全世界の時計好きと音フェチ感涙! webChronosがお送りする「音で知る高級時計の世界」シリーズは“時計の音”にフォーカスした4K動画です。時計が発する音を愉しみつつ、美しいムーブメントの姿や針の動きなどを4Kの高画質で堪能してください。作業用BGMに、仕事終わりの晩酌のお供に。今回は1958年に発表されたジャガー・ルクルトの「ジオフィジック」Ref.E168を紹介します。動画視聴の際はヘッドホン推奨です。さらに、動画撮影にあたって所有のジオフィジックを貸し出してくれた時計ライター、堀内俊氏が、本作をマニアックに解説します。
ジャガー・ルクルト「ジオフィジック」
撮影・編集:吉江正倫
高精度機らしい文字盤デザイン
1957〜58年にかけて実施された「国際地球観測年」に参加する科学者の着用を想定して作られた「ジオフィジック」。巻き上げヒゲゼンマイを採用し、5姿勢での調整が施された高精度機Cal.P478/BWSbrを搭載したジオフィジックの刻む音色は、まさにこの企画に相応しい心地よいものです。
高精度機らしい、視認性に優れた文字盤デザインも見どころです。センターセコンドと分針はもちろんインデックスに届いており、さらにどちらも先は丁寧に曲げられています。
純白の文字盤には梨地処理がされており、強い光源下でも光が乱反射することなく、しっかりと時刻の読み取りは可能です。
60年以上前に1000本のみが販売された貴重なモデルを、4Kの高画質動画でお楽しみください。
ジオフィジックを、その誕生背景やムーブメントの系譜から知る
手巻き(Cal.P478/BWSbr)。17石。1万8000振動/時。SSケース(直径35mm)。
Text by Shun Horiuchi
[2024年6月18日テキスト掲載]
1958年は国際地球観測年であった。同年8月3日午後11時15分、原子力潜水艦ノーチラス号(SSN-571)は人類史上初めて航行状態で北極点を通過した。そのわずか8日後の8月11日午後9時47分、原子力潜水艦スケート号(SSN-578)が再び北極点に到達し、開氷面に浮上した。これらの偉業をたたえ、ノーチラス号艦長(W.R.アンダーソン少佐)とスケート号艦長(ジェームズ・F・カルヴァート中佐)に、ジュネーブの市民グループより、ジャガー・ルクルトが製造したイエローゴールド製の「クロノメーター・ジオフィジック」が贈呈された。
このようなストーリーが残るクロノメーター・ジオフィジックは、当時のジャガー・ルクルトにとって、あらゆる面で特殊な時計であった。その理由を、ムーブメントの側面からひもといてみよう。
ムーブメントの系譜
クロノメーター・ジオフィジックを含む、40年代以降のジャガー・ルクルトの紳士用丸型時計に搭載されたムーブメントは、Cal.449/450系(1940年との記録あり)が主体であり、Cal.449がスモールセコンド、Cal.450が出車式センターセコンドのノンデイト手巻き3針という仕様である。ヴァシュロン・コンスタンタンにも供給され、トリプルカレンダーやムーンフェイズなどの付加機能を与えられた時計も製作された。
Cal.449/450系の、主だった発展の系譜を、代表的なキャリバーで列挙する。
・Cal.449/450(手巻き。1万8000振動/時。直径28.25㎜。449:厚さ4.05mm。450:4.55㎜)。
・Cal.488/SBr(秒針停止機能付き。16石。耐震装置なし。「Mark11」に搭載)。
ヴァシュロン・コンスタンタンに供給されたムーブメントが、以下の通りだ。なお、「クロノメーター・ロワイヤル」に搭載された。
・Cal.P1007/BS(手巻き。スモールセコンド。秒停止機能付き。18石。スワンネック緩急針を装備)。
・Cal.P1008/BS(手巻き。センターセコンド。秒停止機能付き。19石。スワンネック緩急針を装備)。
そしてジオフィジックに搭載されたムーブメントである。
・Cal.P478/BWSbr(手巻き。センターセコンド。秒停止機能付き。17石。スワンネック緩急針を装備)。
このような系譜を経てきた。
Cal.P1008/BSとCal.P478/BWSbrは、いわば兄弟機であり、ヴァシュロン・コンスタンタンのムーブメントは4番車の受けがぷっくりと出た、ひと目でヴァシュロン・コンスタンタンと分かるブリッジ形状に改められている。もちろん同ブランドのためにあつらえられたムーブメントは、クロノメーター・ロワイヤル搭載機のみならず、秒針停止機能を持たないCal.453、454なども含めたすべてのムーブメントにおいて、各パーツがより高度に磨かれるなど、手間を掛けた超高級仕様であった。
また、ムーブメントのキャリバーに付与されたアルファベットについては、ジャガー・ルクルトからの公式な返答(編集部注:18〜19年前に、堀内氏がジャガー・ルクルト本国に直接メールで問い合わせて、回答を得た)や各種文献、および筆者による調査を取りまとめると、以下のようになる。
P:Parashock(パラショック耐震機構付き・後年のKはキフ・ショック)。
S:Second Stop(秒針停止機能付き)。
B:Beveled plate (Dial Side:ボンベ形状の文字盤にフィットさせるため、メインプレートの日の裏側の外周が面取り加工された仕様。なお、Aはケースバック側、Cは両面が面取り加工されていることを表す)。
W:means that it is an USA engraving “LeCoultre Co” (ブリッジにJaeger LeCoultreではなくLeCoultre Co表記となった仕様)。
br:Breguet Overcoil Hairspring(巻き上げヒゲ。いわゆるブレゲヒゲ。ヴァシュロン・コンスタンタン用のムーブメントには表記されない)。
なお、Cal.450/1のように“/数字”の表記は、そのムーブメントのリファイン(マイナーチェンジ)と理解すればよい。Cal.450/4は4回の改良を受けているということである。
クロノメーター・ジオフィジックの特殊性
続いて、クロノメーター・ジオフィジックは特殊、と前述した理由を列挙する。
1.本作が発売された58年が1833年創業のルクルト社125周年に当たることから、ジュビリーモデルと位置付けられたこと。
2.1958年は国際地球観測年(正確には57年7月1日から58年12月31日まで)であり、70を超える(67カ国説もあり)国々から、たくさんの科学者らがこの国際科学研究プロジェクトに参加することとなった。ジオフィジックは、そんな彼らのための腕時計をイメージされており、かつ「高い精度を持つクロノメーター仕様」で、「さまざまな使用環境に耐えられるよう、600ガウスの耐磁性能と防水性能を持つ」ように設計された点。もちろんペットネームの“ジオフィジック”は国際地球観測年(International Geophysical Year)に由来する。
また、ムーブメントに関しては、クロノメーターの精度を実現するための仕様が、特殊性を際立たせている。
3.巻上げヒゲの採用(ジャガー・ルクルト製エボーシュの腕時計用ムーブメントはCal.P478/BWSbrのほかに、Mark11用のCal.488/Sbr、Cal.P450/4Cbrが確認される。なお、ヴァシュロン・コンスタンタンのCal.453、454なども、巻上げヒゲである)。
4.スワンネック緩急針の採用(ジャガー・ルクルト銘の時計としては2002年、「レベルソ・セプタンティエム」のCal.879出現まではこのムーブメントのみと思われる)。
そして最後に、
5.ブリッジの刻印がJaeger LeCoultreではなくLeCoultre Co表記という特徴がある。
5.のLeCoutle Co表記のブリッジについては、長く疑問に思っており、最近になって氷解した。というのも、1.で示したように、“125周年”はジャガー・ルクルトではなく、“ルクルト社の創業125周年”であることから、ブリッジの表記をあえてLeCoultre Coにしたのだ。非常に粋である。
LeCoultre Co標記のムーブメントは先述の通り“W”が付く。この意味するところは、「関税の都合上、アメリカに輸出されてからケーシングされたムーブメント」であり、Unadjustedが基本となる。よって、5姿勢に加え、温度補正も行われた当時のジャガー・ルクルトのムーブメントで、LeCoultre Co表記の“W”は、極めて特殊ということが理解できるだろう(編集部注:当時、北米向けブランドとして“LeCoultre”表記が存在した)。
なお、Cal.P478をクロノメーター仕様にチューンしたのは、当時ジャガー・ルクルト社に在籍していた時計師ジャック・ゴレイ氏と記録にある。彼の手にかかったCal.P478/BWSbrは、精度に関わる部分は一切手抜きがない一方で、ブリッジはジュネーブストライプなどの装飾もなく、また磨きや面取りなどの加工も最小限だ。ヴァシュロン・コンスタンタンで使われたCal.P1008/BSと比べると簡素な仕上げが目立つのだ。しかしながら、かえってその仕様が「目的のみに特化して、徹底的にチューニングされた機械」特有のすごみを放っていると感じられる。
科学研究プロジェクトのための仕様
ムーブメントは軟鉄製のインナーケースと文字盤により、すっぽりと覆われる構造で、耐磁性能を有した設計である。
文字盤の仕上げは白く荒らされた艶消しに見える塗装であり、加えて12時、6時位置のみアラビア数字の、シンプルなアプライドインデックスが装備される。そのほかのインデックスが細長いことは、同時代の高精度機になぜか共通した特徴のひとつだ。
国際的な科学研究プロジェクトの、あらゆる研究環境に応じるため、暗闇での視認性確保はマストであることから、時分針は蓄光塗料付き。針の形状にはダガーやドーフィンなどのバリエーションがある。蓄光塗料が施されていない部分の針はポリッシュされ、艶消しの文字盤上では時間の読み取りが容易である。当然、針だけ蓄光塗料があっても暗闇では時間がよく分からないため、インデックスにも同じ仕様が必要なはずだが、本作はインデックスではなく、文字盤の見返し部分に小さい蓄光塗料を備えたドットが存在する。ただしこのドットはとても小さく、60余年の間に脱落した個体が非常に多い。
オーバーホールなどの際、知らずにケースを超音波洗浄機にかけて失われたという不幸な経歴を経た個体が多いと想像する。脱落後に再生された個体も見受けられるが、オリジナルより不自然に大きなものが多い。動画のSSケースの個体は、すべてオリジナルのドットが残る、貴重なものである。
ジオフィジックから現代「マスター」シリーズへ
このクロノメーター・ジオフィジック Ref.E168は、ステンレススティール製ケースが1038本、イエローゴールド製ケースが220本、ローズゴールド製ケースがわずか30本と、合計1290本の製造とされている。
文字盤のバリエーションに、“クロスヘア”と称されるデザインがあることが有名だ。加えて、Cal.P478/BWSbrを積む「ジオフィジック・デラックス」Ref.2985(YG,PG製ケースのみ)と呼ばれる個体が存在する。ケース径は34mmで、耐磁性能は省かれており、科学者ではなく一般的な消費者向けに製造されたと考えられ、その製造本数はわずか103本とのことである。
ジオフィジック・デラックスまで含めた、ジオフィジックのプロダクトイヤーは、1958年から61年までの4年間とされており、60年代後半までは在庫の販売がなされた模様である。
続いて62年、ジャガー・ルクルトはジオフィジックに続くクロノメーターウォッチを市場投入した。デイト付きの自動巻きでクロノメーターを名乗る「ジオマティック」である。このモデルこそが、現在につながる「マスター・コントロール」シリーズの、直接のオリジンといええるだろう。
優に60年を超える歴史がある「マスター」シリーズは、現在のジャガー・ルクルトにおいて、「レベルソ」と並んで双璧となっている。
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