世代交替が進む最新ムーブメント事情(中編)

2020.03.26

ムーブメントの設計はスペース効率との闘いだ。つまり小径薄型であるほど、設計の難易度は跳ね上がる。これを逆に言えば、設計段階の要求仕様にボリューム制限がなければ、容易にパフォーマンスが上げられることを意味する。ムーブメントの大径化という免罪符を得て、圧倒的なスペックを実現する。これも現代的なアプローチの常道だ。

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三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
鈴木裕之:取材・文 Text by Hiroyuki Suzuki

大径基幹ムーブメントの功と罪

 ムーブメントの大径化、すなわちベースプレート(地板)の径を拡大するという手法は、ムーブメントの基礎体力をアップさせる最短ルートとして、古くから用いられてきた手法だ。例えば1995年に設立された「ビューロー テクニークリシュモン」で最初に設計されたムーブメントである、ピアジェの「キャリバー430P」(98年初出)は、9リーニュ(直径20.5㎜、厚さ2.1㎜)で仕上げられた地板に対して、主ゼンマイのトルクが240g・㎜、テンワの慣性モーメントが2.9㎎・㎠、パワーリザーブ約40時間という、いかにも同社らしい繊細なムーブメントだった。

Cal.4400

VACHERON CONSTANTIN Cal.4400
2009年初出。ケースサイズの大径化という当時の潮流に合わせて、新規設計された手巻きムーブメント。香箱受けだけを独立させ、2番車~ガンギ車までを一体型の受けで支えるため、アッセンブリーが簡便になる半面、アガキ調整を厳密に行う必要がある。輪列受けの分割を避けたのは、地板の直径に比較して非常に薄く仕上げられているため、剛性を確保する目的だろう。直径28.60mm、厚さ2.80mm。21石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約65時間。

 薄型時計の旗手として知られるピアジェでは、ムーブメントの厚さを抑制しつつ、主ゼンマイのトルクを上げる手法として、後年にムーブメントの大径化を試みる。これが2007年に登場した「キャリバー830P」で、ベースプレートを12リーニュ(直径26.8㎜、厚さ2.5㎜)まで拡大した恩恵として、主ゼンマイのトルクは925g・㎜、テンワの慣性モーメントが10㎎・㎠、パワーリザーブは約60時間に跳ね上がった。なおこれに、自動巻きの「キャリバー800P」(06年初出)で用いられる、主ゼンマイのトルク:300g・㎜、テンワの慣性モーメント:5.65㎎・㎠、パワーリザーブ約85時間というセットを加えた3パターンが、先に述べた〝モジュール設計〞のキーとなる輪列設計だ。薄型設計をキープするためにベースプレート径を拡大するという手法はブルガリのフィニッシモシリーズでも好んで用いられており、同社が世界最薄のワールドレコードを次々と更新できるのは、ムーブメント径に関する設計目標に、特に制限値を課していないからだろう。

Cal.1400

VACHERON CONSTANTIN Cal.1400
2001年初出。旧HDGで基礎設計された手巻きムーブメントをベースに、VCVJ改編後に生産に向けた改良を加えたモデル。伝統的な9リーニュ機だが、耐衝撃装置を備えたガンギ受けなど見るべき点も多い。ガンギ受けを独立させる造形は、旧き良きジュネーブ様式に則る。直径20.65mm、厚さ2.60mm。20石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。
Cal.2450

VACHERON CONSTANTIN Cal.2450
2005年初出。VCVJで設計された初の自動巻きムーブメント。4番車を地板中心に配した同社初のセンターセコンド専用機でもある。Cal.1400の主要コンポーネントを流用しているが、ストップセコンドに衝撃緩和機構を設けるなど、高級機然とした設計も光る。直径26.20mm、厚さ3.60mm。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。
Cal.5200

VACHERON CONSTANTIN Cal.5200
2016年初出。Cal.5100と基本設計を共有するバイプロダクト機。余裕のある大径の地板に、水平クラッチや積算輪列を配置することで、信頼性の高い一体型クロノグラフを実現させている。古典的なピラーホイール駆動を採用し、センターキャップにはマルタ十字の装飾を施す。直径30.60mm、厚さ6.60mm。54石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約52時間。
Cal.5100

VACHERON CONSTANTIN Cal.5100
2016年初出。Cal.5000系の基本となるツインバレルのインダイレクトセンターセコンド機。オフセットさせた4番車をあらかじめ2層構造としておくことで、クロノグラフとの設計共有を簡便にしている。大径の地板に対してコンパクトな輪列設計が、拡張性の高さを物語る。直径30.60mm、厚さ4.70mm。37石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。

 特に薄型設計にこだわらなくても、ムーブメントの大径化は有効だ。懐中時計を例に挙げるまでもなく、ムーブメントサイズが大きければ、相対的にテンワも大きくできるし、長くて強い主ゼンマイを搭載できる。つまりそれだけで、スペックは大幅にアップする。現在、小径/大径の基幹ムーブメントを双方ともにラインナップするのはヴァシュロン・コンスタンタンだ。手巻きでは01年初出の「キャリバー1400」(9リーニュ/直径20.65㎜)と、09年初出の「キャリバー4400」(12ハーフリーニュ/直径28.6㎜)を揃え、自動巻きでは05年の「キャリバー2450系」(11ハーフリーニュ/直径26.2㎜)と、16年初出の新鋭機である「キャリバー5000系」(13ハーフリーニュ/直径30.6㎜)を擁する。特に最後発となった5000系はツインバレルを備え、2番車/4番車の双方をオフセットするという極めて変則的なスモールセコンド輪列を持たせたことで、3針の「キャリバー5100」と、一体型クロノグラフの「キャリバー5200」というバイプロダクト機を両立させている。変則輪列をアレンジすることで、前者はインダイレクトセンターセコンド、後者はインダイレクトスモールセコンドとなるのだ。

AUDEMARS PIGUET Cal.3120
2003年初出。手巻きのCal.3090をベースとした、オーデマ ピゲ初の自社製自動巻きムーブメント。4番車を中心に置くセンターセコンド輪列を持つが、香箱と2番車の間にカナを介して、パワーリザーブを延長している。Cal.2120で実績を重ねたスイッチングロッカー式自動巻きを流用するが、その繊細さゆえにCal.3120では歯先の摩耗にも悩まされた。フリースプラング。直径26.60mm、厚さ4.25mm。40石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約60時間。

 なお5000系にはもうひとつバイプロダクトが存在している。シングルバレル化と引き替えにベースプレート径を縮小した「キャリバー5300」(10リーニュ/直径22.6㎜)がそれで、輪列配置を最適化したスモールセコンド専用機となっている。5000系の特徴は、地板に対する輪列のコンパクトさにあり、これが大きな汎用性と拡張性を生んでいる。なおヴァシュロン・コンスタンタン製の基幹ムーブメントは、1998年のVCVJ設立以降(ジュウ渓谷のル・サンティエにあったエボーシュ製造部門、母体は旧HDG)に手掛けられた設計では一貫して、8振動/秒のハイビートが基本であった。

Cal.4401

AUDEMARS PIGUET Cal.4401
2019年初出。Cal.4302と基本設計を共有するバイプロダクトムーブメントで、数千個単位で製造されるマスプロダクト製品としては、オーデマ ピゲ初となる一体型クロノグラフとなった。積算計ごとに分割されたリセットハンマーや、インダイレクト式のフライバック機構を持つ。プッシャーの動作を、テコを介してプル式に変換しているため、柔らかさと節度を持った操作感が楽しめる。作動方式はピラーホイール。針飛びを抑制できる垂直クラッチを備える。直径32.00mm、厚さ6.80mm。40石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。
Cal.4302

AUDEMARS PIGUET Cal.4302
2019年初出。熟成を重ねてアップデイトの限界を迎えつつあったCal.3120に代わる新基幹ムーブメントとして、12年10月に開発スタート。基礎設計の初期段階で、大幅なムーブメントサイズの大径化が決定されていたため、ロングパワーリザーブ化に加え、テンワの慣性モーメントも大幅にアップすることができた。両方向巻き上げ機構は、スイッチングロッカーからセラミックリバーサーに変更された。直径32.00mm、厚さ4.80mm。32石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。

 一方、同じくジュウ渓谷のル・ブラッシュに拠点を置くオーデマ ピゲでは、2003年初出の「キャリバー3120」を、6振動/秒のロービート機として発表。当時はまだ珍しかったフリースプラング式のテンプを採用するなど革新的な一面もあったが、その一方で自動巻き機構には、かつての超高級機が好んだスイッチングロッカー式を用いるという、非常に繊細なムーブメントでもあった。それまでジャガー・ルクルト製の「キャリバー889」を主に用いてきた同社にとって3120は、自社で初めて手掛ける自動巻き基幹ムーブメントだったのだ。やや過剰とも思えるほど高級機然とした佇まいには、初作ゆえの気負いもあったに違いない。3120は、発表から16年にもわたってオーデマ ピゲの主力機を務めてきたが、その間に施された熟成改良の成果も枚挙にいとまがない。

Cal.4401

3つの積算計を一直線に並べたCal.4401の積算輪列。コラムホイールと秒クロノグラフランナーの間に、垂直クラッチが置かれている。プル式で動作するリセットハンマーは、ハートカムのひとつひとつに対して分割されている。
Cal.4302

Cal.4302、Cal.4401ともに、両方向巻き上げ機構を司る切り替え装置は、MPS製のセラミックボールベアリングを仕込んだリバーサー式に改められている。この部分の強度と信頼性が、巻き上げ機構の安定動作を左右する。

 しかしその半面で、3120ベースのアップデイトはすでに限界を迎えており、より設計に余力を持たせた次世代機を望む声は、次第に大きくなっていった。2012年5月に同社の暫定CEOとして着任したフランソワ-アンリ・ベナミアス(現CEO)はすぐさま新規開発を指示。同年10月には基礎設計が開始されている。満を持してその成果が披露されたのは、基礎研究開始から7年の歳月を経た2019年。3120に代わる新基幹ムーブメントとして登場した「キャリバー4302」と、そのバイプロダクトとなる一体型クロノグラフムーブメントの「キャリバー4401」だ。

Cal.4302

ローターを取り外した状態のCal.4302。左の写真は、日の裏側に置かれたカレンダーモジュール。セラミックリバーサーを支えるブリッジは分割されており、リバーサーそのものもルビー受けされる。個別の調整作業を簡便にする配慮だろう。

Cal.4401

同じくCal.4401のローターを取り外した状態。積算針が貫通する穴が設けられているが、カレンダーモジュール自体はCal.4302用とほぼ同一だ。リセットハンマー上には受けが被せられないため、ローター越しにその動きを見ることが可能。

 まず4302/4401では、ムーブメントサイズを3120の11ハーフリーニュ(直径26.6㎜)から、一気に14リーニュ(直径32.0㎜)にまで拡大したことで、基礎体力が大きく向上している。まず8振動/秒に振動数をアップして携帯精度を確保。また香箱のサイズが大きくできたことで、約60時間から約70時間にパワーリザーブが延長されている。現代的なムーブメントとしては標準的な仕様だが、特筆すべきは主ゼンマイのトルクだ。3120に対して約2.5倍のトルクを主ゼンマイに持たせたことで、テンワの慣性モーメントは4.5㎎・㎠から12.5㎎・㎠にアップしている。テンワの振り角はT0の平姿勢で約300度、縦姿勢では約260度。T24での振り落ちもそれぞれ10度程度と少ない。これはかなりの力持ちだ。

オーデマ ピゲでは「製造の各段階で一定のクォリティを保つことが、一定数以上を生産する基幹ムーブメントでは最も大切」とするが、Cal.4302/4401には基礎設計の段階から、細かな調整を施さなくても適正なクォリティを維持できるような配慮が盛り込まれている。

組み立て直前に、セラミックリバーサーは歯の側面に注油される。Cal.4302/4401のアッセンブリーは、工程を4段階に分けた分業制。まず香箱と巻き真、自動巻きへのトランスミッションを組んだ後に、2段階目で2番車以降の輪列とデクラッチ、リバーサーを載せる。

 3120が採用していたスイッチングロッカーは、すでに実績を重ねていたキャリバー2120(1967年初出)から転用した機構だったが、3120では歯先が摩耗しやすい傾向があり、最後まで技術者を悩ませたようだ。次世代機の4302/4401では、巻き上げ機構そのものがリバーサー式に改められており、MPS社と共同開発したセラミックス製のワンウェイベアリングを組み込んで、剛性と信頼性を確保しているという。

 4302/4401に共通する設計の要点は、たとえ部品数が増えて高コストになったとしても、調整作業が必要となる箇所を極力少なくして、製造段階で適切なクォリティを担保すること。それが端的に表れているのが、4401のリセットメカニズムだ。12時間積算計、秒積算計、30分積算計を一直線に並べる4401では、一枚板のリセットハンマーを設ければ事足りる。しかし実際には、積算計ごとに独立したハンマーを設けて、個別に調整可能としているのだ。ひとつのハンマーに3つの仕事をさせるより、担当する仕事をひとつに限定してしまったほうが、個別の調整作業はずっと簡潔になるという理屈だ。

ムーブメント自体にかなりの厚みがあるためか、垂直クラッチ自体も大幅に剛性を持たせてある。ピラーホイールの隣に配置され、クラッチレバーも極めて短いため、応答性も良好だ。

ミレネリー用のCal.4101に続いてCal.4302にも採用された、MPS社との共同開発によるセラミックリバーサーの概念図。Cal.4302が用いるのはオーデマピゲの専用供給部品である。

 設計に余力を持たせるために、ムーブメントの大径化は極めて有効な手法だ。しかしピアジェやヴァシュロン・コンスタンタンがまだ小径機を残しているのに対し、オーデマピゲでは4302/4401を、完全な3120代替機と位置付けているようだ。しかし小ぶりなケースに搭載しようとする場合、絶対に〝大は小を兼ねない〞。これは大径ムーブメントが抱える、唯一絶対の弱点だ。


後編へ続く
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