英国を代表する独立時計師、ロジャー・W・スミスに聞く“魔法の時計作り”

FEATUREWatchTime
2021.06.21

ジョージ・ダニエルズの愛弟子であったロジャー・W・スミスは、現代の最も偉大な英国人独立時計師のひとりとみなされている。今回は、師匠ダニエルズが時計づくりにおいて重要視していた「伝統的手法」を受け継ぎ、マン島の周囲と隔絶した環境の中で手作りによる時計製作を行うスミスとのインタビューを通して、彼の“魔法の時計作り”の真髄に迫る。

Originally published on watchtime.com
2020年6月掲載記事

ロジャー・W・スミス

ロジャー・W・スミス

ロジャー・W・スミス。ジョージ・ダニエルズ最後の愛弟子にして、現代における最も偉大な英国人時計師と称される。2001年より自身の工房を設立。師匠であるダニエルズと同様、手作業による昔ながらの時計製造が作品の特徴。年産10本程度のため納期は3年以上、かつ販売価格は15万ドルを超えるが、世界中に彼の熱狂的なファンがいる。


ジョージ・ダニエルズ最後の愛弟子

 時計師から時計愛好家に至るまで、時計に関わるすべての人から尊敬を受けるジョージ・ダニエルズ。その秘蔵っ子として、ロジャー・W・スミスはこの10数年来、師匠亡き後の英国における才能ある時計師達の中心人物と考えられてきた。そんなスミスは今年、同国の時計業界にもたらした功績をたたえられ、大英帝国勲章を受勲している。

 大手のブランドが新規顧客を求めて新しいアイデア探しに奔走しているのと対照的に、「ロジャー・W・スミスの時計を手首に」と望む顧客は注文から納品まで約3年待たねばならない。そして「ダニエルズの手法」にのっとって作られるスミスと彼のチームによるタイムピースは15万ドル以上の価格設定がされている。

 すべての部品はマン島にある工房で、量産機械や自動工具を使わずに素材から作り出されている。大企業の組み立て工程の基準とは異なり、ここではひとりの時計師がダニエルズの手法に沿った手作りの時計製作ができるように、32〜34の技術をマスターする必要がある。スミスが自身の工房を立ち上げたのは2001年、「手作業だけによる時計作りの確固たる信念をもって」のことだった。1本の時計作りに費やす時間は12カ月。「シリーズ2」の文字盤を作るだけで2週間が必要となる。

ロジャー・W・スミス

左より順にシリーズ1から4が並ぶ。シンプルな3針モデルから息をのむトリプルカレンダーまでがそろう。

「結果として生産本数は非常に少ない。1年間につくれる時計は10本でしょう」と昨年9月にドバイ ウォッチ ウィークのフォーラム会場で捕まえた優しい語り口調の時計師は語る。「今後は新しい工房で追加のスタッフと装備が必要となるでしょう。5つのモデルを対象に年産13本に上げる必要があると感じています」とも。


実は多い英国出身の偉大な時計師

 スミスはダニエルズが11年に85歳で逝去したのに伴い、彼の遺言により工房を受け継いでいる。「うちの工房で年産50本や100本ということはあり得ません。現在工房で採用しているダニエルズの手法をその数でこなすのは単純に不可能ですし、今のやり方で行うことが私にとってはとても重要なのですから」とスミスは語る。現代の機械式時計の聖地といえばスイスだが(一部の愛好家にはドイツの町グラスヒュッテがその栄誉を受けるべきだと異議を唱える者もいるだろうが)、時計作りにおける最も重要な発明は英国人時計師に帰属することにも目を向けるべきだと思う。

 簡単にまとめると、ヒゲゼンマイはロバート・フックによって1664年に発明され、鍵なしの巻き上げが時計づくりにもたらされたのは1820年、トーマス・プレストによってだった。もっと最近では、ジョージ・ダニエルズがコーアクシャル脱進機を1974年に発明し、過去250年間でも最も重要な時計関連の発明とみなされている。

ロジャー・W・スミス,シリーズ3

ロジャー・W・スミス「シリーズ3」
スモールセコンド+時分針の3針にレトログラード式の日付表示を備える「シリーズ3」。同作からも19世紀の英国製懐中時計の特徴が色濃く反映されている。手巻き。1万8800振動/時。18KRG(直径40mm)。

 英国での時計作りが斜陽になったのは1850年代、産業革命の時代であった。英国人時計師はアメリカの安く、工業化された懐中時計と折り合いがつけられなかったのだ。「高品質のアメリカ製懐中時計が英国製の三分の一の値段で手に入り、そこから英国の時計作りは落ち込んでいったのです」とスミスは言う。次の決定的な出来事は20世紀にスイスが腕時計の製造工程を工業化したことであった。その頃には、英国での時計作りの技術は廃れ、時代の流れの外に置かれることとなった。

 とはいえ、過去十数年の間、英国ブランドの台頭は著しい。航空会社のマーティン・ベイカーとコラボレーションを果たし、パイロットウォッチを中心に多くのスポーツウォッチを手掛けるブレモンは主流に乗ろうとしているし、チャールズ・フローシャムやバーミンガムを拠点とするストラザースのようなブティックブランドが職人気質の時計作りの旗を掲げている。しかしこの十数年でいえば、ロジャー・W・スミスほどの英国人時計師はいないであろう。

「非常に難しいと思います。国にとって一度失われた産業を再度復興させることは、非常に難しい」とスミスは語る。「もちろん人を雇用し、トレーニングを私たちのやり方で行います。いつか私の工房出身者が独立し、自身の工房を構えるといいなと思っています。最初はどんなことも小さな規模ですが、変化は起こります。ストラザース、ブレモン、フローシャムは自身のやり方を進めています。どれもが小さなステップですが、時計業界にとってはいいことばかりです。私が始めたころは、英国にはジョージ・ダニエルズしかいませんでした。スイスにはデレク・プラットがいましたけれど」

ロジャー・W・スミス,シリーズ3

ムーブメントには英国スタイルの伝統的な仕上げが施されている。際立ったバレルブリッジやバランスコックなどが英国風のフローラルデザインで装飾されている。

 大手の時計作りには、生産ラインという考え方が定着し、正しい技術を身に着けた職人を見出すことは一層難しくなっている。もちろん、それはスイスにだけ見られる現象ではない。「仕事をしたいと言ってくる人は常にいるのですが、適性のある人たちをきちんと見つけ出すことが難しくなっています。適性のある人たちとは、私だけからでなく自身からも学ぶ姿勢を持ち、自らの技術を発展させたいと思う人たちです」とスミスは語る。ひとりで仕事をすることを好むフィリップ・デュフォーと異なり、スミスの厳格なやり方は若い見習い職人たちとの関係性を近くする。スミスは他の人と仕事をするのが好きだという。「見習いたちに適切なトレーニングを行うと、いい結果が出るのです。そのプロセスが好きですね。」