愛好家がコレクションと共にひもとく、ブライトリング「クロノマット」の魅力

2020.06.18

機械式時計復権の立役者にして、ブライトリングのフラッグシップモデルである「クロノマット」。長年愛好家を魅了してきた同モデルは2020年、アーネスト・シュナイダー時代のクロノマットをよみがえらせたようなディテールを持つ「クロノマット B01 42」に進化した。本誌読者であり、大の時計コレクターとしても知られる白苺氏が、豊富な知識と自身のコレクションから得た経験を基に、歴代クロノマットの魅力をひもといていく。


吉江正倫:写真
Photographs by Masanori Yoshie
白苺:文
Text by Shiroichigo

クロノマットと機械式時計の復活前夜

 スイスの時計メーカー、シクラを経営していたアーネスト・シュナイダーは、1979年にスイスの名門時計ブランド、ブライトリングを買収した。ブライトリングはすでにパイロットクロノグラフの分野で特に知られており、回転尺を備えた「ナビタイマー」や「クロノマット」が別して有名だった。

 それらの高品質なラインには好んでコラムホイールクロノグラフムーブメントの傑作ヴィーナス175や178を用いていた。その頂点はヴィーナス185スプリットセコンドクロノグラフを備えた「デュオグラフ」と言えるだろう。歴史的な名作の中でも、特に有名であった世界的な航空機のオーナーとパイロットのための組織、AOPA(Aircraft Owners and Pilots Association)のために製造されたナビタイマーは近年実に見事な形で復刻され、高い人気を集めるコレクターピースとなっている。

ブライトリング「クロノマット」
1942年に登場した初代クロノマット。当時は回転計算尺付きのツーカウンタークロノグラフだった。のちに初代クロノマットの意匠はモンブリランが受け継ぐことになる。

 アーネスト・シュナイダーがブライトリング買収以前に経営していたシクラは、例えばヴァンドームに居を構えるような高級メゾンではなかったが、クォーツムーブメント搭載の「スタントウォッチ」の製造に成功していたため、当時吹き荒れていた“クォーツショック”を乗り切ることに成功していた。

 一方、ブライトリングは、60年代末の自動巻きクロノグラフ開発競争の際に「クロノマティック」陣営に参加した。クロノマティックはマイクロローターを用いるなど意欲的な自動巻きクロノグラフムーブメントだったが、同時に参加していたホイヤーなども経営母体が変わるなど、総じてその後の展開には恵まれなかった。ブライトリングは自動巻きクロノグラフ競争に引き続き、ケースは従来のまま、デジタル表示を取り入れた「ナビタイマー クォーツLCD」を出すなどクォーツに対しても積極的な態度を示したが、経営状況は非常に厳しいものとなっていた。

 シュナイダーがブライトリングを引き継いだ際、周囲の人々はブライトリングの経営を傾けた(と当時は考えられていた)機械式クロノグラフに手を出さず、クォーツ時計でブランドを継続するようにアドバイスした、と言われている。実際ストックしていたブライトリングのパーツなどは他社に売却され、その後売却先で少数製造されたものもあった。そして実際、買収当初のシュナイダーは「ジュピター」などのクォーツ時計を発表して機械式クロノグラフの製造をただちに行うことはなかった。

 しかし、シュナイダーの本意は周りの言いなりになるのではなく、ブライトリングにかつての名門の地位を取り戻すことにあった。まずシュナイダーは、スイスのモジュール開発などに優れていた複雑時計工房であるケレックを80年に買収した。ついで彼は、82年のイタリア空軍、フレッチェ・トリコローリのパイロットクロノグラフの公募に応じたのであった。

ブライトリング「フレッチェ・トリコローリ」
1983年にイタリア空軍に納品されたクロノグラフ。20Gの耐衝撃性能を誇る。ここから細かな仕様変更をして、翌84年に発表されたのが「クロノマット」である。

 このエピソードが取り上げられる際、よく廉価なシクラを製造していたシュナイダーが高級機械式時計にチャレンジした、という観点で語られることがある。しかし、筆者はその解釈には疑念を持っている。シュナイダーはよく知られる通り軍人だったが、後のブライトリングのイメージと異なり、空軍パイロットであったわけではなく、通信部隊を指揮する高級将校であった(だからこそ正確な時間や情報の重要性を知っていたのかもしれない)。そのためか、決して高級なムーブメントは用いなかったものの、シクラのコレクションには回転尺を装備した実にダンディーなデザインなダイバーズウォッチもラインナップされていた。ブライトリングの指揮を取るようになってから唐突にミリタリーテイストを持つ高級時計に目覚めたのではなく、彼には、元々その素養と経験があったと思われるのだ。

 その一方でブライトリングもまた、先に挙げたような傑作高級コラムホイールクロノグラフ、ヴィーナス178や175を用いたクロノグラフばかりを製造していたわけではなかった。よく見られる「トップタイム」などの通常ラインには廉価版のカム作動式クロノグラフ、ヴィーナス188やバルジュー7733も多く採用していた(なおトップタイムにもヴィーナス178を用いたものも多くある。為念)。そういった意味で、シュナイダーとブライトリングの組み合わせは、お互いが歩み寄るのに、ちょうどよい、理想的なカップリングだったように思われる。


コレクションで振り返るクロノマットの代表的モデル

 さて今回の本題のクロノマットについて始めさせていただこう。オリジナルのクロノマットは、ブライトリングが一族経営を行っていた時代の3代目、ウィリー・ブライトリングによって42年に作られた。これはツーカウンターのヴィーナス175が搭載され、回転計算尺を備えた素晴らしいパイロットクロノグラフだった。なお回転計算尺にスリーカウンターダイアルのヴィーナス178を合わせたナビタイマーが登場したのは52年であり、クロノマットはナビタイマーよりも先達になる。

 当時のクロノマットは非常に人気の高いコレクションだったが、同社のナビタイマーや、他社で言うオメガ「スピードマスター プロフェッショナル」やロレックス「コスモグラフ デイトナ」のような安定したイメージは持てなかった。

 ナビタイマーには有名な漆黒のダイヤルにAOPAのウィングマークのついた今なお有名な“AOPAモデル”や、それ以外でも特徴的な黒文字盤にシルバーもしくはゴールドのインダイアル、そこにツインウィングのロゴが付くアイコニックなデザインを確立していったのに対して、クロノマットはむしろブライトリングのパイロットクロノグラフのオリジナルでありながら、文字盤やケースのバリエーションが多かったのだ。70年代にサイケデリック調が流行して時計が巨大化した時代には直径46mmのモデルでさえ登場したのである(それはそれでなかなかスタイリッシュな時計なのだが)。

 シュナイダーがブライトリングの機械式クロノグラフを復興する際に、クロノマットの名前を選択したのが、ブライトリングのパイロットクロノグラフのルーツに当たるからなのか、もしくはナビタイマーのイメージはデザイン上固まりすぎていた上に、売却した残存部品を使って他社でナビタイマーの生産が続いていたこともあるのかは定かでない。しかし、とにかくシュナイダーは「クロノマット」という名前を、新しいクロノグラフのために選択したのであった。