懐中時計には、チェーンでつないでポケットに忍ばせるところに独特のエレガンスがある。現在では携帯式時計といえば腕時計が主流だが、180年にわたってスイス時計産業をリードし続けるパテック フィリップには今なお懐中時計のコレクションがある。それを持ち続ける意味に注目してみよう。
パテック フィリップの歴史と技術
パテック フィリップは真に携帯式時計の伝統と価値を守り続け、時計業界において不動の地位を築いたブランドだ。
腕時計が主流になってもなお懐中時計の魅力を伝え続ける、稀有な時計メゾンの沿革を見ていこう。
パテック フィリップの沿革
パテック フィリップが創業した1839年当時、懐中時計にはリュウズがなく、専用の「鍵」をはめ込んでゼンマイの巻き上げや時刻合わせをしていた。
1845年、時計技師ジャン・アドリアン・フィリップは鍵なしリュウズ巻き上げ・時刻合わせ式時計を開発。その特許を取得する。1851年には、この新方式のペンダントウォッチがイギリスのヴィクトリア女王に献上された。
パテック フィリップは、腕時計が主流になってからも懐中時計の生産を続け、現在でも独立したコレクションを持つ数少ない時計メゾンである。
ミニット・リピーター
ミニット・リピーターは、ムーブメントに内蔵したゴングで現在時刻を知らせる複雑機構のことだ。
ムーブメントの外周に環状のゴングを配置し、これをハンマーで叩いて高音と低音の組み合わせによる音で現在時刻を知らせる仕組みだ。
起源は17世期末にさかのぼる。ポケットに忍ばせた懐中時計を振動させる無音のリピーターに始まり、電灯のない暗闇でも時刻が認識できる機構として重宝された。
この機構を実現するには100種類以上の部品を必要とし、腕時計に採用できるほど小型化するには高度な技術が求められる。
200時間以上かけてマイスターが組み立てたミニット・リピーター搭載モデルは、パテック フィリップの技術的水準の高さを象徴するコンプリケーションだ。
パテック フィリップと懐中時計
現代においても一部の職業で懐中時計は常用されているが、パテック フィリップが作り出す高級懐中時計はそれらとは性格が異なっている。
時計愛好家に向けた復刻版ではなく、携帯式時計の歴史の根幹としての懐中時計に目を向けよう。
アンティーク懐中時計を現在も製造
パテック フィリップは創業180年以上の歴史を持つ特別なブランドで、スイス時計産業における機械式時計の伝統を保ち続けている。
すべての部品を自社製造し、あらゆる工程を手作業で行うマニュファクチュールであり、一貫して独立経営を続ける時計メゾンだ。
パテック フィリップにとって懐中時計の製造を続けることは、単なるクラシックへの回帰ではなく、もはや、ひとつの伝統である。
鉄道員やナースが常用する実用的な懐中時計とは異なり、近代の王侯貴族が好んで身に付けた気品と品質の高さが、パテック フィリップの懐中時計の特徴だ。
それはジュネーブ・シールよりも厳格なパテック フィリップ・シールの品質基準により、すべての部品と工程が審査されている。
懐中時計のコレクション
パテック フィリップは180年間にわたって懐中時計を製造し続けており、製造年によってデザインの方向性は異なる。ここでは、現行コレクションの懐中時計4点を紹介しよう。
972/1
手巻き(17''' LEP PS IRM)。20石。パワーリザーブ約36時間。イエローゴールド(直径44.1mm、厚さ7.77mm)。444万円(税別)。
「972/1」は、アンティークなエレガンスと気品が香る懐中時計だ。フラットなダイアルには、レトロなアラビックインデックスと、ドレスウォッチに採用されることが多いリーフ型針を採用している。
6時方向にはスモールセコンド、12時方向には36時間のパワーリザーブ表示を配した。パテック フィリップの懐中時計としては情報量は多いが、控えめな色彩と平面的な構成がアンティーク感に寄与している。
イエローゴールドのケースに合わせて、同色のチェーンが付属する。ベストからチェーンを覗かせてエレガントに着こなしたい逸品だが、オープンフェイスかつ非防水仕様であるためダメージには注意したい。
973
手巻き(17''' LEP PS)。18石。パワーリザーブ約50時間。イエローゴールド(直径44.1mm、厚さ7.77mm)。425万円(税別)。
「973」は、スッキリとまとまった現代的なフェイスが印象的な懐中時計だ。ケースとチェーンの仕様は972/1と共通だが、ダイアルの装飾は大きく異なる。
「973J-010」は細長いローマンインデックスと幅狭のレイルウェイ ミニッツトラック、6時方向のシンプルなスモールセコンドが幾何学的な美しさを形作っている。時分針のスペード型針は適度な躍動感を与え、視認性の高さも申し分ない。
イエローゴールドの高級感もありながら、972/1より控えめかつ洗練された印象で、着用シーンを選ばないモデルといえるだろう。
980
手巻き(17''' SAV PS)。18石。パワーリザーブ約50時間。ローズゴールド(直径48mm、厚さ9.9mm)。561万円(税別)。
「980」は、風防を蓋でカバーしたハンターケースの横持ち懐中時計だ。ポケットに入れても風防を傷付けることがなく、リュウズをプッシュすれば蓋が開いて時間を確認できる。
「980R-001」は光沢を抑えた粒子仕上げのシルバー・オパーリン文字盤に、ローズゴールドのブレゲ数字とブレゲ針がよく映える。インデックスはブレゲ数字の形状を活かして滑らかな立体植字になっており、歪みのない蓋との親和性が高い。
裏蓋は二重になっており、両方を開けるとキャリバー17''' SAV PSが鑑賞できる。このムーブメントの鑑賞方法は、手持ちが前提の懐中時計ならではだ。
980
手巻き(17''' SAV PS)。18石。パワーリザーブ約50時間。ホワイトゴールド(直径48mm、厚さ9.9mm)。561万円(税別)。
「980」は、ホワイトゴールドの横持ち両蓋懐中時計だ。ケースやダイアルの仕様は980のローズゴールドモデルと共通であり、カラーリングだけが大きく異なる。ビジネスシーンでも使えるカラーなので汎用性が高いといえるだろう。
ポケットからチェーンが覗いていても、ホワイトゴールドはローズゴールドやイエローゴールドよりも目立ちにくく、さりげなく高級懐中時計を身に着けられる点に注目したい。
レア・ハンドクラフトコレクション
(左)ドーム型テーブルクロック“ジャングル”に描かれた野獣と野鳥のデザイン画。(右)そのデザイン画がクロワゾネで外装に描かれたドーム型テーブルクロック。ユニークピース。
パテック フィリップでは、通常のコレクションのほかに、ハンドクラフトモデルを製造している。このコンテンポラリー・コレクションのなかには、七宝や彫金の高度な技術が凝縮された懐中時計も多い。
裏蓋をキャンバスに見立て、鑑賞用の手作りスタンドが付属する、芸術作品のような懐中時計4点を紹介しよう。
992/114
「992/114」は、18世紀のフランス人風景画家クロード・ジョセフ・ヴェルネの名画「日没の風景」(773年)をモチーフにデザインされた懐中時計だ。名画を「フォンダン」という無色透明な釉薬で仕上げられた七宝細密画の技法によって、時計の裏蓋に明るい色彩で描いている。
ダイアルはイエローゴールドのブレゲ数字とリーフ型針を採用し、落ち着いた印象だ。レイルウェイサークルを外径ギリギリの位置にすることで、主張を抑えた額縁のような効果を生んでいる。
992/132
「992/132」は、熱帯雨林の中のオオハシをモチーフにした懐中時計だ。裏蓋のデザインは、極細の金線で345個のセクションに分けた後に、38色の釉薬で鳥(オオハシ)と植物を立体的に着色している。
ダイアルのデザイン要素は992/114と共通するが、仕上げは大きく異なる。鳥の羽根を思わせるギヨシェ装飾を施し、フランケ七宝の技法でグリーンに彩色した。
イエローゴールドとグリーンという高貴なバイカラーかつ独創的なギヨシェダイアルで、両面ともに芸術作品の様相を呈している。
992/142
「992/142」は、アメリカの蒸気機関車をモチーフにした懐中時計だ。背面のデザインは、白七宝の下地を点描のように削った上に黒七宝を重ね、さらにフォダンが数層にわたって施され、10回ほど炉で加熱されている。なお、機関車と客車はホワイトゴールドの浅浮き彫りや線彫りで描かれている。
裏蓋の縁、ベゼル、環は鉄道の線路のように線彫りされ、時分針とスモールセコンドの秒針さえも微細に彫り込まれる。白、黒、シルバーのみの配色で、両面ともに七宝による細密画の印象で統一されている。
995/110
「995/110」は、歌手とチェンバロ奏者によるリサイタル・シーンをモチーフにした懐中時計だ。
ジュネーブのヴィクトリアホールを描いた背景のデザインは、ホワイトゴールドの下地を浮き彫りした後に18色の釉薬で彩色と焼成を繰り返して描き出されています。
ダイアルは、ホワイトゴールドを手彫りした後に、七宝により楽譜のイメージを描いている。裏蓋の縁、ベゼル、環の装飾もすべて彫金である。
コレクションに懐中時計を加える
携帯式時計といえば腕時計が主流であり、実用性の面で懐中時計を日常的に着用するユーザーは少ない。製造する時計メゾンも限られているからこそ、パテック フィリップの最新の高級懐中時計が際立つ。
腕時計は手首に着けるほかないが、懐中時計は自分のスタイルで着用できることも利点だ。アレルギーなどが原因で腕時計が着けられない人も携帯でき、スマートフォンで時間を確認するよりはるかにエレガントである。
ケースの構造によっては傷付きやすい点に注意する必要はあるが、一度、懐中時計を手に取る喜びを体験してみてはいかがだろうか。
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