ジュエラーによる腕時計の先駆者であるカルティエは、いまでは真のマニュファクチュールとしての道を歩んでいる。普遍的な設計思想の伝統を守りつつ、革新的に進化し続けるコレクションの魅力に触れてみよう。
カルティエについての基礎知識
時計産業において伝説とされるコレクション「タンク」を作ったカルティエ。宝飾メゾンとしてのみならず、優れた時計を世に送り出す時計メーカーとしての認知度も高い。
時計メーカーとしてのカルティエについて見る前に、まずはカルティエの歴史を紹介しよう。
諸国の王侯貴族も愛した名門ブランド
カルティエは、ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)が1847年に創業したフランスの高級宝飾メゾンである。1853年にはパリにジュエリーブティックを開き、そのわずか6年後にはフランス皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニーを顧客とした。
3代目であり、孫のルイ・カルティエの時代にまると世界的なジュエラーとして名を響かせ、1939年までに15カ国から王室御用達の特許状を受けるに至った。現在、これらのうち9王室の紋章がパリ本店の入り口左右に掲げられている。
英国王エドワード7世(1841-1910)が遺したとされる「宝石商の王であるがゆえに、王の宝石商」という言葉が、その功績を象徴するものとして有名だ。
ジュエリーからペンまで幅広く手掛ける
カルティエは、宝飾メゾンとして世界五大ジュエラーに数えられるが、手掛けるのは宝飾品ばかりではない。
カルティエが他のジュエリーブランドと一線を画しているのは、豊富なメンズコレクションを揃えている点にある。
三代目であるルイとピエール、ジャックの三兄弟は男性向けの洗練されたアクセサリーを数多く生み出している。シガレットケース、ライターなどは、ルイの本拠地であるパリのほか、ピエールとジャックが経営を任されていたロンドン、ニューヨークでも取り扱い、王侯貴族だけでなく、企業家のファンの獲得が進んでいく。
いまでは豊富なモデルを揃えるレザーグッズを中心として、筆記具、ライター、サングラスなど、幅広いアイテムをラインナップしている。
古参の時計ブランドとしての一面
カルティエは先進的な設計思想を発揮し、時計製造の歴史を語る上で欠かせないメーカーでもある。
そのきっかけとなったのが三代目のルイ・カルティエだ。彼が経営に携わるようになって以来、独自のデザインに取り組み、時計制作に注力してきた。
だがそれ以前も腕時計をつくっており、カルティエ初の腕時計として登場するのは1888年のことだ。ブレスレットにダイヤモンドを配した女性用のブレスレットウオッチである。懐中時計が主流だった当時、女性にとって時計は美しきジュエリーであり、現在のような“腕時計”とは別なスタイルを持っていた。
こうしたジュエラーとして培ってきた金属加工の技術はカルティエの強みといえる。たとえば当時のジュエリーの台座はシルバーが使われていたが、扱いやすさの反面、酸化により年月が経つと黒く変色してしまうため、見栄えが悪くなるという弱点があった。そこでカルティエが他社に先駆け、1900年に採用したのがプラチナだ。
銀の融点は961.93℃、金は1064℃に対して、プラチナは1772℃と高く、そのため成形には高い技術が必要になる。この技術は宝飾時計の製作でも使われている。またジュエリー製作で培われた金属加工技術力を時計製造でも発揮され、1909年、カルティエは「デプロワイヤント バックル」における最初の特許を登録している。
※融点は「化学小辞典」(三省堂)より