世界を巻き込み、いまだ終息が覚束ない新型コロナウイルス感染拡大の影響のひとつに、主要国中央銀行が経済対策として大規模な金融緩和を行ったため、いわゆる「カネ余り」状態に陥り、行き場を失った現金が高級時計や宝飾品に向かっているという話をよく耳にする。コロナ禍の負の側面ばかりでなく、角度を変えた視点から時計市場を眺めてみると、もっと違った様子が見えてくる。気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏がそんな視点から時計市場を考察する。
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2021年7月号 掲載記事]
成熟国家で伸びるのは二次流通市場。時計でも「認定中古」が伸びる
ドイツなどヨーロッパの街中を歩いていると、中古品や骨董品を扱うアンティークショップをやたら目にする。日曜日に広場で開かれるフリーマーケットでも中古品や骨董品は人気商品だ。時には欲しかった中古の品物を格安で手に入れられることもあるが、時計や宝石など年代物の名品には、新品よりも高い値段が付く。
古いものを大事にする欧州各国
「古くても良いものを大事にする」というのが欧州の先進国の「常識」である。先進国という区分よりも、消費が成熟した国家と言った方がいいかもしれない。家にしても築100年以上の建物を大事に使うし、新築の家よりも「価値」を見いだす人が多いのだ。指輪やネックレスなどの宝飾品も母から娘へと何代にもわたって受け継がれるし、「アールヌーボー」時代の宝飾品や調度品など人気の高い中古の品々も多い。
不思議なことに中国やアジア諸国のように経済成長が続いている国では、アンティーク品よりも新品の高級品への需要が大きいという。最新の技術や新しいデザインへの欲求が強いのだろう。日本は高度経済成長が終わって久しいものの、国民の気分としてはまだまだ「成熟国」ではなく、過去の高度成長の余韻を引きずっている。特に比較的裕福な高齢層はそうだ。まだまだ「新しいもの好き」の国民が多いのかもしれない。だが、おそらく日本の消費者も、欧州のように「成熟」した消費者へと変わってきている。
日本でも上昇しつつある「中古」の価値
どうやら日本でも、アンティークや中古品に価値を見いだす人が増え始めている。新型コロナ禍で、新車販売は振るわないが、中古車販売は好調だ。これも、収入が減って貧しくなったというよりも、中古の良いモノに価値を見いだす層が着実に増えていることを示しているのではないか。
さらに、そうした変化を後押しする事態が起きている。新型コロナで世界経済が大打撃を被る中で、経済危機に陥らないよう各国の中央銀行は通貨発行量を一気に増やし、政府の財政支出を膨らませている。このまま続けば、紙幣の価値は下がるとみた人たちは、「現金」を資産価値の高い「もの」に換えようと動いている。そんな「実物資産」の対象に、中古品、アンティーク品も含まれる。
そう。時計の世界でもこれまで以上に「中古品」が人気を博す時代が来るに違いない。もっとも「二次流通」の世界は「目利き力」が不可欠になる。精密機械である時計の中古品は、品質がさまざまだからだ。機械式時計の場合、部品が壊れかけた代物ですぐに動かなくなっても困る。かといって時計の品質を見抜くのは、素人には簡単にはできない。
時計界で注目される「認定中古品」
そこで注目されるのが、「正規認定中古」である。スイスの高級時計フランク ミュラーを扱う総輸入代理店のワールド通商は、「正規認定中古時計」のサービスに乗り出している。下取りで購入した中古時計を販売しているほか、オーナーに代わって委託販売もしている。もちろん、フルメンテナンスのうえ、保証書を付けて販売される。リシャール・ミルも「正規認定中古」のサービスを始めている。今後、こうした「正規認定中古」の高級ブランド時計は増えていくに違いない。
スイス公共放送協会が運営するニュースサイト『スイスインフォ』でも中古腕時計ブームが急速に広まっている点に注目した記事が2019年に掲載された。それによると、「中古腕時計市場はスイス製時計の年間輸出額の25倍に相当する5000億ドル規模になり得る」と予測。一方で、傘下にカルティエなどを持つリシュモン グループが英国の中古高級時計売買会社ウォッチファインダーを買収したり、スイスの時計宝飾品店ブヘラが、中古時計も扱う米国の高級時計専門店トゥルノーを買収したりしたことを取り上げ、対抗措置だと分析している。
さらに「伝統的な時計ブランドの切り札は、腕時計の点検のノウハウと中古認定だ。中古認定は、偽造や詐欺が横行するあらゆる分野で、消費者に安全性、流通経路トレーサビリティ、真正性を保証する」と述べている。今後、日本でも「正規認定中古」が大きな流れになっていくのは間違いなさそうだ。
磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
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