ウォッチジャーナリスト渋谷ヤスヒトの役に立つ!? 時計業界雑談通信
時計の取材を続けてきた筆者には、幸運なことに親しくお付き合いさせていただいている時計師の方がいる。それがミシェル・パルミジャーニ氏だ。出会ったのは1998年、SIHH(現ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ)に氏のブランド「パルミジャーニ・フルリエ」が初出展した、まだ日本未輸入の時代である。フェア会場で無理やり取材を申し込み、直後にフルリエの工房に押しかけたときからだ。そのパルミジャーニ・フルリエが、ラグジュアリースポーツウォッチの最新作「トンダ GT」を発表した。そこで今回は、このジャンルとこの新作について取り上げたい。
(2020年12月5日掲載記事)
続くラグジュアリースポーツウォッチ人気
時計好きの読者の方にはあり得ない設定だが、もし「毎日着ける腕時計を1本だけ選べ」と言われたら、あなたは何を選ぶだろうか。私なら迷わずラグジュアリースポーツウォッチを選ぶ。
スタンダードウォッチはオンタイムにはベストな選択かもしれないが、オフタイムに着けるには華がない。スポーティーな躍動感や、着ける喜び、観た人をハッとさせるエモーショナルな魅力に欠けている。
このオン/オフどちらでも、着ける喜びを実現してくれたのが、ラグジュアリースポーツウォッチだ。
天才が創造したふたつの“傑作”
ラジュアリースポーツウォッチは、ひとりの天才が生み出した、1970年代からの時計業界をリードすることになった新ジャンルだ。
その天才とは、2011年にこの世を去ったジェラルド・ジェンタである。1972年に発売されたオーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」、そして1976年に登場したパテック フィリップの「ノーチラス」は、オン/オフいずれにおいても使用できる、普通の生活ならシーンを選ばない“万能ウォッチ”を望む人の声に応えた画期的なブレスレットウォッチだった。
ラグジュアリーであると同時にスポーティー。その上、ステイタス性も備えている。「ロイヤル オーク」の発売当初の評判は散々なものだったというが、セレブリティたちに「発見」され、彼らの間で不動の評価を確立する。
“ウエットスーツにもタキシードにも似合う腕時計”というコンセプトで1976年に登場した「ノーチラス」は、「ロイヤル オーク」に続いて、このジャンルを完全に定着させた傑作だ。優れた防水性とドレッシーな雰囲気を兼ね備え、さらに1997年に登場したよりカジュアルなテイストの「アクアノート」と共に、このジャンルを時計業界にとって欠かせない、不動のものとした。
どちらも誕生から半世紀近くが経過しているが、いずれも“ラグジュアリースポーツウォッチの究極”という評価は、微塵も揺るぐことはない。
なぜラグジュアリー・アイテムに不可欠な洗練さを盛り込むことができたのか。それはジェンタの出発点がジュエリーデザイナーだったからだろう。
傑作の「呪縛」から逃れて
1990年代、さらに2000年代に入り時計ブームが世界中に拡大すると、このジャンルの製品は時計ブランドにとってビジネス上、絶対に不可欠なものになる。世界のどの市場でも、上顧客たちが何よりも求めていたのはラグジュアリースポーツウォッチだからだ。そこで各社はこぞって「ラグジュアリー」で「スポーティー」なニューモデルの開発に取り組む。
しかし「ロイヤル オーク」と「ノーチラス」はあまりにも偉大過ぎた。あえて指摘はしないが、このふたつの傑作をコピーしたかのような製品が過去にいくつもあったことは、時計関係者ならご存じだろう。スポーティーとラグジュアリー、ふたつのテイストのバランスを取るのは本当に難しい。この絶妙なバランスを維持しながら、自社のアイコン的なモチーフを採り入れることで、ブランドの個性を鮮明にするしかない。だが、これが難しい。
2010年以降、この呪縛を克服したラグジュアリースポーツウォッチがいくつも登場し、ようやく選択肢が広がった。これは時計好きにとってうれしいことだ。
スポーティーだが品格もある「トンダ GT」
つい先日、発表されたばかりのパルミジャーニ・フルリエの「トンダ GT」も、この呪縛を乗り越えた新しいラグジュアリースポーツウォッチだ。
パルミジャーニ・フルリエのラグジュアリースポーツウォッチ分野への挑戦は、これが初めてではない。ただ残念ながら、これまで成功していたとは言えない。
その理由は、パルミジャーニ・フルリエが新進ブランドながら、本当の意味でラグジュアリーな時計ブランドだからだろう。ラグジュアリーブランドでは、デザインや仕様は何よりもまず「ラグジュアリーであること」が大切になる。
また「伝統」や「職人技」が価値の中心にある、良い意味で保守的であることが大切な高級時計の世界では、他の業界以上に従来からの世界観、価値観との「継続性」「関連性」は欠かせない。
唐突に斬新な世界を見せられると、飛躍が大きすぎると顧客は当惑する。自分が好きなそのブランドが「なぜこんな製品を出すのか!?」と思ってしまう。最悪の場合、反感を持たれてしまうことすらある。芸能・芸術の世界では、アーティストの「変身」を快く思わないファンが一部には居るものだが、それと同じようなことだ。
しかし、新しい「トンダ GT」は見事なデザインでこの「壁」を乗り越えた。ラグジュアリーで、しかもこれまでのパルミジャーニ・フルリエの一連の製品とも継続性がある、パルミジャーニ氏が敬愛するクラシックな要素が感じられる。
なかでもこの時計のデザイン、その魅力の中心にあるのが、ギヨシェ加工の文字盤とローレット加工(ゴドロン装飾)されたベゼル。このふたつの組み合わせだ。
フランス語で“Guilloché Clou Ttriangulaire”、英語では“Guilloche Triangular Stud (or Nail)”、日本語に訳せば3角スタッド型(ネイル型)のギヨシェは、高級時計の世界でよく採用される「クル・ド・パリ」(パリの爪)というピラミッド型のギヨシェとも違う雰囲気が漂う。そしてベゼルの緻密なローレット加工は、パルミジャーニ・フルリエのアイコンとも言える古典的な装飾加工であり、見た目以上に、実は繊細で手間のかかる加工だ。
このふたつの組み合わせから生まれた「品格のある」顔が、“古典時計の修復を通じて偉大な時計の歴史とつながっている”というパルミジャーニ・フルリエのブランドキャラクターと見事にマッチ。ラグのデザインも従来のサイド部のモチーフを活かしながらも、巧みな面構成の賜物だろう、ラグジュアリーでスポーティーな雰囲気の演出に成功している。
トンダ GTのビッグデイト表示に加えて、クロノグラフ+アニュアルカレンダーと機能が充実した「トンダグラフ GT」も、文字盤の要素がかなり増えているものの、基本的な雰囲気は変わらぬ魅力的なもの。ブレスレットの着け心地も、この外観の印象そのままに優しく、期待を裏切らない。
この「トンダグラフ GT」も含め、発表モデルはいずれも限定だが、価格設定もラグジュアリースポーツウォッチとしては適切といえる。まずは、この限定モデルの成功と非限定のモデルの充実を期待したい。
シースルーバック仕様の裏側から美しく仕上げられた自社製の自動巻きムーブメントCal.PF044が鑑賞できるビッグデイト付きのスモールセコンドモデル。自動巻きローターは22Kゴールド製。左のブルーダイアルの18KRGケースモデルは世界限定150本。中央と右のSSケース、ブラックダイアルとシルバーダイアルモデルは各世界限定250本。
自動巻き(Cal.PF044)。ケース径42mm、ケース厚11.2mm。パワーリザーブ約45時間。価格は左の18KRGケース&ラバーストラップモデルが287万円(18KRGケース&ブレスレットモデルは626万円、いずれも税別)。右のSSケース&ラバーストラップモデルが156万円、中央のSSケース&ブレスレットモデルが167万円(いずれも税別)。
Cal.PF361をベースに新しく開発されたビッグデイト付きアニュアルカレンダーを搭載する、コラムホイール&垂直クラッチ式で10振動/秒(3万6000振動/時)の一体型クロノグラフムーブメントCal.PF0071を搭載するクロノグラフ。自動巻きローターは22Kゴールド製。左のブルーダイアル&18KRGモデルが世界限定25本。右のブラックダイアル&SSケースモデルが世界限定200本。C.O.S.C.認定クロノメーター。
自動巻き(Cal.PF0071)。ケース径42mm、ケース厚14.3mm。パワーリザーブ約65時間。価格は左の18KRGケース&ラバーストラップモデルが472万円(18KRGケース&ブレスレットモデルは754万円、いずれも税別)。右のSSケース&ブレスレットモデルが225万円(SSケース&ラバーストラップモデルは213万円、いずれも税別)。
ところで、ミシェル・パルミジャーニ氏は2020年12月2日で70歳(写真は2009年)。これを記念した70本限定のアニバーサリーモデルも登場した。こちらは文字盤のギヨシェといい、パルミジャーニらしさが際立つ逸品。残念ながらすでに完売だ。
渋谷ヤスヒト/しぶややすひと
モノ情報誌の編集者として1995年からジュネーブ&バーゼル取材を開始。編集者兼ライターとして駆け回り、その回数は気が付くと25回。スマートウォッチはもちろん、時計以外のあらゆるモノやコトも企画・取材・編集・執筆中。
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