ではないかと思ったほどだ。これでは「エナメルの善し悪しがよく分からない」という愛好家も増えるはずである。本稿の主役となるエナメルとは、流麗華美なメティエ・ダールではなく、工芸品のソリッドエナメルだ。芸術にルールはなくても、工芸品ならば必ず一定のセオリーが見えてくるはずだ。