こと耐衝撃性に関して言えば、あらゆる時計ブランドの中でも群を抜く経験値を持つリシャール・ミル。初作となったRM 001以降、あらゆる衝撃に打ち克つ“エクストリーム・ウォッチ”は同社のお家芸となった。しかし2019年に発表されたサイレントアラームの「RM 62-01」は、考慮すべき振動の質が従来とはまったく異なる。日本市場への上陸を控えた今、この“史上最も複雑なサイレントアラーム”を再検証してみよう。
RICHARD MILLE TECH 2020
[RM 62-01 TOURBILLON VIBRATING ALARM ACJ]
リシャール・ミル史上、最も複雑なムーブメントを搭載することになった「RM62-01 トゥールビヨン バイブレーション アラーム ACJ」。オーバルシェイプを象ったベゼル開口部と、航空宇宙産業で多用されるトルクセットスクリューを象徴的に用いたデザインからも分かるように、エアバス コーポレートジェットとのコラボレーションから生まれた第2弾モデルである。しかしケースプロポーションこそ、前作「RM50-02 ACJ トゥールビヨン スプリットセコンド クロノグラフ」を踏襲するものの、今回のACJモデルは〝複雑さの方向性〞がまったく異なっている。
前作RM0-02が、高級時計としては正攻法とも言える超複雑機構を搭載したのに対し、新しいRM62-01が試みた手法はやはり異質と言わざるを得ない。ケース自体を振動させることでアラームの作動を伝える「サイレントアラーム機構」を盛り込んだのである。ムーブメント内部に〝振動の発生源〞を仕込み、その振動を効率よくケース側に逃がすことで、アラームの作動を着用者に知らせる。言葉にすればシンプルだが、自らが振幅することで高精度を保つ調速脱進機にとって、本来ならば無用の振動は避けるべきものだろう。同社自社工房のオロメトリーで、ムーブメント担当テクニカルディレクターを務めるサルバドール・アルボナ自身、「リシャール・ミルが積み上げてきた〝耐衝撃性〞に関する知識と経験は、今回ばかりはまったく役に立たなかった」と開発の難しさを語っている。
RM62-01を構成する総パーツ数は816点。センター同軸に配置されたグリーンの副時針が第2時間帯を表示するUTCウォッチだ。4時位置のインダイアルがアラームのセット時間。運針用とアラーム用の香箱は独立しており、それぞれにパワーリザーブインジケーターを備えたため、結果的に7本もの表示針を持つこととなった。運針用香箱の巻き上げにはリュウズを用い、パワーリザーブは全巻きで約70時間。対してアラーム用の香箱は、8時位置のプッシャー操作で巻き上げ、プッシャーを12回押すことで全巻き状態となる。アラーム用香箱の最大駆動時間は約12秒間だ。
もうひとつ、RM62-01に盛り込まれた特殊機構が5機能に対応するファンクションセレクターだ。2時位置のプッシャーは従来と同様に、ニュートラル、香箱の巻き上げ、時分針合わせの3ポジションを切り替える他、AM/PM表示付きのアラーム針とUTC針を独立して操作することが可能。4時位置のプッシャー操作で、アラームのオンオフ設定が行える。なお作動中のアラームを途中で止めることも、もちろん可能だ。
サイレントアラームに用いられるバイブレーション機構の基本は、スマートフォンなどにも用いられている偏心ローター(偏心回転質量方式=ERM方式)と同様。ただしこちらはモーター駆動ではなく機械式で、わずかに軸を偏心させたローターを回転させる。偏心ローター自体が微振動を発生させることはもちろん、ローター中央部にセットされたスプリング状のハンマーが振幅することでローター側面を叩き、肌で感じられるような物理振動を生み出している。パーツとしては極小だし、正確な動作には調整も必要となるが、機構としては至ってシンプルである。ここで重要となるのが、ムーブメント内部で発生した振動が、時計の精度に悪影響を及ぼさないことだ。具体的には、ムーブメント内部の振動を、すばやくベゼルやバックケースに逃がすために、マテリアルの見直しが図られることになったのだ。RM62-01のケースでは、分厚いグレード5チタン製のベゼルプレート(同バックプレート)に、約1.8㎜厚に切削加工されたカーボンTPT®製のトッププレートが象嵌されているが、これは何もデザイン的な要求から生まれたものではない。発表当時(2019年)のリリース資料によれば「素材の重量比強度を最適化することで、アラームの振動を手首に伝えやすくするため」ということになる。
もう少し具体的に見てみよう。一般的に振動とは、硬い物質を介するほど伝わる速度が速くなり、減衰量が少なくなる。両者を比べた場合、グレード5チタンよりもカーボンTPT®のほうが硬くて軽量なため、より効率的に振動を手首に伝える(ムーブメントの側から見れば振動を逃がす)ことができる。チタン素材との二重ベゼルを採用した理由は、振動の伝わり方と減衰量をコントロールして最適化するためなのだ。
では実際にムーブメント内部で発生した振動は、どの程度時計の精度に影響を及ぼすのだろう? しかしこの点は、ほとんど考慮する必要がないのかもしれない。搭載されるムーブメントが腕時計用である以上、着用することで常に不規則な振動(衝撃)にさらされているわけだし、アラームの最大駆動時間が約12秒間に過ぎない点からも、精度への影響は無視してよいようにも思われる。明言こそしていないものの、アルボナ氏の回答からはそのようなニュアンスが汲み取れるのだ。ただしこれには、アラーム機構の固有振動数がテンワなどと共振しない限りという条件が付く。もちろんこの点は、設計段階で厳密に検証されている。
実のところ、リシャール・ミル側が検証を重ねたという振動対策は、筆者が最初に考えたような「瞬間的な時計の精度への影響」とは別次元のものだったらしい。航空機の開発と同様に、振動に対する影響を可動部分(ムーブメント=ジェットエンジンに相当)と固定部分(ケースなどの外装部品=胴体や翼に相当)に分けて、個別に検証したのである。ムーブメントの稼動部分に関しては、偏心ローターが生み出す振動がテンワなどの固有振動に影響を及ぼさないか。またケースやムーブメントの固定部分に関しては、長期的なアラーム機構の使用で、ネジなどに緩みが発生しないかが検証課題となったようだ。開発の初期段階では、具体的に何を検証するべきかというテストプロトコル自体が白紙であったため、この定義に最も多くの時間を要したという。振動の周波数を変えた偏心ローターをはじめ、4種類の〝部分的な試作品〞を設計して、設計を煮詰めていった。最終的に、物理的な時計の構造に最も影響の少ない周波数が特定できたことで、一気にプロトタイプの開発が進んだという。
センター同軸のUTC表示と特殊なサイレントアラーム機構を組み合わせた手巻きトゥールビヨン。ムーブメント自体を揺するという構造のため、従来とはまったく異なる振動対策が施されている。手巻き(Cal.RM62-01)。77石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約70時間。Ti×カーボンTPT®(縦49.94×横42.0mm、厚さ)。世界限定30本。予価1億4490万円。
初作のRM 001からエクストリームなトゥールビヨンを掲げ、あらゆる特殊構造を用いた耐衝撃性の強化や、それに伴うケースの徹底的な軽量化などに取り組んできたリシャール・ミル。しかしそれらの開発課題は、あくまで外側からの衝撃に打ち克つことであった。史上最も複雑なアラームウォッチとなったRM62-01でついに、自らが生み出す衝撃をも克服したのである。