“デカ厚”時計に取って代わって、2010年代にスポーツウォッチの主役に躍り出たのは、ラグジュアリースポーツウォッチだった。テーマ不在と言われた10年代において、唯一といっていいほどにこの時代のトレンドであり続けた“ラグスポ”は、どのようにして現在の地位を得たのだろうか。
Text by Yuto Hosoda(Chronos-Japan)
奥山栄一、三田村優:写真
Photographs by Eiichi Okuyama, Yu Mitamura
“デカ厚”時計から薄型スポーツウォッチへの変遷
2010年代は時計業界において「テーマ不在の10年間」と表現されるほどに、いろいろなジャンルの時計が誕生し、そして定着せずに消えていった時代だった。しかし、少なくともスポーツウォッチにおいては、ひとつの大きな軸が見て取れる。それが“デカ厚”ブームの収束と、それに伴うラグジュアリースポーツの復権だ。
かつてスポーツウォッチの一大トレンドとして持て囃されたデカ厚時計は、メーカーにとって好都合だった。なぜなら、直径30mm、厚さ7.9mmのETA7750を載せやすいのだから。しかし、ETA2010年問題を見据えて各社が自社製ムーブメントの開発を行うようになると、スポーツウォッチにも自社製の基幹キャリバーが転用されはじめる。ここで注目すべきは、これらにはエボーシュと差別化を図るべく、薄型やフリースプラングなどの付加価値が与えられていた点だ。さらに薄く、そして耐衝撃性に優れるムーブメントの優位性を示すための“ガワ”には、厚みを抑えたケースが求められた。このケースに高級な仕上げを与えれば、「自社製ムーブメントを載せる薄型高級スポーツウォッチ」として、同じムーブメントを載せたベーシックウォッチよりプレステージ性を持たせることができる。こうして“ラグスポ”は、デカ厚時計以上にメーカーにとってありがたいジャンルになったのだ。
もちろん、ラグスポが単に作り手にとって好都合な時計というだけでは、この10年間ひとり勝ちし続けるような、一大トレンドにはならなかった。時代もラグスポに味方した。その例として、世界的に仕事着としてスーツが着られなくなりつつあることが挙げられる。クールビズやノータイ運動などの影響でスーツを着る必要がなくなった経営者や管理職にとって、最も使い勝手が良い時計とは、ある程度の丈夫さと高級感を兼ね備え、かつジャケットやシャツの袖にも引っかからないラグスポなのである。
ラグスポブームを後押しするアジア市場の台頭
そしてもうひとつ、中国を中心とするアジア市場が10年代に成熟したこともラグスポブームに拍車をかけた。もともとスポーツウォッチ自体はプロフェッショナルが使用するツールに過ぎず、それ自体に資産的な価値を見出すことはできない。そのためスポーツウォッチの売れる市場というのは、その市場を支える愛好家たちが、時計選びに〝価格〟以外の視点を持ち始めるようにならないと成立しないのだ。かつてジャン-クロード・ビバーはこのように述べた。
「中国人は、タグ・ホイヤーやウブロのようなスポーツウォッチをまったく好まない。というのも、こういった時計はプレステージをもたらさない、と考えているためだ。しかし、状況は変わるだろう」。ビバーの目論見通り、中国・香港をはじめとするアジアの時計市場では、愛好家による時計収集が1周し、次第にスポーツウォッチそのものが売れ始めるようになった。高温多湿のアジア圏でスポーツウォッチが時計収集の対象になれば、特に富裕層はプレステージ性の高い時計を選ぶ際に、自然と気候と相性の良いラグジュアリースポーツウォッチを買い求めるはずだ。
地球温暖化によって、高温多湿に強いラグジュアリーウォッチが必要という考え方は今後、世界中で広がっていくはずだ。ラグスポのひとり勝ちは今後も続くに違いない。
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