やはり、なカシオのバーゼルワールド撤退

ウォッチジャーナリスト渋谷ヤスヒトの役に立つ!? 時計業界雑談通信

セイコーに続き、カシオの2020年バーゼルワールド出展中止、つまり撤退がこのwebChronosで報じられた。広報部のコメントした出展中止の理由も、セイコーと同様の、「4月末ではビジネスに遅すぎる」というものだった。撤退は残念だが「やはり」というのが正直な感想だ。

カシオのブース

渋谷ヤスヒト:取材・文・写真 Text & Photographs by Yasuhito Shibuya

やはり、なカシオのバーゼルワールド撤退

 カシオがバーゼルワールドに「出展」したのは2008年のこと。あれから10年あまりで再びバーゼルを去る。原因はやはり、出展効果に見合わない高額な出展料や経費と考えるのが妥当だろう。また、あくまで筆者の個人的な推測だが、フェアの運営や内容、待遇に対する疑問や不満もあるに違いない。

カシオのブース

バーゼルワールド2019に出展したカシオのブース。日本のブランドでは最大級。

 1990年代後半にカシオは一時、バーゼル・フェア(当時の名称)の2階フロア奥に小さな展示ブースを構えていた。それはカシオというよりも「G-SHOCK」のブースであった。当時のカシオは現在とは違い、「時計ではなくリストギア」のコンセプトで「G-SHOCK」を中心とした製品展開を行っていたのだ。

 残念ながらその時、日本人スタッフと話をした記憶はない。ただ、ロックミュージシャンを撮影したと思しきG-SHOCKのモノクロポスターを覚えている。その場で「イギリスのキャンペーンポスターだ」と聞いた。あれは本当にカッコ良かった。

2008年のバーゼルワールドでは、カシオのブースは独立系&新進系ブランドが軒を並べるテントの中にあった。

 さて、カシオのヨーロッパでのビジネスは基本的にドイツのハンブルクにある「カシオ・ヨーロッパ」が統括している。ミュンヘンで毎年2月に開催される宝飾時計フェア「インフォルゲンタ・ヨーロッパ」を2007年に取材した際、カシオ・ヨーロッパの幹部にそう聞いた。

写真のモデルはおそらくヨーロッパ向けの「エディフィス」。

 だが2008年からのバーゼルワールドへの出展は、日本のカシオ計算機本社が主導している。出展再開の理由は、2003年までの「リストギア」戦略から2004年の「高機能アナログ腕時計」戦略への大転換。勝手ながら、その延長線上で行われたのではと推測する。デジタルからアナログへ。リストギアから腕時計へ。「オシアナス」「エディフィス」も加わり、「G-SHOCK」もハイエンドな「MR-G」や「MT-G」で高級モデルを展開。カシオは高級時計ブランドとしての実力をアピールし始めたのである。この戦略は国内外で大成功を収めた。その証拠に、800億円程度だった国内売り上げは、その後の10年間で倍増している。

 2010年代半ばまではバーゼルワールドへの出展は、海外と国内、どちらの市場でも高級時計のプロモーション・ステージとして確かに価値があった。世界の高級時計市場自体がまだ拡大していたからだ。しかし未開拓の新市場はもはやなく、メディアの主力がネットに移行する中、バーゼルワールドの比重は下がった。

 筆者の知る限り、バーゼルワールドでカシオが厚遇されていたことはない。G-SHOCKの35周年記念のメインイベントはニューヨークであった。カシオは今後、きっとカシオらしい場所で、カシオらしい趣向でプロモーションイベントを展開するだろう。

 先日、筆者は十数年ぶりにカシオの開発拠点である羽村技術センターを訪れて取材する機会に恵まれ、開発に携わる人々とその体制に改めて感銘を受けた。どこで発表されるにせよ、2020年のニューモデルは素晴らしいものになるはずだ。