常識にとらわれずゼロから開発した 新世代メカニカルCal.9SA5
2009年にキャリバー9S8系を完成させた設計者たちは今回、機械式時計の在り方を根本から見直そうと考え、ゼロから新型ムーブメントを創り上げた。9SA5の設計を監修した藤枝久氏は「腕時計設計の常識をすべて疑ってみること」だと語る。もっとも基本的な構成は今の自動巻きのトレンドに即したものだ。地板を拡大し、自動巻きと輪列を同じ階層に置いて機械を薄くする。そして、ツインバレルでパワーリザーブを増やす。耐衝撃性の高いフリースプラングの採用も、今の高級機の方向性に合致するものだ。
そこに、藤枝氏率いる設計陣は常識外れの設計を盛り込んだ。まずは脱進機。「デテント脱進機は効率が80%と高い半面、安全性がない。では、真逆の脱進機とされるスイスレバー脱進機とデテント脱進機を合わせればいいと思った」。ちなみに、こういう「折衷型」の脱進機は、他社も採用している。違いは考え方だ。
「10振動では軽さが何より重要でした。石数が少なく簡潔なスイスレバー脱進機は、軽くて実効率は案外良いのです。また、脱進機の片振りはゼロでなければいけないと言われていますが、あえて片振りを持たせました。あれはスイスレバー脱進機の常識でしかない」。あえて片振りを持たせたのは、デテント脱進機の問題である自起動性を改善するため。
「片振りをずらすと自起動してくれるんです。精度調整時に自起動しやすい片振り量を狙って追い込んでいます」。脱進機の作動角は0.8度と0.4度に分かれているため、よく見ると秒針の動きは一定になっていない。この高精度機が、普通でないことを明かすひとつのポイントだ。 新しいヒゲゼンマイも、やはり常識破りのものだ。「従来の理論式では特殊な形状のヒゲゼンマイは計算できませんでした。何が理想なのか調べるため、新たな計算方法構築から始めるしかない」。8万通りを超えるシミュレーションの結果、藤枝氏は次の結論に至った。「ヒゲゼンマイは同心円状に広がるのが良いとされているが、その理由が見つからなかった」。ヒゲゼンマイの中心にこだわらなければ、ヒゲゼンマイの設計は別物になるだろう。「ヒゲゼンマイの内側に内端カーブを付けてもいいけど、期待したほど12時位置を上向きにした時の姿勢差を改善できなかった」。藤枝氏が至ったのは、外端カーブを巻き上げる巻き上げヒゲで、ヒゲゼンマイの巻き込み角を変えること。水平方向と垂直方向にヒゲゼンマイの形状を変えながら、ベストの構造を割り出していった。
フリースプラングも常識外れだ。衝撃に強く、等時性に優れるフリースプラングだが、その調整は煩雑で難しい。グランドセイコーが今なお緩急針を使っている一因だ。しかし、巻き込み角とヒゲゼンマイ末端の回転や移動に関する知見を得た藤枝氏は、新しいヒゲゼンマイならば、ヒゲ持ちを動かすことで等時性を調整できることに気づいた。等時性を調整できる世界初の機構。名称を「グランドセイコーフリースプラング」として強調したのも納得だ。
設計の基本を押さえた上で、根底から精度の在り方を見直した9SA5。最新の時計理論を盛り込んで生まれたこのムーブメントは、機械式腕時計の至ったひとつの極北だ。
1、水平輪列構造
大幅な性能アップにもかかわらず薄型化を果たしたCal.9SA5。グランドセイコーとしての頑強さを持ちつつも、厚さは5.18mmに留まった。理由は、自動巻きを含むすべての機構を同じ階層に置いたため。普通は自動巻き機構を受けの上に重ねるが、Cal.9S6系よりいっそう小型化されたリバーサーが、自動巻き機構を地板に埋め込むことを可能にした。テンプの右上に見えるのが自動巻き機構である。
2、ツインバレル
ふたつの香箱を採用することで、新型脱進機とともに長持続化に貢献するだけでなく、動力に余裕が生まれ、歯車の輪列にかかる負荷を軽減することにもつながった。また、主ゼンマイを収めた香箱の回転速度を速めれば輪列の時間あたりのトルクは増える、と藤枝氏は語る。主ゼンマイのトルクを増やしてもよいが、機械が摩耗してしまう。そこで香箱の回転速度を約1.4倍に高めることで、主ゼンマイのトルクを抑えている。
3、デュアルインパルス脱進機
腕時計設計の常識を疑う、という思想をよく示すのが、新しいデュアルインパルス脱進機だ。高効率のデテント脱進機と安全性の高いスイスレバー脱進機の折衷型だが、それに留まらないユニークさを持つ。あえて、テンプの振動中心位置を変化させ、片振りを持たせることで、自起動性を最適化しているほか、拘束角をスイスレバー脱進機並みにすることで、効率の向上と動作の安全性が確保されている。ガンギ車が直接テンプを蹴り上げるデテント脱進機の特徴を持っているため、その駆動効率は40%を超える。なお、アンクルとガンギ車は軽量なMEMS製だ。
こちらはCal.9S8系が採用するスイスレバー脱進機。このムーブメントで培われたMEMSの製法が、Cal.9SA5のデュアルインパルス脱進機に結実した。
4、グランドセイコーフリースプラング/巻き上げヒゲゼンマイ
等時性の調整が難しいフリースプラング。唯一の例外が本作である。ヒゲゼンマイの巻き出し位置を約190°に固定し、それに合わせてヒゲゼンマイを成形することで、ヒゲ持ちをねじることによって等時性の調整が可能になった。8万通り以上のマッチングがもたらした新世代の調速機だ。テンワの慣性モーメントは9.7mg・cm²。調整ネジを埋め込む部分にスリットを加えたのは、耐久性を持たせるため。
5、瞬間日送り機構
理論上、量産機としては最も正確であろうCal.9SA5。しかし、これはグランドセイコー用のムーブメントである。薄さと高精度を両立する一方で、藤枝氏は日送り機構も刷新した。Cal.9SA5の大きな特徴は、グランドセイコーの9Sメカニカルとしては初の瞬間日送りだ。瞬間日送りのバネをチャージするのに必要な時間は約4時間とのこと。下は、日送りの鍵を握る日車である。瞬間日送りにもかかわらず非常に小型だ。
後編を読む
https://www.webchronos.net/features/50798/
Contact info: グランドセイコー専用ダイヤル ☎0120-302-617
https://www.webchronos.net/2020-new-watches/45416/
https://www.webchronos.net/features/34257/