ブレゲは毎年6月26日を「トゥールビヨン・デイ」と称して、記念イベントを世界各地で開催している。この日が特別なのは、創業者の時計師アブラアン-ルイ・ブレゲがフランス革命時代の共和暦第9年メシドール7日、すなわち1801年6月26日にトゥールビヨンの特許を取得した日にあたるからだ。2世紀以上を経た今もトゥールビヨンはブレゲの代名詞であり、ブランドの中核をなす最高峰の複雑機構にほかならない。その偉大な伝統を継承しながら、革新的技術を投入して進化を続ける現代ブレゲによるトゥールビヨンの傑作を紹介する。
菅原 茂:文 Text by Shigeru Sugawara
2019年 8月7日掲載記事
現代に受け継がれる不滅の原理と機構
ブレゲ=トゥールビヨンというくらい、発明者とその複雑機構は分かちがたく結び付いている。そして、時代やウォッチメーカーを問わず、これまで世界で作られたあらゆるトゥールビヨンの原点をたどれば、必ずアブラアン-ルイ・ブレゲへと行き着く。
アブラアン-ルイ・ブレゲが発明した「トゥールビヨン・レギュレーター」がフランスで特許登録されたのは1801年のこと。そのアイデアが生まれたのはそれより古く、フランス革命の争乱を逃れてスイスに避難していた1795年の頃だ。実際には研究開発に1795年からおよそ10年が費やされ、実製品として販売されたトゥールビヨンウォッチの数は、彼の存命中に35個しかなかったという。製作が極めて難しい特殊な複雑機構ということもあり、長らく過去の歴史に埋もれていたトゥールビヨンに再び光が当てられるのは1980年代の後半だ。機械式時計の復活に際し、腕時計に搭載する最高峰の複雑機構として、トゥールビヨンが表舞台に返り咲いたのである。プレミアムな時計ブランドとして再生したブレゲにとっても、トゥールビヨンを搭載するハイエンドの腕時計は、由緒正しき原点を語るフラッグシップになった。
トゥールビヨンはもともと立姿勢で携帯されることが多い懐中時計に生じる、重心のずれによる偏差の解消を目的にしたものだ。現在、一般的にはムーブメントの調速を司るテンプにかかる重力の影響を相殺して、安定した精度を実現する複雑機構と説明されることが多い。アブラアン-ルイ・ブレゲが考えたソリューションは、ヒゲゼンマイ付きのテンプと脱進機一式をキャリッジに格納して一定の速度で回転させるというもの。それは巧妙な逆転の発想だ。例えば、静止した時計の中で調速脱進機自体が刻々と姿勢を変えていると考えれば分かりやすい。ブレゲが考案したこの仕組みは、今もあらゆるトゥールビヨンの基本原理である。ちなみに、発明者自身が命名した「トゥールビヨン」という言葉は、フランス語で「渦巻き」や「旋風」を意味する。キャリッジの中で回転する脱進機を、ひとつの中心軸で回る天体系のイメージに重ね合わせ、哲学者デカルトが立てた惑星の回転運動に関する仮説、すなわち渦理論(トゥールビヨン)をこの時計機構の比喩に用いたものと思われる。
現行のトゥールビヨンには、ベースムーブメントが手巻きのものと自動巻きのものがある。手巻きの場合は伝統的な設計で、チラネジ付きテンプは、振動数が毎時1万8000振動のロービートで、核心部にハイテク素材も使われていない。これと好対照を成すのが最新鋭の自動巻きだ。2013年以降に登場した厚さ3㎜の極薄型キャリバー581系は、ペリフェラルローター式の自動巻きで、トゥールビヨン機構には慣性補正スクリューを配したフリースプラングのチタン製テンワと同じくチタン製のキャリッジを用い、そこにシリコン製脱進機とブレゲ式ヒゲゼンマイを備える。その全重量も0.29g以下の超軽量だ。毎時2万8800振動のハイビートで、新開発のハイエナジー香箱と相まって約80時間ものパワーリザーブを実現する。ブレゲ史上初づくしの画期的な新世代トゥールビヨンムーブメントが今、傑作の系譜を充実させるパワフルなエンジンになっている。
Classique Tourbillon Extra-plat Squelette 5395
2019年の最新モデルとして発表されたのは、厚さ3mmの極薄型自動巻きトゥールビヨンムーブメントに極限までオープンワークを施したスケルトンモデル。画期的なCal.581系の特徴を成す新方式のトゥールビヨン機構やハイエナジー香箱、ペリフェラルローターなどの構造があらわになり、繊細なギヨシェ彫りや彫金の装飾、面取りなど、ブレゲ・マニュファクチュールの職人による熟達のメティエダールも見どころになっている。
すべてがあらわなスケルトン仕様ゆえにムーブメント部品には細部の細部にまで完璧な仕上げが施されている。手動のギヨシェ彫り機で、ごくわずかなスペースに施されたクル・ド・パリ模様や、全体にわたる正確無比な面取りは圧巻だ。自動巻き(Cal.581SQ)。33石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約80時間。Pt950(直径41mm)。3気圧防水。予価2605万円。
傑作ムーブメントの全貌が一望のもとに
これまでもブレゲは、手巻きトゥールビヨンムーブメントをスケルトン化したコンプリケーションを発表しているが、今回は従来のスタンダードな手法を超える野心的な試みだ。現代的なアレンジによる初の全面スケルトン仕様のトゥールビヨンである。 ブレゲが選んだムーブメントは、厚さわずか3㎜、自動巻きトゥールビヨンでは世界最薄のひとつに数えられるキャリバー581系。通常のプレートやブリッジに相当する部分は、スケルトン化に際しての耐久性や、加工と装飾のしやすさ、ブレゲ・ブルーに映える色合いなどの諸条件を考慮して18Kゴールドで作られている。驚くべきはムーブメント素材の約50%も削減するという限界ギリギリの設計になっている点だ。結果は大成功。ご覧のように、ムーブメントの片側の大半とトゥールビヨン全体がすかっと抜けていて実に見通しが良い。サファイアクリスタルに印字されたローマ数字とインデックスも、メカニズムの眺望を妨げない。 ケースバックからの眺めもまた格別である。ムーブメント外周のペリフェラルローターや、約80時間パワーリザーブの動力を供給するハイエナジー香箱、輪列からの動力をキャリッジの外側から得るブレゲ独自のトゥールビヨン機構など、極薄型ムーブメントの実現に貢献した核心部の構造があらわになり、作動の仕組みも一目瞭然。2013年のプレビュー以来、注目を浴びてきたキャリバー581が到達したひとつの究極の姿がスケルトン仕様の581SQであり、時計愛好家には興味が尽きないだろう。
Classique Tourbillon Extra-plat Automatique 5367
一見、何の変哲もないシンプルウォッチ。ブレゲ数字をあしらったグラン・フー・エナメルのホワイトダイアルにトゥールビヨンが置かれたフェイスの印象は、ミニマムな美学が際立つ極薄型自動巻き「クラシック 7147」に通じるものがある。しかし、外見とは対照的なのが、その中身。右ページのスケルトンモデルと同様、厚さ3mmの極薄型自動巻きムーブメントCal.581は、ブレゲの先端技術が凝縮されたトゥールビヨンの最新鋭機なのだ。
ブレゲ数字が並ぶグラン・フー・エナメルダイアルは、メインダイアルがやや11時側に寄ったオフセンターのデザインが特徴。トゥールビヨンのブリッジにブルーのスピネルを配し、ケースバックから見えるムーブメントには贅沢な彫金装飾を施す。自動巻き(Cal.581)。33石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約80時間。Pt950(直径41mm)。3気圧防水。1752万円。
コンプリケーション初のグラン・フー・エナメル
ブレゲの「クラシック」コレクションのダイアルは、基本的に2種類に分けられる。ゴールドやマザー・オブ・パールのプレートに手動のギヨシェ彫り機でさまざまな模様を刻み込んだタイプか、高温の炉でエナメルを焼成したタイプのどちらかだ。ギヨシェ彫りもエナメル仕上げも、アブラアン-ルイ・ブレゲ時代の懐中時計をルーツとする典型的な技法であり、現代に受け継がれる重要なデザインコードにほかならない。 グラン・フー炉焼きエナメルのホワイトダイアルが極薄型の自動巻きトゥールビヨンに採用されたのは、この2018年発表の5367が初だ。ブレゲのコンプリケーションでは長らくグラン・フー・エナメルのダイアルが待望されていたが、それが初めてこのモデルで実現したのである。
ブレゲは、キャリバー581を搭載し、ピュアなミニマムデザインを際立たせるために、以前のモデルに備わっていたパワーリザーブ表示を取り除き、ホワイトエナメルダイアルをブルースティールのブレゲ針とトゥールビヨンのみで構成した。静謐な純白の美で視線を引き付ける5367のフェイスには、ギヨシェ彫りとはまた違う上質な気品が行き渡り、アブラアン-ルイ・ブレゲの全盛期に腕時計のトゥールビヨンがあったなら、このようなモデルも作られていたかもしれないと思わせる逸品に仕上がっている。基本的に同じムーブメントを用いながら、メカニズム全開の右のスケルトンに見られる〝動の世界〞とは好対照を成す、奥ゆかしい〝静の世界〞を創り出している。