時計史に残る偉大な発明を数多く成し遂げているブレゲは、懐中時計でも名作と言われるモデルを製作している。ブレゲの歴史やモデルを語る上で、懐中時計は欠かせないキーワードと言えるだろう。過去の代表作や、伝統を受け継ぐモデルを紹介する。
時計師ブレゲと仏王妃マリー・アントワネット
ブレゲの時計の熱烈な愛好者のひとりが、フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793)であった。彼女が宮廷を訪れるフランス内外の上流階級の客人にブレゲの時計を熱心に薦めたことで、ブレゲの評判はヨーロッパ、そして世界中に広まったのだ。
ブレゲの偉大な発明は、その多くがマリー・アントワネットに依頼された懐中時計の製作から生み出されているという逸話を持つ。当時の歴史を確認しておこう。
機械式時計の多くの原理をブレゲが開発
ブレゲの創業者であるアブラアン-ルイ・ブレゲ(1747-1823)は、現在の機械式時計に搭載されている多くの機構を発明し、天才時計師と謳われた人物だ。
ムーブメントが受ける重力の影響を最小限に抑える「トゥールビヨン」や、月末・うるう年の日数差を自動補正する「パーペチュアルカレンダー」は、歴史を変えた画期的な発明である。
ほかにも、時計の精度を高める「ブレゲひげゼンマイ」(巻き上げヒゲゼンマイ)や、衝撃吸収装置の元祖とされる「パラシュート」など、時計製造に貢献した発明は枚挙にいとまがない。
ブレゲが開発したすべての機構を合わせると、現在の機械式時計の原理の約70%にも達すると言われている。
後に伝説と称される懐中時計を王妃が依頼
ブレゲを象徴する数々の発明は1783年、フランス王妃マリー・アントワネットの礼賛者を名乗る人物から懐中時計の製作を依頼されたことに端を発している。
その内容は「あらゆる高度な技術・複雑機構・機能を組み込んだ時計を製作してほしい」というものであり、時間と費用は無制限であった。
そうして、“マリー・アントワネット”の通称を持つ「No.160」が完成したのは1827年のこと。注文を受けてから44年後、王妃の死後からは34年後、またブレゲ自身も没してから4年の歳月が経っていた。
ブレゲの懐中時計
アブラアン-ルイ・ブレゲが手掛けた懐中時計の中には、レプリカという形で現代によみがえっているものがある。オリジナルを凌ぐ名作と評される時計を紹介する。
最高傑作とされるNo.160を再現した「No.1160 マリー・アントワネット」
伝説の懐中時計No.160は、1983年にエルサレムの美術館から盗まれており、奇跡的な発見により2007年に戻ってくるまで、約25年も所在が不明であった。
2004年、ブレゲを傘下に収めていたスウォッチ グループ創業者であり、会長(当時)であったニコラス G. ハイエックは、No.160を完全再現したレプリカの製作をブレゲに命じた。
オリジナルがない状態で、技術者たちは残された資料のみを頼りに製作に取り組み、2008年に発表されたのが「No.1160 マリー・アントワネット」である。
最高傑作と評されるNo.160を原型とし、忠実に再現されたNo.1160は、べルサイユ宮殿にあったオークの木で作られた化粧箱に収納され、披露された。
スウォッチ グループが完全レプリカを作成した「No.5」
アブラアン-ルイ・ブレゲは1787年に、名作と謳われる懐中時計「No.5」を製作している。
ペルペチュエル(自動巻き)を搭載し、トック式のクォーター・リピーター機能が備わっている。手作業による機械操作で彫り込まれたギヨシェ模様やブレゲ針など、ブランドの特徴がちりばめられた傑作である。