つまり、である。「レベルソ」は、その一大特徴であるケースの反転機構の考案や設計に、ジャガー社もルクルト社も関わっていない。ルクルト社はムーブメントの製造を担当していたが、初期にはルクルト社のムーブメントがケースに収まらず、タバン社の手巻きムーブメントCal.064を搭載した。ジャガー社も「レベルソ」の精密なケースの製造をすることができず、当時パテック フィリップのケースサプライヤーであったA & Eウェンガー社に依頼したのだ。
では「レベルソ」は、いったい誰の作品と言うべきなのだろうか?
ここまでの話で言えば、「レベルソ」の生みの親はセザール・ド・トレーというのが順当だろうか。実際、「レベルソ」の製造開始に先立つ1931年3月4日、ルネ・アルフレッド・ショヴォーはパリの特許庁に「ケースをキャリアプレートの上でスライドさせて180°回転することのできる」時計の特許を出願。7月25日にド・トレーは特許取得の結果を待たずにショヴォーから特許権を買い取っている。だから少なくともこの時期までは、ド・トレーが「レベルソ」の製造・販売の主導権を握っていた、と考えることができる。
話を続けると、11月にド・トレーはジャック・ダヴィド・ルクルトと共同で「レベルソ」およびジャガー社とルクルト社の全時計販売を専門とする「ソシエテ・デ・スペシャリテ・オルロジェル」(Société de Spécialités Horlogères)という会社を設立。そして1934年に同社が「レベルソ」の特許を取得。ここでド・トレーがどのような役割を担っていたかは不明。その翌年の1935年にド・トレーは死去している。
なお、1937年に「ソシエテ・デ・スペシャリテ・オルロジェル」は社名を「ジャガー・ルクルト製品販売会社」(Société de vente des produits Jaeger-LeCoultre S.A.)と改め、これがジャガー・ルクルトのブランドの始まりとなる。ド・トレーはブランドの誕生に多大な貢献をした功労者であったのだ。
疑問はまだ続く。ルネ・アルフレッド・ショヴォーの特許申請の書類である。この書類にはケースの回転システムを説明した17の図案が添えられていた。その図案を子細に見ると、いくつかの図ではケースが正方形で、これがおそらく2005年に発表された「レベルソ・スクアドラ」の「実は正方形ケースのアイデアは誕生当初からあった」ということの基なのだろう。加えて、正方形のケースに丸型のムーブメントを収めることが示された図案もあった。
では「レベルソ」の最終的な設計は、いつ、誰が、行ったのか?
繰り返すが「レベルソ」は、前記のとおり、1931年3月4日にショヴォーが特許を出願。1931年のうちに発売されており、つまりショヴォーの最初期のスケッチから最終設計まで10カ月に満たない短期間で行われたことになる。
そんななか出された、ケース縦横の黄金比は誰のアイデアなのか? アールデコのデザインを完成させたのは誰なのか? 角型ムーブメントの搭載を決めたのは誰なのか?
このあたりに関する記述が見つからない。ごく簡単なことなのにわからないのだ。
もうひとつ気になるのが、他社製の「レベルソ」である。
時計好きであればご存じだろうが、「レベルソ」にはジャガー・ルクルト以外のブランド製のものがある。有名なのがジュネーブのパテック フィリップ・ミュージアムに展示されているパテック フィリップのモデルで、筆者もその実機を見ている。カルティエのモデルもよく知られており、1970年代頃にはケース左右をカーブさせた「タンク アロンディ」に似たモデルも作られている。さらに、ほかにも数ブランドあることがわかっており、そこで今回、改めてジャガー・ルクルトの本社に問い合わせてもらった。以下は、その回答である。
1931年12月から1932年の4月までの間に、8つの「レベルソ」のケースがパテック フィリップに販売されました。これは当時、パテック フィリップの取締役のひとりであったセザール・ド・トレーとルクルト社のジャック・ダヴィド・ルクルトの合意により実現したことです。それにより、パテック フィリップはモデル番号「106」の「8 レベルソズ」と名付けた時計を販売。その中にはレディスモデルも含まれていました。搭載ムーブメントはルクルト社の丸型ムーブメントです。またこの期間中、カルティエ、ハミルトン、ファーブル・ルーバ、ヴァシュロン・コンスタンタンもいくつかの「レベルソ」を販売しています。
パテック フィリップ・ミュージアムに展示されているモデルはカタログによると「Ref. 106 Reverso」、1932年製とあり、まさしくこのモデルのことだ。
セザール・ド・トレーがパテック フィリップの取締役だったというのは知らなかったが、この時期、パテック フィリップが自社の売却先を探しており、ムーブメントを供給していたルクルト社が買収を申し出ていたことと関係があるのかもしれない(結局、ダイアルを供給していたスターン兄弟社が1932年に買収した)。
ハミルトンは「レベルソ」と酷似した「オーティス」というモデルを1938年頃に発表。ジャガー・ルクルトに特許侵害で訴えられ、3年ほどで生産を打ち切ったという資料があるが、この回答は年代が異なるので、それとは別のモデルのようだ。
また、グリュエン、モバードも「レベルソ」を製作していたと聞いたことがあるが、回答にないため誤報なのだろう。モバードについてはセザール・ド・トレーが「エルメト」の輸出販売を手掛けていたので、それと間違えたのかもしれない(「エルメト」はケースが左右に開くトラベルクロックである)。
で、何が言いたいかというと、だ。セザール・ド・トレーは、なぜ「レベルソ」をさまざまなブランドに作らせたのか? それが昔からずっと気になっていた。もしや「レベルソ」の特許をパテック フィリップやカルティエ、ヴァシュロン・コンスタンタンに売却しようと画策していたのではないか? そんなことを考えてしまうのだ。
と、まぁ、「レベルソ」は調べれば調べるほど、わからないことや気になることが多い。しかしこの連載に登場する時計は、そんなモデルがほとんど。名作、傑作というのは、そういうものなのだろうか?
とまれ、前述した通り、1934年に新会社が「レベルソ」の特許を取得。1937年以降はジャガー・ルクルトのブランド名で作られるようになり、現在に至っている。
そして、その間のことは、よくご存じの通り。「レベルソ」はその革新的な機構と美しいデザインにより世界的に大ヒット。しかし角型ケースゆえの防水性と自動巻きの難しさから、1960年代から70年代にかけて人気が低迷。硬く、割れにくいサファイアクリスタル風防の登場により、もはやケースの反転が不要になったことも、人気低迷を決定づけた。
ところが1980年代の機械式時計の復権に伴い「レベルソ」も復活。その切り札となったのが、デュオダイアル=ダブルフェイス。不要になったケースの反転機構を利用し、ならば裏面にもダイアルを備えてしまおう、という複雑機構モデルである。
そして思うのは、そんな偉大な復活劇を実現したのは、ジャガー・ルクルトだったからこそではないか、ということ。以前、スイスの某時計ブランドで、こんな話を聞いたことがある。「お山の上の時計ブランドはジュネーブの街に移転しようとしない。だから垢抜けないのだけど、でも頑固で腕がいい」。
ジャガー・ルクルトは、まさにそんな頑固で腕がいいブランドだ。それでパテック フィリップやカルティエ、ヴァシュロン・コンスタンタンなど数多くのブランドに頼られ、優れたムーブメントを供給してきた。だからこそ、自身の作ってきた「レベルソ」に頑固にこだわり、優れた技術で見事に復活させた。そうなのではないか?
だから「レベルソ」は正真正銘ジャガー・ルクルトの作品なのだと思う。そして今年、誕生90周年。本当にめでたいことだ。
ところで、「レベルソ」とはラテン語で「回転する」という意味。その「レベルソ」という名前を付けたのは誰なのか? これも記述が見つからない。わからないことなのだ。
1931年に誕生したレベルソは、その初期に多くのラッカー仕上げのカラーダイアルを発表していた。その伝統を、昨今のトレンドであるグリーンで表現した2021年の新作。ポロ用ブーツの製造で知られるアルゼンチンのカーサ・ファリアーノによるカーフレザーストラップを装備。手巻き(Cal.822/2)。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約42時間。SSケース(縦45.6×横27.4mm、厚さ8.5mm)。30m防水。99万4400円(税込み)。
Contact info: ジャガー・ルクルト Tel.0120-79-1833
ライター、編集者。『LEON』『MADURO』などで男のライフスタイル全般について執筆。webマガジン『FORZA STYLE』にて時計連載や動画出演など多数。
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