「垂直クラッチ」+「自動巻き」
1969年にリリースされた3つの自動巻きクロノグラフ。その中で、最も後世に影響を与えたのは、間違いなくセイコーのCal.6139だった。そのコンパクトな自動巻きと、ストップウォッチの計測精度を高める垂直クラッチ、さらに高級クロノグラフに広く普及しているコラムホイールの組み合わせは、今や、多くのメーカーが好んで採用するものだ。69年を語る上で、決して欠かせないCal.6139。その成り立ちと与えた影響を改めて振り返りたい。
1969年5月に発売された、世界で初めての量産型自動巻きクロノグラフ。61系自動巻きをベースに、垂直クラッチを合わせてクロノグラフ化したものである。クロノグラフ秒針をセンター秒針に見立てたため、秒針は省かれている。70年には12時間積算計を追加したCal.6138も加わった。自動巻き(Cal.6139A)。21石(後には17石使用もあり)。2万1600振動/時。SS。70m防水。セイコーミュージアム所蔵。
広田雅将:文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
1940年代以降、多くの時計メーカーが実現を夢見た自動巻きクロノグラフ。しかし、レマニアの名設計者だったアルバート・ピゲは否定的だった。曰く「自動巻きクロノグラフを作ろうと思ったら、ケースの厚みは2倍に増してしまう」。巻き上げ効率を上げるには自動巻き機構を大きくするほかなく、クロノグラフに12時間積算計やストップレバーを盛り込みたかったら、やはり大きなスペースが必要となった。自動巻きクロノグラフを作るには小さな自動巻きとクロノグラフ機構が不可欠だったが、その出現は1969年まで待たねばならなかった。
薄型自動巻きムーブメントのCal.61系に、垂直クラッチと30分積算計を加えたムーブメント、Cal.6139。テンプが両持ちに改良されている。汎用自動巻きムーブメントとして設計されたこの61系ムーブメントは、大幅なモディファイを受けてグランドセイコーにも採用されたほか、後には自動化ラインでの製造にも対応するようになる。外径27.4mm、厚さ6.5mm。
64年に手巻きの「クラウン クロノグラフ」を完成させた諏訪精工舎(現セイコーエプソン)の大木俊彦氏は、続いて新しいクロノグラフの開発を任された。彼がそのベースとして設計した薄型自動巻きの61系は、「61ファイブスポーツ」に採用され、大ヒットとなった。それを受け、大木氏はいよいよ自動巻きクロノグラフの設計に着手した。
当時の諏訪精工舎は自動巻き機構に、爪でゼンマイを巻き上げるマジックレバーを採用していた。巻き上げ効率に優れ、部品点数が少なく、コンパクトなマジックレバーは、自動巻きクロノグラフにはうってつけだった。そこに小さなクロノグラフ機構を組み合わせればよいのだ。
(中)センターセコンド輪列を持つ61系ムーブメントをベースにした時点で、垂直クラッチ(摩擦車式)の採用は必然であった。上中の写真は、4番車の上に置かれた垂直クラッチ。写真の上方に見えるのは、秒クロノグラフ車と30分積算車のリセットハンマー。クラッチの上下にわずかに見える突起は、垂直クラッチを持ち上げるクランプである。
(左)斜め上から見た垂直クラッチ。1964年の時点で、セイコーは複雑なハートカムさえも、プレスで打ち抜いて成形していたことが分かる。
ほとんどすべての機械式クロノグラフは、1分間に1回転する4番車にクラッチを噛ませて、クロノグラフ機構に動力を分岐させる。普通、4番車は巻き真の対極にあり、中心に置かれた秒クロノグラフ車に噛み合わせるには、水平方向にスライドするクラッチを持つ必要がある。しかし、4番車が中心にある61系自動巻きには、既存のクロノグラフのような水平クラッチは載せられない。そこで大木氏は、4番車の上に直接、クロノグラフを動かすためのクラッチを重ねてしまった。彼が狙ったかは不明だが、縦方向に動く垂直クラッチは、水平クラッチに比べて明らかにコンパクトだった。
「かなり苦し紛れでしたね。問題は(4番車の)回転方向にはたわまず、離したときに弱くなるバネは存在しなかったこと。そこで(垂直クラッチ用に)特殊な皿バネを考案した」(大木)。69年、諏訪精工舎はマジックレバーと垂直クラッチを持つ自動巻きクロノグラフムーブメント、キャリバー6139を完成させた。同年5月21日にはセイコー「61ファイブスポーツ スピードタイマー」として正式に発売された。発売時期からすれば、間違いなく世界初の量産型自動巻きクロノグラフであった。
しかし、より重要なのは、キャリバー6139の歴史的な意義である。80年代半ば、スイスのフレデリック・ピゲは、薄型自動巻きクロノグラフのキャリバー1185に、6139の皿バネ垂直クラッチを改良した上で採用した。続く各社がこの設計を模倣することで、セイコーの垂直クラッチは、自動巻きクロノグラフの世界標準となったのである。
この伝統を今に受け継ぐのが、2019年に発表されたふたつの自動巻きクロノグラフである。「セイコー自動巻クロノグラフ 50周年記念限定モデル」と「セイコークロノグラフ 55周年記念限定モデル」は、いずれもセイコーインスツル製の自動巻きクロノグラフ、キャリバー8R48を搭載する。マジックレバーを載せた自動巻きの6R系の文字盤側に、垂直クラッチを搭載したクロノグラフモジュールを重ねたものだ。
セイコー自動巻クロノグラフ 50周年記念限定モデル SBEC005
12時間積算計付きの2カウンタークロノグラフCal.6138をモチーフにした自動巻クロノグラフ 50周年記念限定モデル。高級ラインらしく、極めて立体的なボックス型サファイアクリスタル製風防を持つ。自動巻き(Cal.8R48)。34 石。2 万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。SS(直径41mm、厚さ16mm)。10気圧防水。世界限定1000本。38万円。2019年12月7日発売予定。
上モデルのデザインモチーフとなったのが1970年に発表された通称「パンダ」。ベゼルレスデザインや細い針とインデックスは、1970年代のデザインに先駆けていた。自動巻き(Cal.6138B、ムーブメント径27.4mm、厚さ7.9mm)。23石。2万1600振動/時。セイコーミュージアム所蔵。
1964年に発売された、セイコー初の腕時計クロノグラフ。設計者は諏訪精工舎の大木俊彦氏。彼は書籍だけを参考にして、本作を完成させた。キャリングアーム式の水平クラッチとコラムホイールを持つオーソドックスな設計である。手巻き(Cal.5719A、ムーブメント径27.6mm、厚さ6.1mm)。21石。1万8000 振動/ 時。SS。セイコーミュージアム所蔵。
セイコークロノグラフ 55周年記念限定モデル SARK015
クラウン クロノグラフのオマージュモデル。基本的な構成は右ページのSBEC005に同じ。ラグの上面に施されたザラツ研磨も同様である。しかし、クラウン クロノグラフに同じく、ボックス型の風防が与えられたほか、文字盤の筋目も強調されている。自動巻き(Cal.8R48)。34石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。SS(直径42.3mm、厚さ15.3mm)。10気圧防水。世界限定1000本。35万円。2019年12月7日発売予定。
そもそもセイコーが垂直クラッチを採用した理由は、クロノグラフ発停時のトルクロスを低減し、かつクロノグラフ作動時の針飛びも抑制することで優れた計時精度を得ることを目指していたからだ。その先見の明こそが、世界初の量産型自動巻きクロノグラフの開発に結び付いたと言える。加えて、垂直クラッチは水平クラッチに比べてクロノグラフ機構を小さくできるというメリットがあることも忘れてはならない。
コンパクトな自動巻きと垂直クラッチの組み合わせで、現代自動巻きクロノグラフの祖となったキャリバー6139。もしこのムーブメントがなかったら、自動巻きクロノグラフの歴史はまったく違ったものになったのではないか。