時計経済観測所 / 香港での時計販売減少が、日本にプラスに働く?

2019.12.08

長年、スイス時計の輸出先として世界の頂点に君臨し、高級時計の消費を牽引してきた香港市場が変調を来している。今年の6月以降に激化した「逃亡犯条例」改正案への大規模な抗議活動がその主因だが、改正案が撤回された9月以降も、抗議活動は収束の兆しを見せていない。気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が、香港における一連の抗議活動が日本の高級時計市場に与える影響について分析・考察する。

磯山友幸:取材・文 Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト


香港での時計販売減少が、日本にプラスに働く?

 高級時計の一大需要地である香港で続く抗議活動が、経済に影を落とし始めた。犯罪人を中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」の改正案を引き金に抗議活動が始まったが、週末を迎えるごとにデモは過激さを増した。抗議に参加した学生らが空港を占拠して航空便が欠航する事態も起きた。香港行政長官は、9月に入って、逃亡犯条例の改正案を撤回したが、それでも抗議活動は収まる気配を見せていない。

長引く抗議活動の香港経済への影響

 長引く抗議活動によって、香港経済にも深刻な影響を与え始めている。4〜6月期の香港域内総生産(GDP)は前期比マイナス0.4%で、空港の度重なる閉鎖などが起きた7月以降も回復の見込みは薄く、7〜9月期もマイナス成長となるのは確実な情勢。2期連続マイナス成長で「リセッション(景気後退期)」入りは避けられない見通しだ。

 空港閉鎖や市内交通のマヒなどで香港を訪れる旅行者が激減。宿泊や外食、小売りといった観光産業に大打撃を与えている。香港政府が8月30日に発表した7月に香港を訪れた観光客数は519万人と前年同月比4.8%減少。7月の小売売上高は11.4%減少した。8月の観光客数は「40%近く減少した」と政府高官が明らかにしている。免税品を求めにやってくる観光客の激減は、高級品の売上減少に直結している。

 中でも高級時計への影響は深刻だ。スイス時計協会の集計によると、スイスから香港向けのスイス時計輸出額は、4月以降5カ月連続で前年同月比マイナスとなっている。特に抗議活動が大規模化した6月には輸出額は前年同月比26.8%の減少となり、スイスからの輸出先として長年トップを続けてきた香港が、6月単月は米国に抜かれて2位になった。7月は1.3%減と持ち直したものの、8月は12.7%減と再び大きなマイナスになり、米国向けを下回った。

 同協会の統計で、1〜8月の累計数字を見ると、香港向けは18億7380万スイスフラン(約2030億円)と、前年同期間を6.4%下回っている。中国本土向けが14.0%増、日本向けが23.6%増、シンガポール向けが11.9%増と、軒並みアジアが好調な中で、香港の失速が目立っている。

日本向けの輸出は増加

 日本向けが高い伸びになっているのは、10月からの消費税率引き上げをにらんだ駆け込み需要を当て込んだディーラーの在庫買い増しが主因とみられる。特に8月単月のスイス時計の日本向け輸出額は前年同月比34.5%も伸びた。

 もっとも、背景には駆け込み需要だけでなく、ここへ来て再び中国からの訪日客が増えていることも大きいとみられる。日本政府観光局(JNTO)の統計によると、4月には6.3%増と伸び率が鈍化していた中国からの訪日客数は、5月以降、再び2桁の伸びとなっている。 8月月間の訪日客数は全体で2.2%の減少になったが、これは関係が悪化している韓国からの訪日客が前年同月比48.0%減とほぼ半減したことが主因。中国からの訪日客は16.3%増と逆に大きく増えた。もともと香港への観光客のほぼ半数は中国大陸からだったが、香港での抗議活動や反中感情の高まりを忌避した中国人が、旅行先を日本に変えている可能性もあるとみられる。

 日本百貨店協会がまとめた免税売上高の動向によると、8月に全国の百貨店で免税手続きをした顧客は38.1万人と、前年同月に比べて7.1%も減少した。韓国からの訪日客などの減少が影響しているとみられるが、逆に手続きをした人ひとり当たりの購入額は6月の6万2000円から、7月には6万4000円、8月は6万7000円と急速に上昇している。平均的な買い物額が大きい中国からの観光客の割合が高まったことで、高額品が売れる傾向が強まっているとみられる。

 百貨店での「美術・宝飾・貴金属」の8月の売上高は前年同月比23.8%増と好調だった。これまで出ていなかった消費増税前の駆け込み需要がようやく現れたとみられる。9月も伸びが期待できるだろう。

 一方、10月以降の反動減も懸念されるが、免税手続きをするため消費増税とは無縁の中国人観光客による購買が期待できる。もしかすると、香港での高級時計の売上減少が、日本での売り上げ増につながるという現象が起きることになるかもしれない。

磯山友幸
経済ジャーナリスト。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年3月末に独立。著書に『「理」と「情」の狭間 大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。現在、経済政策を中心に政・財・官界を幅広く取材中。
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