高価で入手困難な腕時計の多くは、特殊な素材、わずかな生産数、またはトゥールビヨンをはじめとした高度な技術を備える。それらが時に厳しい状況下で着用されることを念頭において開発されているのは驚くに値しない。特筆すべきは、ユーザーの使いやすさを追求し、細心の注意を払って設計された構造にある。今回はリシャール・ミルの技術的マイルストーンを見ていくと同時に、彼らがどのようにユーザーのニーズに応えているかを紹介する。
Text by Mark Bernardo
2020年8月掲載記事
テニスのロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルのグランドスラム決勝を思い出してほしい。試合中、フェデラーの左手首は裸だ。だが、例えばカメラマンに囲まれて勝利のトロフィーを掲げるときに、急いでロレックスが着けられる。一方ナダルは、リシャール・ミルの腕時計をトーナメントの試合中ずっと着用している。勝利のトロフィーにキスするときに着けている腕時計は、チャンピオンシップを勝ち抜くために共に戦い抜いたものなのだ。
ブランド名に自身の名を冠する創業者のリシャール・ミルは「極限の状態で活躍する究極の時計」を作り続けてきた。アスリートとの契約の際に求めるのは、プレー中にも時計を着用することであるが、これは時計業界では非常に珍しい事例だ。
「タフなスポーツシーンで使用される特別な時計を開発するとき、それを実生活での使用で確認するのは当然のことです」と、リシャール・ミルのムーブメント設計・開発を担当するサルヴァドール・アルボナは語る。「我々は宣伝のための広報活動に重きを置いていない。我々のファミリーであるアスリートが毎日時計を着用するのを楽しんでいないとすれば、コラボレーションの真の価値は失われる。本物の関係性のみが長期間にわたる刺激となるということを経験から知っているのです」。
エリートアスリートのために開発された腕時計
リシャール・ミルの中でも特に有名なものに、エリートアスリートのための腕時計がある。彼らとのコラボレーションによって、それぞれの競技に最適な時計を開発できるのだ。スペインのテニスチャンピオン、ラファエル・ナダルとリシャール・ミルは2010年にパートナーシップを結んだ。そしてグランドスラムのトーナメントの過酷な環境に耐え抜くため、堅牢性を高め、軽量性を重視し、衝撃を緩和する時計を開発してきた。2017年、リシャール・ミルはRM 27-03を発表。ケースはレッドとイエローのストライプパターンで、ナダルの出身国、スペインの国旗に敬意を表している。ブランドの特徴ともいえるトノー型のケースはクオーツTPT®製だ。ケース表面は厚さわずか45ミクロンのクォーツファイバーと着色されたレジンによって成形された軽量な素材である。これはスイスのNTPT社(North Thin Ply Technology)とリシャール・ミルのコラボレーションによって開発されたものだ。NTPT社とリシャール・ミルはRM 27-03以外でも協働している。例えば有名なレーシングチームのために作られた「RM 50-03 トゥールビヨン スプリットセコンドクロノグラフ ウルトラライト マクラーレンF1」があり、これはトゥールビヨン搭載のスプリットセコンドクロノグラフとしては、世界最軽量のものである。
RM 27-03に搭載されるトゥールビヨンのムーブメントは、「ペンデュラム・インパクトテスト(振り子式衝撃試験)」という一連のテストを受ける。これは着用者が急激な動きや衝撃を受けることを想定した加速試験であり、1万Gの衝撃を作り出しているが、時計業界では前例がなく、テニスの試合に起こりうる事態を想定するには理想的である。
ゴルフもテニス同様に、時計にとっては試練となるスポーツである。そのためプレー中に着用している様子を見かけることはめったにない。例外となるもうひとりのファミリーが、バッバ・ワトソンだ。リシャール・ミルはワトソンのために腕時計を開発、2011年に「RM 038 トゥールビヨン バッバ・ワトソン」として発表した。その後継機が翌年発表の「RM 055」である。「RM 055」のムーブメントの地板と受けは軽量なグレード5のチタン合金製となっており、ムーブメントの重量はわずか4.3gだ。ムーブメントの構造により5000Gの衝撃に耐えるため、ワトソンのスイングから生み出されるパワーにも持ちこたえることができる。
2018年、リシャール・ミルは、ジャガー・ルクルトが1931年に「レベルソ」を世に送り出して以来、ほとんど時計ブランドが参入していないスポーツへと進出した。ポロである。アルゼンチンのスター、パブロ・マクドナウと共に、リシャール・ミルは「RM 53-01 トゥールビヨン パブロ・マクドナウ」を開発。カーボンTPT®ケースに搭載されるのは革新的なケーブルで吊り下げられたムーブメントだ。これを作るために、リシャール・ミルのチームはふたつのチタン製地板を使用。輪列を支える中央部と、ケースに固定するための外周部に配し、両者を独自のケーブルサスペンションシステムでつないでいる。このふたつ目の地板は直径わずか0.27mmのスティールケーブル上に設けられ、4カ所の張力装置で支えられている。これらがラミネート加工が施されたサファイアクリスタルの内側に収まっている。この加工は万が一、風防が割れることがあっても粉々に飛び散ることのないようにするためのものだ。結果としてポロでボールの直撃を受けても、落馬時に衝撃を与えても、ムーブメントは守られるのである。
自動車業界とのコラボレーション
自動車業界もリシャール・ミルに多くのインスピレーションを与えてきた。2013年、熱心なカーレースのファンであるリシャール・ミルは、フランスのカーレース界で有名なジャン・トッドとのコラボレーションウォッチを発表。この時計が搭載するムーブメントは現在、オーデマ ピゲの傘下において同社のハイコンプリケーションの設計を中心に行っているルノー・エ・パピによって、リシャール・ミルのために開発されたものだ。
「RM 036 トゥールビヨン G-センサー ジャン・トッド」は、ドライブ中の減速時にドライバーが受けるG(重力加速度)を、12時位置のインジケーターで表示する。地板に組み込まれた特許取得の「Gセンサー」により、急減速に伴って体が受ける重力を検知するのだ。このシステムは50パーツ以上によって構成され、その寸法はわずか17mmで、数十Gの減速に耐える。走行スピードの危険度は、視覚的に伝えられる。インジケーターの針は急激な減速の際に、グリーン、イエロー、レッドのいずれかを指すのだ。インジケーターをゼロに戻すには、9時位置のプッシュボタンを押すだけである。
RM 036のトゥールビヨン搭載のムーブメントは、カーボンナノファイバー製の地板を備えており、人間工学に則って作られたチタン製ケースに収められている。世界限定はわずか15本で、売り上げの一部は国際自動車連盟の交通事故撲滅キャンペーンと、トッドが共同設立者でもあるICM(脳脊髄研究所)に寄付される。