2020年6月10日は、時の記念日制定から100周年を迎える。これを記念した特別連載を全3回にわたって掲載する。第2回は「世界と日本の標準時の仕組み」を国立研究開発法人情報通信研究機構(National Institute of Information and Communications Technology/NICT)主席研究員の細川瑞彦氏の解説でお届けする。
日本の時間は兵庫県明石市を通る東経135度の子午線上での時刻に統一されている。この時間の大本となる標準時を日本で維持管理しているのが、東京都小金井にある「情報通信研究機構」(略称:NICT)だ。ここでは1972年より「協定世界時+9時間」の日本標準時が決定、維持されてきた。「うるう秒」が採用されたのもこの時からである。NICTが通報する標準時は、日本全国で電波時計の元となる標準電波の送信や、ネットワークでの配信に加え、日本放送協会(NHK)といった放送局やNTT(117)の時報に用いられるなど我々の暮らしと深い関係にある。しかしそれがどう維持運用、高度化してきたかといった裏側まで知る人は少ないのではなかろうか。時の記念日100周年にあやかり、長年にわたってこの研究開発に世界的な貢献をしてきた細川氏に聞いた。
日本標準時を司る場所、NICT
情報通信研究機構(以下、NICT)が標準電波などから配信している標準時は「日本標準時」と呼ばれている。私がNICTの前身である通信総合研究所に入所した1990年にはすでにそう呼ばれており、この言葉がいつから使われ始めたかは不明だ。標準時の変遷は、日本でも世界でもかなり複雑な経緯がある。しかし、現在の制度による日本標準時の始まりは、はっきりと分かる。それは1972年1月1日から始まる、新たに定められた協定世界時をNICTが発生させた標準時に9時間を加えたもの、ということだ。とはいえ、これだけではかつての私同様、知らない方は「何のことやら」と思われるだろう。少し長くなるが、そこへたどり着く経緯について説明させていただきたい。
秒の定義と標準時
古来長く使われてきた「標準時」は、地球の自転、つまり我々からすると太陽の日周運動に基づくものだった。地球の自転軸は公転軌道面に対して傾いており、また公転軌道は楕円であって1年の間に太陽に近付いたり遠ざかったりするために、太陽の南中時刻はやや複雑な季節変動をする。このため仮想的に1年の動きを平均化し、平均太陽時と呼ばれるものを決めてきた。その基準として有名なのがグリニッジ平均時であり、これを受け継いだ世界時というものが1920年代から議論され、1930年代から国際的に使われ始めた。
ところがちょうどその頃、あるいは少し前から機械式時計の精度が大きく向上し、また水晶時計も開発され、地球の自転はごく僅かながらふらつき変動しているということが分かってきた。そのふらつきの程度は、量的にはおよそ1億分の1程度。1年を秒で数えると3千万秒ちょっと、3年がほぼ1億秒になるので、およそ3年に1秒程度の変動である。これは一般的な利用にはまず気にならない程度だが、精密科学ではより良い基準が求められるものだ。1950年ごろからは、月や惑星を取り入れた地球の公転運動を基準にする議論が天文学者を中心に進められ、これによりもう2桁くらいはふらつきが減らせるということが分かってきた。これらの議論を経て、時間の単位である秒の定義を、地球の自転に基づくものから公転運動に基づくものに変更することが、1960年の国際度量衡総会で決められた。この公転運動に基づく時間は、暦表時(れきひょうじ)と呼ばれている。
しかしさらに1967年、秒の定義はセシウムという原子を用いた原子時計に基づくように変更された。1950年代から進められていたさまざまな原子時計の研究開発により、こちらの方がより正確でかつ便利だということが分かったのだ。
協定世界時の変遷
このように正確さを求めて時間の単位がさまざまに変遷する中で、新たな定義を地球の自転に合わせるような工夫をした、協定世界時と呼ばれるものが議論されるようになってきた。一般に使われる標準時は地球の自転に基づいた、もっとあらわにいうと日の出日の入りに結び付いた世界時が良いという意見が多かったのではないかと私は想像する。当時、時刻の世界的な同期の重要性を一番感じていたのが無線通信の分野だったのではないだろうか。協定世界時の案には当初、せっかく定めた秒の定義を歪めるような点もあったが、現在の電気通信連合無線通信部門(ITU-R)の前身である無線通信諮問委員会(CCIR)はこれらの問題を解決して、無線通信の標準時となるような新たな協定世界時を定めることを1970年に勧告した。これが採択され、1972年1月1日から各国の標準電波で送信されることになった。
この協定世界時には、世界時から大きく異なることのないように次の2点が定められた。時間の単位には、原子時計で定義される正確な秒を使うこと。そして常に世界時との比較を行い、その差が0.9秒(最初は0.7秒とされたが後に許容範囲が広げられた)を越える前に、1秒単位でのうるう秒と呼ばれるものを挿入または削除することである。ちなみに、協定世界時に対する世界時の変動を観測し、うるう秒の有無を決定するのは、国際地球回転・基準系事業(IERS)と呼ばれる国際組織だ。
日本もこの勧告に従い準備を進め、法的には当時の郵政省が、協定世界時に9時間を加えたものを日本の標準時として標準電波で通報すべし、という告示を出した。9時間とは、兵庫県明石市を通る東経135度と、グリニッジを通る東経0度との時間差である。これが1972年1月1日から施行されて、通信総合研究所(CRL)のさらに前身、電波研究所(RRL)で協定世界時を定め、日本標準時として今も通報されている、という次第である。
協定世界時、国際原子時、そして日本標準時の定め方
これで「めでたしめでたし」となれば良いのだが、さらにもう少し複雑怪奇な事情が実はある。協定世界時というのは、誰がどうやって決めるのか、ということがまず問題だ。原子時計による標準時として、国際原子時(TAI)と呼ばれるものが1958年から作られ続けている。当初は世界で3台の原子時計の時刻を平均化したと聞いているが、徐々に増えて今では世界中の標準機関の持つ原子時計400台以上のデータを解析して作られている。このシステムは数年前に亡くなられた国際度量衡局(BIPM)元時間部門長のB.ギノー氏という方が、BIPM時間部門と、その前身である国際報時局(BIH)において早い時期から構想し実現したものと聞いている。詳細はここでは省くが、その概要は、世界中の原子時計データから定常的に時刻比較し、集まったデータ1ヵ月分を解析して決めるというものだ。NICTの原子時計群もこれに参加している。
この国際原子時にうるう秒調整を行ったものが協定世界時ということだ。ところが、国際原子時も1ヵ月分のデータの解析から決められるものであり、今すぐの国際原子時は決まっていない。よって協定世界時も今現在は何時、と言われても決まっていないものである。国際原子時と協定世界時は現在、BIPMから毎月10日前後に先月分が発表されている。しかしそれぞれの国では、協定世界時(UTC)の発表を待って標準時を通報するというわけにはいかないので、各標準機関が独力で協定世界時に準ずるものを作っている。
これが一般にUTC(k)と呼ばれるもので、kには個別の機関名が入る。例えばNICTが作っているUTC(k)は、UTC(NICT)と呼ばれるものである。毎月のUTCの発表は、各国のUTC(k)がUTCに対していくらずれていたかを示す形で行われる。ずれが大きくなってきたと思ったら、その機関はわずかに進み方を調整して翌月には合うようにすれば良い。UTC(k)は、各機関がその機材や能力に応じ、自由なやり方で定めて良い。しかしUTCとのずれに対し、ある程度の範囲に収まるようにという勧告が出されているものである。それが守れなかったからと言って何か罰則があるわけではないが。勧告値は、30年ほど前には100万分の1秒以内であったものの、原子時計や時刻比較の精度向上に伴い、確か20年くらい前から1000万分の1秒以内とされた。精度の良い原子時計の数を十分に持っていて、毎日でも高精度な国際時刻比較をしていればこれはそう難しい値ではない。直近10年ほどは十前後の機関がほぼ1億分の1秒以内を保っており、NICTもそのうちのひとつだ。
初期の日本の原子時計は、長波の電波を使って欧米と比較されていたが、比較精度が足りずに国際原子時には実質組み入れられなかったようである。現在は、測位衛星や通信衛星を用いることで10億分の1秒から100億分の1秒程度の定常的な国際時刻比較が可能となった。日本が国際原子時に貢献できるようになったのは、最初の測位衛星システムであるGPSをうまく使えるようになった1980年代半ばからだったと聞いている。
以上の通り、こうしてNICTが独自に作っているUTC(NICT)に9時間を加えたものが、現在「日本標準時」と呼ばれているものである。これを基準として電波時計のための長波標準電波やネットワークなどの時刻情報をさまざまな手段で皆様の元へお届けしているということだ。だいぶ長い紆余曲折があったが、最初に述べたのではチンプンカンプンだったことがこれで少しは分かっていただけただろうか。あるいはその紆余曲折に呆れられたかもしれないが。
日本標準時の性能維持には、原子時計の中でも特に一次周波数標準器と呼ばれる正確さに特化したものの高性能化や国際時刻比較の高精度化、そして原子時計集団のデータからどうやって各原子時計の重み付けをして標準時を決めるかという時系アルゴリズムの研究などさまざまな要素が絡み合っている。また、供給についても長波局との時刻の同期精度の向上、ネットワーク配信の遅延やより利用しやすい提供方法など多くの問題がある。
NICTには、時空標準研究室というところがあって、これら日本標準時を維持供給し、時間と空間の高精度計測などの課題に取り組み続けている。そんな機関があるんだということを知り、我々の活動に興味を持ってもらえたなら幸いである。
著者
細川瑞彦(ほそかわ みずひこ)
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)主席研究員
1988年、東北大学大学院理学研究科修了 理学博士。1990年、通信総合研究所(現情報通信研究機構)へ入所、2000年に同機構の原子標準研究室長へ就任。入所以来、超電導技術や時空標準技術の研究開発に従事。特に後者においては、相対論効果、セシウム一次周波数標準器、光周波数標準、標準時の構築と供給などさまざまな研究開発と、標準時の維持、長波局の設立、標準供給の国際相互承認などの業務に取り組んできた。2008年から11年までアジア太平洋計量計画で時間周波数技術委員会の委員長、2012年から15年まで国際天文学連合時間委員会の委員長を務める。2016年にNICT理事就任、2020年4月より現職。
https://www.webchronos.net/features/47368/
https://www.webchronos.net/news/47269/