ル・コルビュジエとシボレー
ラ・ショー・ド・フォン出身の、ル・コルビュジエと並ぶ有名人は、自動車ブランドのシボレーの創始者ルイ-ジョゼフ・シボレーだ。シボレーは1878年12月25日にグルニエ通り22番地に生まれた(この建物は現存していない)。父親のジョゼフ-フェリシアン・シボレーは時計師だったのだが、息子が10歳にも満たない頃に一家揃ってフランスへ移住している。そのため、シボレーとラ・ショー・ド・フォンは、この街の出身という以外には関連は薄いのだが、彼に敬意を表して毎年9月にはオールドタイマーラリーが開催されている。シボレー通りという番地名も存在し、その通りは近郊の時計産業の中心地のひとつ、ル・ロックルへと続いている。 シボレー通りの端にあるのは、タグ・ホイヤーの社屋だ。本社所在地のここで生産も行われている。近年、同じ建物内に〝360ミュージアム〞もオープンした。まったく新しいスタイルのこのミュージアムでは同社150年の歴史を辿ることができる。とりわけ、モータースポーツとの関わりは濃い内容で興味深い。
世界遺産に認定
スイス時計産業都市の中でも特異な発達を遂げてきたラ・ショー・ド・フォンは、2009年6月に同じく時計産業の中心地である近郊のル・ロックルとともにユネスコの世界遺産に登録された。時計産業と都市機能の共生並びに、この2都市における全時代の産業形態および芸術的手工業がもたらした成果が評価され、認定に至っている。
ユネスコが世界遺産の制度を導入して以来、登録された文化と自然は890種、登録の国は148カ国にも及ぶ(2009年)。ドイツ語圏では、アーヘン大聖堂、シュパイアー大聖堂(ともにドイツ、1978年および1981年登録)、ベルン旧市街、ザンクトガレンのベネディクト派修道院(ともにスイス、1983年登録)、ザルツブルク旧市街、シェーンブルン宮殿および庭園(ともにオーストリア、1996年登録)などがすでに登録されている。ラ・ショー・ド・フォンとル・ロックルのふたつの時計産業の中心地がリストアップされたことにより、工業面からの発達を評価されたことが話題を呼んだのは記憶に新しい。ラ・ショー・ド・フォン市経済局担当官のカロリーヌ・シュラ氏は、これで街のイメージアップが図れると期待している。シュラ氏は1970年代から80年代に多くの時計会社が倒産を余儀なくされ、大量の失業者を出したことから、いまだに多くの人々がラ・ショー・ド・フォンを〝クォーツクライシス〞の犠牲となった都市としか見ておらず、そこでイメージが止まったままになっていると指摘する。氏は今回の登録により、豊かな歴史の中で育まれた時計製造技術と建築物が、90年代以降の機械式時計の復興にも焦点を当てることを導き出し、今日のラ・ショー・ド・フォンを認識してもらえるきっかけになるだろうと分析している。
集落としての黎明期は、ル・ロックルと異なり川がなかったことから発達が遅れたといわれるラ・ショー・ド・フォン。数世紀もの時の流れの中、時計製造や芸術運動などを通して、街にはさまざまな面で我が道を行く気風が醸成された。それはここに生きた先人たちの意思と計画の強さの証でもある。その気概はこれからも変わらず、人々に〝ラ・ショー・ド・フォンらしさ〞を感じさせてくれるに違いない。