2020年初めから世界を巻き込んで蔓延中の新型コロナウイルス。ここに来て、ワクチン接種の進捗状況によって、世界各国・地域の社会や経済状況に明確な“差”が見え始めた。その中にあって、日本の状況はどうだろうか? 気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が主要国・地域と日本の経済状況を分析・考察する。
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2021年9月号 掲載記事]
中国、米国、ロシア、豪州の「時計需要」が回復
新型コロナウイルスの蔓延は依然として収まっていないが、ワクチン接種が進んだ国を中心に経済活動が再開されている。英国ではウィンブルドンのテニス大会が開かれ、満席のうえほとんどの人がマスクなしで観戦していた。米国のメジャーリーグでもマスクなしの観客が大いに盛り上がっていた。
地域ごとに明暗分かれるスイス時計の地域別輸出額
一方の東京は、オリンピックの開催で観光客が押し寄せ、消費ブームに沸いていたはずだったが、4回目の緊急事態宣言が出されて無観客開催となり、消費面での経済効果はほとんど望めない状況になっている。今後、国や地域によってコロナ禍からの経済回復に大きな格差が生じてくることになりそうだ。
その予兆を世界の時計需要の変化に見ることができる。スイス時計協会がまとめているスイス時計の地域別輸出額を見ると、その傾向が分かる。スイスから各国・地域への輸出はディーラーなど卸の金額が主だから、各国・地域の小売店の仕入れ状況が反映されていると見られる。つまり、実際の小売額よりも先行的に消費動向が分かると言えそうだ。
どうやら日本でも、アンティークや中古品に価値を見いだす人が増え始めている。新型コロナ禍で、新車販売は振るわないが、中古車販売は好調だ。これも、収入が減って貧しくなったというよりも、中古の良いモノに価値を見いだす層が着実に増えていることを示しているのではないか。
そのスイス時計協会の2021年1─ 5月の累計輸出額合計は86億6300万スイスフラン(約1兆300億円)と、前年同期の57億3830万スイスフランから急回復した。新型コロナ禍前の2019年の同期間と比べると3.0%の減少だから、ようやく平常ベースに戻りつつある、といったところだろう。輸出先上位30カ国・地域のうち13で2019年を上回っており、17がマイナスなので、地域ごとに明暗が分かれていることが分かる。
回復ピッチが速い中国本土とアメリカ
最も回復が急ピッチなのが中国(本土)である。この1─ 5月の中国向け輸出額は12億5330万スイスフランと2019年同期間比56.8%も増えている。昨年2020年の同期間を2019年と比べると24.5%のマイナスで、後述するように英国や日本、シンガポール、韓国などに比べて落ち込みの「谷」が浅かった。さらに、高級時計の最大需要地だった香港が、国家安全維持法の施行などで「自由都市」の性格を失いつつあることから、時計の需要が激減。これが中国本土への直接の輸出に振り替わっているのではないかと見られる。高級時計の世界最大の需要地の地位は今や中国本土に明確に入れ替わり、香港は米国に次ぐ3位の市場に転落した。
次いで回復が目立つのは米国。2019年と比較して19.7%の増加となっている。米国では金利の低下や、さまざまな助成金の支出の効果もあって、景気が過熱気味で、不動産の新築ラッシュが起きている。株価が大きく上昇していることから「資産効果」もあって、高級時計の販売も増えている。2020年の落ち込みは25.6%と中国よりもやや谷が深かったが、急ピッチで回復していると見ていいだろう。
このほか市場規模はまだまだ小さいものの、ロシアが37.3%増、オーストラリアが17.1%増と、新型コロナの封じ込めにある程度成功したり、ワクチン接種が進んでいたりする国の回復ピッチが速いことが分かる。
経済的打撃が深刻な日本
一方の日本などのアジア地域は、もともと新型コロナによる死者は欧米を下回っていたが、インド由来の変異株の登場以来、一気に感染が広がり、重症者や死者が増えている。欧米の経済が立ち直るのとは対照的に、むしろ打撃が深刻化する懸念が強まっている。
スイスから日本への1─ 5月の累計輸出額は2019年同期間比で12.6%減となっている。2020年の同期間は2019年比32.3%減と谷が中国や米国などに比べて深かったことも回復を鈍化させている。ただ、5月単月で見ると2019年比26.4%の減少と、回復するどころかむしろ傾向的に悪化している様子が見て取れる。緊急事態宣言が繰り返し発出されていることで消費市場自体の先行きに暗雲が漂っているほか、東京オリンピックの無観客開催が決定したことで、需要を当て込んでスイス時計の仕入れを増やしていたディーラーなどが、在庫を抑え始めたことも影響している可能性がある。
新型コロナの影響は、日本は軽微だと考えられてきたが、経済的な打撃は深刻で、今後、回復局面で日本が中国や欧米諸国から大きく劣後することになりかねない。
磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
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