ブランパンの「ヴィルレ」コレクションは、世界で最も歴史が古いとされる高級時計ブランドのルーツを伝え、現在は壮大で実用的な複雑機構の数々で革新を続けている。今回は、コレクションの起源や歴史的、現代的なハイライトを探っていく。
Text by Mark Bernardo
2021年1月19日掲載
作家トーマス・ウルフはその引用句「汝再び故郷に帰れず」で知られている。ウルフはこれを友人のジャーナリスト、エラ・ウィンターとの会話から得て1940年出版の小説のタイトルとした。もしふたりが高級時計ブランドのブランパンを知ることがあれば、この歴史は違ったかもしれない。なぜならブランパンは、絵のように美しい村、ヴィルレに立ち返ることを果たしたからだ。
ブランパンは現在、スウォッチ グループの中でブレゲ、ジャケ・ドローとともに3つの「プレステージ」ブランドとして存在している。1735年にスイス・ジュラ地方のベルンにあるヴィルレ村で創業したが、1983年からはジュウ渓谷のル・ブラッシュに拠地を置いている。現代の時計愛好家の間でブランパンは、ハイコンプリケーションやドレスウォッチよりも先駆的なダイバーズウォッチ「フィフティ ファゾムズ」でその名を知られているだろう。ただし、ブランパンの古典的な時計作りへの情熱は揺らいだことはなく、ノスタルジックな名前を持つ「ヴィルレ」コレクションの中に、ブランドが打ち立てた多くのマイルストーンを見いだすことができる。
「ヴィルレはブランパンが生まれた場所だ」とブランパン社長兼CEO(兼ブレゲおよびジャケ・ドロー社長)のマーク A. ハイエックは語る。「ヴィルレという村は私たちのアイデンティティーの一部であると同時に、時計作りの歴史の出発点でもある。18世紀初頭、この村には勤勉でクラフツマンシップ溢れる農民たちが住んでいた。そのうちのひとりジャン-ジャック・ブランパンは1735年の村の記録に時計師として登録されており、世界でも最も歴史が古いとされる時計ブランドを設立したのだ」。ジャン-ジャック・ブランパンが自身の居宅に立ち上げた時計会社は、フレデリック-エミール・ブランパンが亡くなる1932年まで家族経営のままだったが、新しいオーナーの下で「ヴィルレ」の音韻を踏襲した「レイヴィル」という名称に社名変更がなされた。83年にまた別のオーナーとなり、元の社名に戻るが、創業から2世紀以上を経てヴィルレからル・ブラッシュにその拠点を移すことになった。1992年、ブランパンは後にSMHグループを経てスウォッチ グループとなるSSIHに買収された。
「ヴィルレ」コレクションのルーツをたどれば、現代のブランパンの幕開けを振り返ることができる。ル・ブラッシュに拠点を移した当初、ブランパンはいわゆる"クォーツ危機"の中にあって、伝統的な機械式複雑時計の多くが市場から姿を消してしまった中で、数を半減しながらも逆境に立ち向かっていた。1983年にはコンプリートカレンダーとムーンフェイズ表示を組み合わせたキャリバー6395を発表。別々の窓で表示される曜日と月や、外周部の表示を指す日付針、擬人化された月を備え、また現在のヴィルレに見られるデザインコードの多くを確立した。アプライドのローマンインデックス、2段階ベゼル、セージの葉を思わせるエレガントな針などである。歴史的には従来のムーンフェイズ搭載機の中で、最も小さいムーブメントであった。「この作品は時計製造の伝統へのオマージュ以上のものであった。それだけでなく、デザインの新境地を切り開き、時計業界全体が後に続く嚆矢となり、機械式時計に複雑機構と関心を再導入するものだった」とハイエックは語っている。
1987年に発表されたキャリバー35では、これまでほとんど休眠状態にあったミニッツリピーターという機械式時計における複雑機構が登場した。当時、機械式時計がまだ復興する前、ミニッツリピーターのような機構を特に腕時計で実現することは、大変困難なことであった。だがブランパンは、そこでも新たな記録を打ち立てた。自動巻き機構と人の髪の毛よりも細い手仕上げの部品の数々を搭載し、直径23.9mm、厚さ4.85mmと当時世界最小のミニッツリピータームーブメントを完成させたのだ。その2年後の89年には、ブランパンは腕時計にフライング・トゥールビヨンを搭載した最初の時計メーカーとなった。これは、機械式時計の調速機と脱進機を収めたトゥールビヨンキャリッジ(懐中時計のムーブメントにおける重力の影響を軽減するために発明されたもの)を、従来のように地板とブリッジの間に挟んで支持するのではなく、ブリッジを取り除き地板のみで支えるというものである。この設計により文字盤の開口部からトゥールビヨンキャリッジを遮るものがなくなったが、その実現には極小のボールベアリングの組み立てという革新性が要求されることになった。この機構への道を切り開いたキャリバー23は当時、最も薄いトゥールビヨン搭載機であっただけでなく、後世の人々に関与する隙を与えないかのような他の特徴も備えていた。それが3つの香箱をつなげることによって実現した驚愕の約8日間パワーリザーブだ。
ブランパンは1991年に発表した「1735」で、自らのハードルを上げた。当時世界で最も複雑な自動巻き腕時計として量産されていたこのモデルには、740個のパーツから構成されるミニッツリピーター、トゥールビヨン、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンドクロノグラフ、ムーンフェイズが搭載されており、ひとつのモデルの製造には約1年の歳月が必要であった。ブランパンが「1735」を合計30本しか生産しなかった理由である。
2004年には時計製造の限界を押し広げるのではなく、実用性を追求し、現在のヴィルレのタイムピース、特に永久カレンダーを代表するもうひとつの発明を生み出した。ブランパンの時計職人のひとりが、永久カレンダーウォッチの側面にあるコレクター(修正装置)に注目し、美的観点からこのコレクターをケースから見えにくい位置へ移動させることを考えたのだ。ブランパンの革新的な解決策は、ムーブメントに内蔵されたレバーを動かして曜日、日、月、ムーンフェイズを調整するコレクターをラグの下に組み込み、着用時には見えなくするというものであった。さらに工具を用いることなく、指で押すだけで作動させることができ、これは特許を取得している。この目立たないようでいて優れた機構は、現在のヴィルレに標準装備されている。
現在の高級時計ブランドの多くは、1980年代にブランパンが大胆に開拓した伝統的な機械式複雑機構の復活を追いかけてきた。しかし「ヴィルレ」コレクションは現在も、小さく実用的なものから複雑なものまで、時計作りの実力が発揮される肥沃な土壌であり続けている。例えば、2011年に完成したキャリバー5235DFは、「ヴィルレ 8デイズ ハーフタイムゾーン」として発表された。これは約8日間のパワーリザーブを持ち、世界を旅する人には気がかりだった通常は60分単位であるGMT機能の第2時間帯表示のセッティングを30分単位で可能にし、インドや南オーストラリアなどのローカルタイムを正確に表示するようにしたものである。
「ヴィルレ」コレクションの中でもGMT機能搭載機の実用性は秀逸だ。ブランパンはこれと他の機構との組み合わせも実利的に提案している。2002年には、デュアルタイム表示とコンプリートカレンダーを組み合わせた初のGMTモデルを発表。曜日と月を12時位置に表示し、日付表示は文字盤の縁にある数字の目盛りとゴールドのサーペント針で行い、6時位置の開口部にはブランパンの特徴である"お茶目な月"が微笑みかけるものであった。アニュアルカレンダー(年次カレンダー)や永久カレンダーとは異なり、よりシンプルな「コンプリート」カレンダーは、正確さを保つために頻繁に注意を払わなければならない。小の月では、翌月初日に日付を手で進める必要があるのだ。このモデルでは、ローマ数字のアワーマーカーの内側に、1から24までのスケールで第2時間帯表示を配し、それを示す赤い先端のポインターハンドを追加することで、複雑さを一段と増している。