時計玄人が集う「ノーブルスタイリング」を立ち上げた葛西憲道氏に、原点なった時計と上がり時計を聞く

安堂ミキオ:イラスト
2020年6月掲載記事

時計の賢人たちの原点となった最初の時計、そして彼らが最後に手に入れたいと願う時計、いわゆる「上がり時計」とは一体何だろうか? 本連載では、時計業界におけるキーパーソンに取材を行い、その答えから彼らの時計人生や哲学を垣間見ていこうというものである。

今回話を聞いたのは、東京都目黒区のウェスティンホテル東京内にある時計店「ノーブル スタイリング ギャラリー」の葛西憲道氏だ。葛西氏が挙げた原点時計はカルティエ、「上がり時計」はラング&ハイネである。その言葉を聞いてみよう。

葛西憲道 氏

葛西憲道

葛西 憲道 氏
株式会社ノーブルスタイリング/代表取締役社長

東京都出身。大学卒業後にインポートファッションを手掛ける三喜商事に入社し、時計事業部に所属。同社がカルティエのライターや革製品、ジュエリー販売などを手掛けていた外資系商社リーベルマン ウェルシュリーエンド コンパニー エヌ エイと合併し、1982年に合弁会社レ・マスト・ドゥ・カルティエとなったことを機に、日本における本格的なカルティエ時計部門の立ち上げに携わる。その成功を受けてMDMジャパンの取締役へ抜擢、日本におけるウブロ販売を軌道に乗せる。その後もヴァシュロン・コンスタンタン、ブレゲ、IWC、ジャケ・ドローをはじめとした多くの高級時計ブランドを手掛け、2004年に独立。時計輸入代理店のマーケティング、ブランド導入、広告戦略などのコンサルティング業務を行う。2013年、東京都目黒区のウェスティンホテル東京内に時計ブティック「ノーブル スタイリング ギャラリー」を開店。現在は独立系ブランドを中心とした約30ブランドを取り扱う。

「ノーブルスタイリング」公式サイト http://noblestyling.com/


原点時計はカルティエ「サンチュール」

Q. 最初に手にした腕時計について教えてください。

A. 40年以上にわたり時計業界に従事し、多くのブランドに関わってきましたが、その始まりはカルティエからです。日本ではまだ「カルチェ」と呼ぶのが一般的だった頃で、ブランドの売れ筋といえばライターや革小物でした。時計は浸透しておらず、正規販売店といえば、原宿にかつてあったファッションビル「パレフランス」に1店舗あったぐらいです。時計の大ヒットの起点となったのは、「タンク ルイ カルティエ」の普及版モデル、ケース素材にヴェルメイユを用いた「カルティエ マストタンク」の登場です。この販売を手掛けていたレ・マスト・ドゥ・カルティエの時計事業部は、実は当時、課長と私と事務員ふたりしかいない小さな部署でした。需要に対して供給が追い付かず、営業担当の私の仕事といえば、お客様へ納品の遅れをお詫びして回ることばかりでした。時計部門の大きな成長を受け、カルティエのバーゼル・フェア(現バーゼルワールド)初出展の際には、お客様を引率したことも良い思い出です。これが私の海外旅行デビューでした。
 カルティエ「サンチュール」は、レ・マスト・ドゥ・カルティエで時計販売を始めるにあたり、初めて自分で購入した時計です。18Kモデルで、23歳当時の自分の給料の4倍以上もするものでしたが、これからの景気付けとして手に入れました。ミドルサイズですから、今では私の家内が愛用しています。

サンチュール

リュウズガードを内側に取り込んだ、正方形に近い八角形ケースが特徴のカルティエ「サンチュール」。葛西憲道氏が所有するのはイエローゴールドとホワイトゴールドとの珍しいコンビタイプ。文字盤6時位置の”PARIS”表記は1970年代~1980年前半まで製造されていたモデルに見られる。手巻き(Cal.2512)。18KYG×WG(縦28×横26mm)。


「上がり」時計はラング&ハイネ「フリードリッヒ3世」

Q.いつしか手にしたいと願う憧れの時計、いわゆる「上がり時計」について教えてください。

A. 斬新な機構や華やかなデザインを追いかけた時期もありましたが、60歳を超えた今、やはり懐中時計のようなシンプルな時計に落ち着きを覚えます。今の私が思う2トップのブランドを挙げると、「チャペック」と「ラング&ハイネ」ですね。そして最終的に欲しいと思うのは、シンプルで見やすく、そして仕上げが圧倒的な、究極の3針時計を作る「ラング&ハイネ」です。工房所在地はドイツのドレスデンということもあり、見るたびに「やっぱり旧東ドイツ側は良い時計を作ってるな」というのを感じますね。1本だけを選ぶなら、「フリードリッヒ3世」です。白のダイアルに青焼きの針、ローマンインデックスを備えるモデルです。自分の原点がカルティエにあるため、この要素に落ち着くところもあるかもしれませんね。ラング&ハイネの年産本数は50本と小規模です。目の肥えた愛好家の多い日本への輸入本数はそのうちの40%、年間20本ぐらいです。ノーブルスタイリングの取り扱いブランドではありますが、入荷してもほとんど在庫として留めることがありません。いつかは自分用に購入したいと考えています。

フリードリッヒ3世

2001年に時計師マルコ・ラングと、A.ランゲ&ゾーネの見習工だったミルコ・ハイネによりドレスデンで創設された独立系ブランド、ラング&ハイネ。少人数の工房ながら部品の約95%を自社で開発する。「フリードリッヒ3世」は6時位置にスモールセコンドを配したデザインが特徴だ。手巻き(Cal.VI)。19石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約55時間。18KRG(直径39.2mm、厚さ10.5mm)。3気圧防水。


あとがき

「レ・マスト・ドゥ・カルティエではトップセールスまで務めたし、そのままいれば左うちわで暮らせたんだろうけどね」と、ウブロ創業者のカルロ・クロッコ氏からMDMジャパンへ誘いを受けた日を振り返りながら笑う葛西氏が印象的だった。当時のウブロはまだ日本で知る人のほぼいない小さなブランド。26歳当時の葛西氏が選んだのは、右肩上がりのカルティエで安全な人生を送るよりも、自分の力で新しいブランドを育てることに挑戦し続けることだった。その後も多数の有名ブランドを世に送り出しながら、しかし一時的に葛西氏はブランドと間接的に関わるコンサルティング業務の道を選ぶ。理由は、ブランドを育てることの経済的、体力的な厳しさを痛いほど知ったから。だが結局、周囲に押され、ウェスティンホテルからも声がかかり、導かれるような自然の流れで、30もの独立系ブランドを扱うノーブル スタイリング ギャラリーを営む今に至る。「いろいろと悩みに悩んできたけれどね。やらないで後悔するより、やって後悔する人生が僕は良かったんですよ」。まるで時計人生の天命を受けたような、まぶしい生き方を見た。

高井智世


カルティエの歴史と基礎知識。注目モデルや選び方をチェック

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2020年 カルティエの新作時計

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