タグ・ホイヤー「モナコ」にまつわる名前の秘密を探り、その逸話とともに紹介

モナコ Ref.1133B

モナコ Ref.1133B
1969年に発表されたモナコのファーストモデル。発表は同年3月3日、発売は同年12月とされる。通称「マックイーン」モデル。そのニックネームの由来は、映画『栄光のル・マン』において、主演のスティーブ・マックイーンが着用していたため。ムーブメントはCal.11もしくは12を搭載。グレーダイアルのRef.1133Gもあった。諸説あるが、総生産数は4500本程度。

 1971年に公開された映画『栄光のル・マン』で主演男優のスティーブ・マックイーンが、右胸にホイヤーのロゴマークの入ったレーシングスーツをまとい、腕に「モナコ」を着けて出演。「モナコ」は一躍その存在を知られるようになったのだ。

 では、なぜマックイーンが「モナコ」を着けるに至ったのか。これにも微妙にニュアンスの異なる説があるのだが、2009年の「モナコ」誕生40周年の際にタグ・ホイヤーが作成した資料にあるのが真実のようだ。

 マックイーンは役作りのために、親友であったスイス人レーシングドライバーのジョー・シフェールにアドバイスを求めた。シフェールは1969年にホイヤーと契約を交わした、モーターレーシング史上初の時計ブランドがスポンサーとなったレーサーである。そこでまず、シフェールと同じホイヤーのロゴマークの入った白のレーシングスーツが選ばれる。次に、シフェールが腕に着けていた「オータヴィア」を見て、それとは違う「モナコ」を選んだのだ。

 つまり今日の映画界では当たり前になっている、あからさまなタイアップなんかではない。「モナコ」は正味にマックイーンの好みで選ばれたのだ。だから、そんな真実味が男の心を打ち「モナコ」は知られるようになったのである。

 とはいえ、「モナコ」が大ヒットしたかというと、そうではないようだ。自動巻きクロノグラフは高価になることが避けられず、しかも1969年といえばセイコーによって世界で初めてクォーツ式腕時計が市販化された年である。そんなことから映画による話題性が必ずしも売り上げに反映されたわけではなく、1970年代半ばには「モナコ」は生産終了となる。「モナコ」が世界的に大人気となり、伝説が広く語られるようになったのは、1997年に復活を遂げてからだ。

 さて、「モナコ」の名前の由来はというと、F1のモナコグランプリにちなんでいる。「カレラ」は1950年代の公道レースのカレラ・パナメリカーナ・メキシコから採られた。「オータヴィア」は「Automobile」(自動車)と「Aviation」(航空機)を組み合わせた造語だ。

 しかし名前といえば、一番の謎は、タグ・ホイヤーというブランド名である。

 ホイヤーがタグ・ホイヤーとなったのは1985年。TAGグループに買収されたことにより「TAG」=「タグ」という名が付け加えられた。「TAG」とは「Techniques d’Avant Garde」の意味。サウジアラビア人の企業家がルクセンブルクで設立した投資会社で、航空機などの先進事業のほか、ポルシェやマクラーレン、ウィリアムズと提携するなど、モータースポーツと深い関わりを持っていた。そんなことから、古くからモータースポーツの計時で実績を重ねてきたホイヤーの技術力が欲しかったのだろう。

 実際、TAGグループの傘下となると、新生ホイヤー=タグ・ホイヤーは、F1グランプリのオフィシャルタイムキーパーやマクラーレンF1チームとのパートナーシップ、アイルトン・セナをアンバサダーにするなど、モータースポーツ界でさらなる大活躍をする。また、新たにダイバーズウォッチを手掛けるなど、フィールドも拡大した。そうして緑と赤に塗り分けられたタグ・ホイヤーのロゴマークは誰もが知るアイコンになったのだ。

 ところが1999年、タグ・ホイヤーはLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループに買収される。問題はここだ。この時、タグ・ホイヤーというブランド名が変わらなかったのである。

 TAGグループではなくなったのに、なぜ「タグ」を外して「ホイヤー」に戻らなかったのか。昔からのホイヤーのファンで、タグ・ホイヤーという新しい名前になじめなかった、ヴィンテージウォッチ好きの時計ヲタクたちは誰もがそう思ったんじゃないだろうか。筆者もそのひとりだ。

 それにLVMHグループが「タグ」という名前を嫌ではないのか。TAGグループが「タグ」と名乗られることを不服としないのか。それも不思議で仕方がなかった。

 そこでタグ・ホイヤーがLVMHグループに入った直後に取材をする機会があり、直接訊いたのだ。なぜブランド名から「タグ」を外さないのか、と。誰に訊いたのか、それを失念したのは返す返すも残念なのだが(残念なのは自分の頭だ)、当時、新CEOとなったジャン-クリストフ・ババン氏ではなかったように思う。しかしスイス本国から来日した、しかるべき役職の人物であったことは確かだ(ということは、やはりババン氏だったのかもしれない)。答えは憶えている。タグ・ホイヤーという名前が広く知られているから、ということであった。

 だが、当時はその答えを理解できなかった。だったらホイヤーだって有名じゃないか。そう思ったのだ。

 しかし、今なら分かる。先に述べた、緑と赤に塗り分けられたタグ・ホイヤーのロゴマークが誰もが知るアイコンになったという、それがすべてだ。

 タグ・ホイヤーのロゴマークを見た瞬間、誰もがタグ・ホイヤーの時計と華やかなスポーツシーンを結び付け、タグ・ホイヤーの時計を最高に格好いいステータスシンボルとして思い浮かべる。それはタグ・ホイヤーがTAGグループの時代に身に付けた、ほかのブランドにはない強力無比な魅力だ。そして、それは残念だけれども、ホイヤーにはない、タグ・ホイヤーだからこその魅力でもある。

 LVMHグループが欲しかったのは、まさにそれなのだ。だからLVMHグループは、TAGグループからタグ・ホイヤーを「TAG」の名前込みで買収した。きっとそういうことなのだろう。

 と、まぁ、少しは頭を働かせて、そういう答えを見いだしたわけである。だが一方で、タグ・ホイヤーが復刻モデルに「TAG」を入れるとガッカリしたりする。「TAG」のない「HEUER」だけだと大喜びする。ヲタクは所詮、ヲタクなのだ。


福田 豊/ふくだ・ゆたか
ライター、編集者。『LEON』『MADURO』などで男のライフスタイル全般について執筆。webマガジン『FORZA STYLE』にて時計連載や動画出演など多数。


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