ウォッチジャーナリスト渋谷ヤスヒトの役に立つ!? 時計業界雑談通信
今回はお約束通り、前回の最後にお伝えした、4月17日のタグ・ホイヤー、ウブロ、ゼニス、ブルガリ、つまりLVMH グループ スイスウォッチ マニュファクチュールとLVMH ウォッチメイキング ディヴィジョンのバーゼルワールド離脱について、その影響と背景、さらにその後を考えてみたい。
終焉にトドメの一撃
2020年4月14日に発表されたロレックス、パテック フィリップ、シャネル、ショパール、チューダーの離脱宣言で、バーゼルワールドの「終焉」はすでに決定的だった。だがそれからわずか3日後、17日のこのLVMHグループの離脱で、それは確定したと言えるだろう。スイス政府の強制力のある「指導」など想定外の事態が起きない限り、事実上、復活の道はない。
LVMHグループの時計ブランド、中でもブルガリはバーゼルワールドにとって特別な存在だ。LVMHグループ傘下になる前、ブルガリはジュネーブの独自会場で新作を発表していた。そのブルガリをバーゼルワールド事務局は、特別なスペースを用意して招聘したという経緯がある。そして2013年の会場リニューアルでブルガリとLVMHグループは、ホール1.0(メインホール1階)のエントランスゲート前の絶好の位置を確保した。ブルガリのトップ、ジャン-クリストフ・ババン氏が2020年2月11日の撤退宣言と共にわざわざ
「これは、バーゼルワールドからの離脱を意味するものではありません。『バーゼルワールド2021』への出展の可否は、6月末までに検討します」とのコメントを入れたのは、こうした過去の経緯とバーゼルワールドに対する思い入れがあるからだろう。さらにタグ・ホイヤーやゼニス、そしてウブロもLVMHグループ傘下となる前から主要な出展社だった。
だが、LVMHグループも1月という開催時期の設定には困惑したはずだ。今年、2020年からスタートさせた「LVMH ウォッチ ウィーク ドバイ」の開催時期と重なる。そして、4月14日に起きたフェアの盟主的なビッグブランドの一斉撤退だ。長年のお付き合いも「もはやこれまで」と腹をくくったのだろう。
過去の経緯を考えれば、スウォッチ グループのバーゼルワールド復帰によるフェア存続の可能性も、ゼロではないかもしれない。しかし、スウォッチ グループの2019年の撤退理由を考えれば、復帰は考えにくい。すでに業界では「あの中堅ブランドも離脱する」など、具体的なブランド名がいくつも囁かれている。
さらに、毎年6月にジュネーブで旧SIHHと同じ会場(パレクスポ)で開催されている、時計製造に関わるサプライヤーや先端企業も集まるヨーロッパ最大級の技術見本市EPHJのニュースページ(ただしフランス語ページのみ)も、4月16日に「70の小規模な出展社がバーゼルワールドを去る準備をしている」と報じた上で、「日程、価格、組織、バーゼルのホテルの料金、展示会の入り口、知名度の低さ、入場者数の減少などの問題がある」と報じている。
これは、バーゼワールドが時計ブランドに限らず、ジェムストーンを取り扱う業者や工作機械メーカーなどの時計関連企業からも見放されつつあるということだ。
こうした情報を総合すると、もはやどんな手を使っても復活は不可能だと思う。