過酷な環境への挑戦
大深度で掛かる想像を絶する水圧や氷点下をはるかに下回る低温度など、装着者の生命活動すら困難な環境下においても計時という任務の遂行を求められるエクストリームウォッチ。今回はそんな、尖ったスペックを持つ特別な時計たちをクロノスドイツ版の記事からピックアップし、再編集してお届けする。また、本特集ではエクストリームウォッチの紹介だけではなく、これら圧倒的スペックが実際に必要とされる環境に身を投じる冒険家へのスポンサー活動や、冒険家が挑戦するためのステージである「大自然」を保全していくブランドの取り組みも併せて取り上げたい。
岡本美枝:翻訳 Translation by Yoshie Okamoto
エクストリームウォッチの起源を探る
ダイバーズウォッチの誕生
1953年、ブランパンは潜水時間を表示する回転ベゼルを備えたダイバーズウォッチを発明した。フィフティ ファゾムスと名付けられたこの時計は、今日もなお高い人気を誇る。
フィフティ ファゾムスは今日、ブランパンで最も人気のあるモデルのひとつである。フィフティファゾムスは、水中で不用意に動かないようにロック機構が装備された回転ベゼルを持つ世界初のダイバーズウォッチという点で、歴史的にも意義深い。回転ベゼルによってダイバーは、水中での経過時間を容易に確認することが可能だ。潜水を開始する前に、回転ベゼルにある蓄光塗料を施したスクエア型のドットを分針に合わせておくと、すでにどのくらい水中に滞在しているか、読み取ることができるのである。
1954年に発表されたロレックスのサブマリーナーとともに、フィフティ ファゾムスはダイバーズウォッチの礎を築いた。サブマリーナーの回転ベゼルが両方向に回転し、セーフティー機構も有していなかったのに対し、ブランパンのベゼルは押した状態でないと回らないように開発された。ベゼルが不用意に動かないようにロック機構を備えることで、ブランパンは時代の一歩先を行っていたのだ。
フィフティ ファゾムスが誕生した背景には、フランス海軍による要求とダイビングを愛する当時のブランパンCEO、ジャン- ジャック・フィスターの情熱があった。ロベール・〝ボブ〞・マルビエ大尉がフランス海軍に特殊潜水部隊を創設したのは52年のことである。このエリート部隊に入ることを許されたのは、器用で忍耐強く、高い遂行能力を備え、厳しい訓練にも耐えられる男たちだけだった。当然のことながら、装備品も彼らの能力に劣るものであってはならない。隊員に必要なのは、水中の過酷なミッションでも故障しない、屈強で頑丈な時計だからである。マルビエ大尉はこうした高い要求に応えられる時計を作れるメーカーを探していた。彼の要求はいくつもの時計メーカーが道半ばで諦めるほどの難題で、フランス・ブザンソンのある時計メーカーは、マルビエ大尉の求める時計には「未来がない」と言ったほどである。
そして、マルビエ大尉はブランパンと出合うことになる。ついに正しい〝住所〞にたどり着いたのだった。1950〜80年までブランパンのCEOを務めたジャン- ジャック・フィスターはダイビングの熱烈な愛好家であり、チャレンジ精神にあふれる人物だった。マルビエ大尉は後に、次のように回想している。「最終的に、私たちのプロジェクトに賛同してくれたのは、当時はまだ小さな時計工房だったブランパンである。黒文字盤、大きく太い数字や三角形や円、四角で構成された明確なインデックスを備えた時計は、さらに、文字盤のインデックスを引き継ぐ回転リングも備えていた。私たちは、潜水の前にベゼルを大きな分針に合わせ、潜水時間を読み取れるようにしたいと考えていた。また、すべての表示要素が発光するようにしたかった」。
ブランパンはマルビエ大尉の要件のすべてに応える時計を作り上げた。黒い文字盤にはコントラストの明確な、暗所で明るく発光する数字とバーのインデックスが配された。刻み目が付いて扱いやすいベゼルのリングも黒で、夜光塗料を施した数字とインデックスを備えていた。53年の初代モデルはすでに、後にコレクションへと成長するフィフティ ファゾムスの典型的な特徴を備えるものだったのである。
50ファゾムス
初代フィフティ ファゾムスの丸いケースは直径42㎜と、小ぶりな時計が好まれていた当時にあっては巨大だったが、シンプルで堅牢なラグを備えていた。時計は潜水に適した防水時計として設計されており、水深50ファゾムス(≒91.5m)の水圧に耐える防水性能を有していたことから「フィフティ ファゾムス」と名付けられた。ファゾムは英国の長さの単位で1ファゾムは約1.83mに相当する。こうした高い防水性能は、ねじ込み式裏蓋と新たに開発された二重パッキンによる密閉構造のリュウズシステムによって実現した。ねじ込み式リュウズは当時、ロレックスの特許技術だったために使用できなかったのである。Oリングに負荷が掛からないよう、リュウズを引き出す頻度を減らすため、フィフティ ファゾムスには自動巻きムーブメントが搭載された。このムーブメントは軟鉄製のインナーケースによって磁気の影響から守られている。なおブランパンは、前述の不用意に動かないように固定された回転ベゼルの技術に特許を取得した。これはすなわち、他の時計メーカーにとって、独自のテクノロジーでこの問題を解決しなければならないことを意味していた。
フィフティ ファゾムスがフランス海軍の特殊潜水部隊で高い信頼性と堅牢性を証明したことから、イスラエルやスペイン、アメリカ、旧西ドイツなど、他の国の海軍もブランパンの時計を装備品として使用するようになった。
フィフティ ファゾムスは、57年の第29回アカデミー賞において長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した映画「沈黙の世界」の製作で海洋探検家のジャック=イヴ・クストーとルイ・マル監督に同行し、一躍有名となる。軍以外でも、ブランパンの時計は重要な計器とみなされるようになり、潜水器材の専門店で販売されるようになった。こうした専門店ではブランパンのモデルの多くが「アクアラング」といった潜水用具のブランド名で販売されていた。
フィフティ ファゾムスの外観はその後、70年代の半ばまでさまざまな変遷をたどり、トノー型ケースのモデルや、バーインデックスや先端の尖った針を備えて登場したこともあった。
そして、70年代のクォーツウォッチの台頭と普及の影響による休止期間を経て、97年にフィフティ ファゾムスが再び登場する。復活を遂げたフィフティ ファゾムスはメタル製ベゼルを備え、その上に数字とインデックスが浮き彫りされていた。2007年には、新時代のフィフティ ファゾムスの原型となる現行モデルのファミリーが発表された。逆回転防止ベゼルの表面プレートはドーム型のサファイアクリスタルでカバーされ、スケールが下から印字されている。ブランパンはこうしてオリジナルモデルのベークライト製スケールに似た外観を再現した。一方で、ムーブメントの構成部品は堅牢さが格段に増し、防水性も300mに引き上げられた。
約5日間のパワーリザーブを備えたムーブメント
06年に手巻きキャリバー13R0がデビューした後、これをベースとして新生フィフティ ファゾムスになってからふたつ目となる自社製ムーブメント、キャリバー1315が発表された。スポーツウォッチ用の堅固な自動巻きムーブメントとして設計され、直列に接続された3つの香箱が約120時間のパワーリザーブを生み出す。歩度の調整機構は緩急針からフリースプラングに変更されたため、衝撃に極めて強い構造になっている。フィフティ ファゾムスの伝統にならい、キャリバー1315は軟鉄製のインナーケースによって磁気の影響から守られている。
ブランパンは3針モデルをベースに、さまざまな複雑機構を加えることで、徐々にフィフティ ファゾムスを現在のようなバリエーション豊かなコレクションに育てていった。最初に追加された機構はフライバッククロノグラフである。ストップ、リセットを経ることなく、新たな計時を開始することができるフライバッククロノグラフは、特別なパッキンを備えたプッシャーにより、水中でも操作することができた。さらに驚くべきは、約8日間のパワーリザーブとトゥールビヨンを組み合わせたキャリバー25Aを搭載する「フィフティ ファゾムス トゥールビヨン 8デイズ」だ。また、ムーンフェイズ付きコンプリートカレンダーやコンプリートカレンダー付きフライバッククロノグラフ、そして、18年に初めて導入されたアニュアルカレンダーも、ダイバーズウォッチの分野においては珍しい機能である。この他、大型日付表示、曜日表示、セカンドタイムゾーン表示を備えたモデルもラインナップされている。
中でも、11年に発表された「X ファゾムス」は、まさに最もセンセーショナルなモデルと言えよう。ここで追加された機械式水深計はコンプリケーションに属する機構だが、ダイバーにとっては実用的である。オレンジ色の目盛りが用いられる90mスケールの深度計では、現在の深度をオレンジの針で示し、赤い短針で最大到達記録を指す。また、深度15mまではアワーマーカーの外周に青とオレンジの目盛りで描かれた15mスケールの深度計によって、±30㎝の高精度で計測してくれる。
10時と11時の間に配置されたレトログラード方式のカウンターでは、減圧停止と安全停止のタイミングを測ることができる。10時位置のプッシャーを押すと測定が始まる。飽和潜水用のヘリウムエスケープバルブや300mの防水性能、また、海水に強いチタン製ケースなど、X ファゾムスは潜水時に想定しうるあらゆる状況に対応する。この時計の生みの親は、フィフティ ファゾムス誕生当時のCEOと同様にダイビングを愛する、現在の社長兼CEO、マーク・A・ハイエックである。
さらなる深度へ挑戦するのは、1000mの防水性能を備えた「500 ファゾムス」である。セカンドタイムゾーンを備えた「500 ファゾムス GMT」ならバカンスにも最適だろう。フィフティ ファゾムスのコレクションにはこの他、大型日付表示や曜日表示など、シンプルな機構を備えたモデルもある。ブランパンはさらに、自社の歴史から特別なモデルを次々と復刻している。17年に発表されたRef.5008-1130-B52Aがその一例だ。これはアメリカ海軍に納品されていた1957年のミリタリー仕様「Mil-Spec1」をオリジナルとするオマージュモデルだ。Mil-Spec1には、水密性表示機能として、ケース内に液体が浸入すると白い部分が赤くなるディスクが文字盤の6時位置に配されていた。そしてオマージュモデルにももちろん、この機能が搭載されている。
時代を反映した豊富なコレクション
ブランパンはさらにもうひとつ、人気のモデルを復刻した。フィフティ ファゾムス「Bund No Radiation」へのオマージュモデルでは、そのオリジナルモデルと同様に、バツ印を付けた放射線マークが文字盤の6時位置に配されている。このシンボルは当時、夜光塗料の材料に放射性ラジウムが使用されていないことを示すものだった。
フィフティ ファゾムスのコレクションでは、カラーや素材の上でも豊富なバリエーションが用意されている。ストラップやブレスレットを含めると、ブランパンのホームページに現在ラインナップされているフィフティ ファゾムスは73種類に上る。伝統カラーのブラックに加え、グレーやブルーの文字盤もあり、レディースモデルとして明るいカラーのマザー・オブ・パール文字盤や白文字盤のモデルもある。ケースには、ステンレススティール、チタン、ゴールドに加え、セラミックスも用意されており、カラーはブラック、グレー、ブルーと豊富である。ブランパンは、ブランパン オーシャン コミットメントと共同で海洋保護活動を行っており、この海洋保護協会に幾度となく限定モデルを提供してきたが、ここではほとんどのモデルでブルーカラーがテーマとなっている。
デザインのエクステンションとしては、スポーツアクティビティモデルとして登場した「フィフティ ファゾムス バチスカーフ」が挙げられる。初代フィフティ ファゾムスのドーム型のプレキシガラス製ベゼルはなく、1956年の同名モデルをベースとしている。復刻モデルでは、フラットな回転ベゼルがセラミックスで出来ており、数字のフォントや針も通常のフィフティ ファゾムスとは異なる。今後、フィフティ ファゾムスのコレクションからどのようなモデルが生まれるか、我々の興味を刺激してやまない。