2019年に第4回が開催された「ドバイ ウォッチ ウィーク」は、地元の大手時計リテーラーによって運営される非営利の時計イベントである。一見、規模の小さなただの時計見本市のように思えるが、実情は確固たる理念の下に行われる時計文化存続のための土台作りだった。その在り方は今後、他の時計展示会の道しるべになるかもしれない。
Text & Photographs by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
DUBAI WATCH WEEK 2019
アラブ首長国連邦の中心都市であるドバイで2015年から開催されている時計イベントが、「ドバイウォッチ ウィーク(以下DWW)」だ。DWWは「時計に関する知識を伝え、後世に残していくために国際的な時計コミュニティーを結び付けて成長させていく」ことを目的に、ドバイにおけるスイス製高級時計の一大リテーラーであるアハメド セディッキ&サンズが主催、さらにこの理念に共感したクリスティーズやエミレーツ航空などが後援を務める非営利のイベントだ。17年の会期後に2年間の休止期間を挟んだが、19年に復活。11月20〜24日の5日間にわたって開催された。
DWWは主に4つのエリア、イベントで構成される。ブランドやメーカーがブースを構える「エキシビション ホール」、複数のパネリストが決められた議題に関して意見を交わす公開討論会「オロロジー フォーラム」、新作発表やブランドに関する講演などを1時間の枠の中で発信する「クリエイティブハブ」、そしてムーブメントの組み立てやダイアルへのペイントといった時計製造に関する技能を、ブランドの技術者や独立時計師から学べる「マスタークラス」である。
EXHIBITION HALL
まずはエキシビション ホールから紹介しよう。このホールではショパールやブルガリ、IWCといったメジャーブランドはもちろんのこと、アーミン・シュトロームやグルーベル フォルセイのような小規模独立系メーカーまでが軒を連ね、時計を展示している。しかしながらここで見られる時計の大半は発表済みのモデルばかりだ。というのも冒頭で触れた通り、DWWはコレクターやメディア、そしてウォッチメーカーといった時計に関わる人たちをつなげ、そして知識を共有することで、時計文化をより成熟させようという非営利のイベントである。つまり、会期中にこれらのブースでは時計の注文や商談は行われないのだ。そのため、基本的に新作の発表はされない。エキシビション ホールの展示は物足りない、というのが正直な感想だ。
とはいえ、全く目新しいものがないわけではない。というのも、ミレニアル世代のコレクターが多いドバイは、メーカーにとってなんとしても押さえたい市場だからだ。よって、完全な新作こそないが、既存モデルに手を加えた〝ドバイ限定〞もしくは〝中東限定〞仕様がいくつも展示されている。最も目を引いたのはインデックスの数字をアラビア文字で描いた仕様のもので、ブルガリやブライトリング、IWCなどのメジャーブランドがこぞって投入していた。アラビア語の数字で描かれたインデックスは、それだけでここが日本やスイスの展示会場ではないことを教えてくれる。
また、エキシビション ホールではメーカーブースだけでなく、ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ2019で各分野の賞を獲得した作品を展示するコーナーも設けられていた。ホールそのものは決して広いとは言えないため、ブランド出展数にはどうしても制限が出てしまう。フェア自体で収益を上げようとすれば、ひとつでも多くのブランドを出展しなければならないから、この規模のイベントであれば企画展のスペースは設けられなかっただろう。これは間違いなく非営利運営であるDWWの強みである。
と、ここまで書くと、イベントの中核を担う会場として、エキシビションホールをドバイ国際金融センターの入り口正面に構えていながら、時計の展示がDWWの本質ではないことが明らかになる。そんな同イベントにおいてハイライトとなるのが公開討論会の「オロロジー フォーラム」である。
HOROLOGY FORUM
1テーマあたり1時間、パネリストが討論を交わすオロロジー フォーラムは、会期中に13回開催された。参加したモデレーターおよびパネリストは計52人にも及ぶ。ちなみに52人の中には、フィリップ・デュフォーやステファン・フォルセイ、ブルガリ ウォッチ デザインセンターでシニア・ディレクターを務めるファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニやボヴェのオーナー、パスカル・ラフィらビッグネームがずらりと並ぶ。いかにDWW事務局がオロロジー フォーラムに注力しているのかが分かるだろう。なお、最も注目を集めたのはジャン-クロード・ビバーをパネリストとして招いた「Keeping up with the Infamy-Leverage」である。この回は「ブランドがなにか失敗をした際に、第三者によってウェブ上で簡単にその悪評が拡散されてしまう社会において、そのような悪評をどのように跳ね返していくのか」をビバーが自身の経験を交えながら話すというものだった。
こういったブランディングについての知識を得ることを目的としたものから、独立時計師のフィリップ・デュフォーがコラムニストとして高名なマイケル・クレリッツォや料理人とともに、自分たちが各分野における〝達人〞になったきっかけを語り合う「Making a Master: Cultivating roots uprooted」など、討論会のテーマは幅広い。時計業界の第一線で活躍してきた人物による独自の視点を知ることは、参加者がコレクターでもメディアでも、メーカーの人間であったとしても有益であろう。また討論会後に参加者同士でその議題について、意見を交わし合えば、そこで得た知識はより深まっていくはずだ。結果、DWWによって時計の文化は世界中で育まれていく。果てしもなく先を見越した話になるが、これこそがアハメド セディッキ&サンズの狙いなのである。事務局が掲げる理念に根差しているオロロジー フォーラムこそ、DWWの本質と言えよう。
CREATIVE HUB
オロロジー フォーラムがあくまで〝個人〞の意見を述べる場であるのに対して、「クリエイティブ ハブ」は組織として情報を発信する場である。H.モーザーはCEOのエドゥアルド・メイラン自らがドバイに赴き、ここで中東限定の2モデルを発表した。多くのブランドがH.モーザーのように、特別モデルのローンチ会場としてここを活用していたが、中東での知名度向上を狙うグランドセイコーは本誌編集長の広田雅将をスピーカーとして招き、ブランドの概要を解説した。
MASTERCLASS
「マスタークラス」は参加枠が一瞬で埋まってしまうほど人気のワークショップだ。アントワーヌとフローリアンのプレジウソ父子(講師として毎年参加!)やユリス・ナルダンの技術者がレクチャーするムーブメントの組み立て体験、H.モーザーの技術者による脱進機とテンプの組み込み体験、さらにはウォッチデザイナーと共に、配られたiPadで時計デザインを体験するなど、魅力的なコンテンツが目白押しだ。
SNSによって一瞬で、それもコストを掛けずに新作の情報が拡散できる社会の中で、あえて1カ所に人々が集まって展示会をする意義がどれほど残っているのか定かではない。いずれにせよ、新作の見本市というだけでは、時計展示会がビジネスとして成立しなくなる日はやがて訪れるだろう。その時、各展示会が何に自分たちの存在価値を見いだすのか。そのヒントと方向性をDWWは示唆してくれているのだ。
DWWに見るグランドセイコーの中東戦略
日本のブランドから唯一、ドバイ ウォッチ ウィークに出展したグランドセイコー。近年、北米においては“GS=高級ブランド”という認識が定着しつつあるが、中東では“SEIKO”は安い実用時計の代名詞。このイメージを払拭し、中東におけるグランドセイコーの認知度をアップさせるべく、セイコーウオッチは本誌編集長に白羽の矢を立てた。