時計の賢人たちの原点となった最初の時計、そして彼らが最後に手に入れたいと願う時計、いわゆる「上がり時計」とは一体何だろうか? 本連載では、時計業界におけるキーパーソンに取材を行い、その答えから彼らの時計人生や哲学を垣間見ていこうというものである。今回話を聞いたのは、東京・自由が丘駅前に高々と立つ昭和7年創業の時計店、一誠堂 代表取締役社長の川邊俊太郎氏だ。川邊氏が挙げた原点時計はシチズン「クロノグラフ チャレンジタイマー」、「上がり時計」はハリー・ウィンストンの「プロジェクト Z」である。その言葉を聞いてみよう。
川邊 俊太郎
東京都世田谷区生まれ。昭和7年に自由が丘駅前で創業した一誠堂の3代目社長。学生時代に海外へ留学したのち、一誠堂の取扱商品でもある眼鏡について学ぶために眼鏡学校で学び資格を取得。一般企業で実務を積み、昭和60年に一誠堂へ入社、平成19年より現職。なお一誠堂の創業は昭和7年であるが、ルーツは明治10年にさかのぼる。石川県出身の初代が上京して日本橋で眼鏡の輸入品取り扱いを行ったのがそのはじまりであり、3代目のころから自由が丘に移り、眼鏡のほかに時計や宝石の取り扱いも行う一誠堂が開店した。なお同店の外観はヨーロッパの視察でインスピレーションを得た2代目の思いを映したデザインであり、店舗からほど近くで展開する「一誠堂美術館」ではアール・ヌーヴォー期のランプなどを展示してその世界観を伝えている。
原点時計はシチズン「クロノグラフ チャレンジタイマー」
Q. 最初に手にした腕時計について教えてください。
A.中学校へ上がるころ、入学祝いで両親にシチズン「クロノグラフ チャレンジタイマー」を買ってもらいました。当時はクロノグラフとは何か知りませんでしたが、クロノグラフやタキメーター、日付といった表示があれこれと盛り込まれた文字盤や、2本の角のデザインが男子心をくすぐられて、自分でリクエストしたものです。一誠堂が現在のように6階建てになったのは昭和45年のことで、それから何年後かのまだ新しい店内での記憶です。今も自宅にあります。ずっと金庫に入れっぱなしですが、オーバーホールしてまた着けてみようかな。この取材でいろいろな思い出が懐かしくよみがえりました。
「上がり」時計は、ハリー・ウィンストン「プロジェクト Z」
Q.いつしか手にしたいと願う憧れの時計、いわゆる「上がり時計」について教えてください。
A.振り返れば人生の節目ごとに時計を買ってきました。ブランドもさまざまですね。大学卒業祝いには、小遣いとアルバイト代を貯めてロレックスの「サブマリーナー」を、30歳を迎えるころには18金ゴールドの「オイスターパーペチュアル」を買いました。子供の結婚式にはシャネルの日本社長が来賓で来てくださいましたから、そのときには妻と揃いで購入した「ボーイフレンド」を着けてお迎えしました。50歳のときにはカルティエ「ベニュアール」です。これは共用で着けたいという妻のリクエストで、白いストラップでLMサイズのダイヤモンドベゼルのものを選びました。今はもうじき還暦を迎えますから、「ちゃんちゃんこ」ならぬ赤い腕時計が欲しいなと思い、ちょうど探しているところです。デザインとしてはハリー・ウィンストンの「プロジェクト Z」シリーズがかっこいいなと思っていますが、あいにくこれはブルーカラーで展開するモデルですね。もしこれに赤色が加わればすぐに選ぶことでしょう。いずれにしても2020年のバーゼルワールドは、そんなことで自分の時計探しも楽しんでしまいそうです。
あとがき
人生の節目に腕時計を買うという楽しみ方を体現する川邊氏。それは自分のもののみならず、家族に対しても同様だ。例えば男の子のお孫さんが生まれた際にはオメガ「スピードマスター」を購入されたという。「これは孫が二十歳になったときにプレゼントするつもりです。それまで新品のまま、金庫に保管しておきますよ」。ほころぶ表情に、未来の幸せな1シーンがすでに目に浮かぶようだ。