新型コロナウイルスの感染症拡大に伴う緊急事態宣言が明けた2021年10月28日、ブレゲはトゥールビヨン220周年を祝う一大イベントを、京都の清水寺で開催した。時代と国籍を超えたこのイベントでお披露目されたのは、220年の歴史を感じさせる、重厚なトゥールビヨンであった。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2022年1月号掲載記事]
Breguet Tourbillon 220th Anniversary in Kyoto
(右下)深い面取りが示す通り、ムーブメントの仕上げは極上だ。加えてこの限定版の受けには、アブラアン-ルイ・ブレゲがトゥールビヨンの特許登録時に用いた機構図が彫金で再現された。香箱上には記念すべき「Anniversaire18 01-2021」の文字が、トゥールビヨンのブリッジには特許番号と日付である「REVET No157 DU 7 ESSIDOR AN 9」の文字が刻まれている。
アブラアン-ルイ・ブレゲがトゥールビヨンの特許を取得したのが1801年のこと。2021年はその年から220年の節目に当たる。それを記念して、ブレゲは新作トゥールビヨンをお披露目した。場所は京都の音羽山 清水寺。
1200年以上の歴史を誇る清水寺は、言わずと知れた日本を代表する名刹である。音羽山の中腹、13万㎡に広がる境内には本堂や三重塔といった、国宝や重要文化財が建ち並ぶ。今回のイベントにあたって、清水寺は通常非公開の場所を開放した。しかも案内してくれたのは、執事補の大西英玄氏である。まさか清水寺を代表する人物が、境内を紹介してくれるとは予想外だった。大西氏は、清水寺を説明する合間に〝時〞とは何かといった説話を巧みに混ぜる。
まず訪れたのは、勅使を迎えるための西門である。ここも普段は非公開だが、今回はブレゲのために開放された。最初に清水寺を象徴する「聖地」を持ってきたのは、実に心憎い配慮だ。仏教修行のひとつである「日想観」とは、西の空に沈む夕暮れの太陽を眺め、朱く染まった空に極楽浄土を想像することで、観音を体感できるというもの。あえてイベントの開催時間を夕方にしたのは、ハイライトとして、西門からの夕日を見せたかったためだろう。
夕日を眺めた参加者たちは、続いて重要文化財の経堂に移動した。徳川家光の寄進で再建されたこの建物は、中央に釈迦如来像、左右に文殊菩薩と普賢菩薩を安置する。この釈迦三尊像の左右には、布を被せられたボックスがあり、恭しく布を外されるとふたつのトゥールビヨンが姿を現した。右は、1812年に販売された「ギャルド・タン」、左は新作の「クラシック トゥールビヨン エクストラフラット アニバーサリー 5365」である。天井には岡村信基が描いた円龍が、時計の間には釈迦三尊像が鎮座するという環境にあって、このふたつの時計は、まったく見劣りしていない。ブレゲがあえて、経堂を発表の場に選んだのも納得だ。
本作は「クラシック トゥールビヨン エクストラフラット」をよりクラシカルに仕立て直したもの。文字盤に施されたギヨシェ装飾の一部が、19世紀の懐中時計に見られる、より細かなパターンに改められている。0.25mmという非常に細かなギヨシェは、このトゥールビヨンを古典的に際立たせて見せる要素だ。聞けば、通常のバイトではなく、マイクロギヨシェで使われたダイヤモンドチップを使っているとのこと。技術の革新が、かつてのディテールを今に蘇らせたのだ。ムーブメントの裏側には、ブレゲ本人によるトゥールビヨン機構図の原画が手彫りで施された。1801年の特許図面を忠実に再現したエングレービングは、時計好きならばニヤリとするディテールだろう。
長い歴史を持つ老舗として、近年のブレゲは伝統よりも、むしろ革新性を打ち出していた印象がある。しかし今回は一転して、あえて伝統を強調してみせた。古典に振り切った新作を、1200年の歴史を持つ古刹で発表した所以である。
もっとも、今回のイベントの趣向はそこに留まらない。新作のお披露目後、参加者たちは清水寺の奥にある成就院に移動した。東福門院和子の寄進によって再建された成就院には小堀遠州もしくは松永貞徳が作庭したとされる京都屈指の名庭がある。芸妓・舞妓のふたりの迎えを受けて玄関をくぐると、変わった扇子が並べられている。制作したのは、フランス人間国宝(メートル・ダール)に認定されたシルヴァン・ル・グエン氏。日本の折り紙に着想を得た彼の作品は、西洋の扇ならではの華やかさと日本の扇子に見られる精密さを併せ持つ。映画「マリー・アントワネット」で、マリー・アントワネットが使っていた扇を手掛けた人、と言えば、分かりやすいかもしれない。
8歳で扇子に魅せられたグエン氏は、2003年から扇子を作るようになった。そんな彼を駆り立てているのは、日本の文化だった。着物に合う扇子が欲しいと考えた彼は20年に来日し、そのまま京都に住むようになった。フランスの人間国宝が日本にいるというのは面白いが、「日本で扇子を作りたい」彼にとって、京都は最良の場所であるらしい。
そのグエン氏が、今回のために制作した扇子は、まさに本イベントを象徴するものだった。扇子の骨に選ばれたのは、1875年ごろに制作されたフランス製のアンティーク。素材は木でも骨でもなく、マザー・オブ・パール製である。彼はそこに和紙とシルクを張り込み、上から金でトゥールビヨンを描いてみせた。日本的でありながらも、西洋扇子の佇まいを持つこの作品は、釈迦三尊像の側に並べられた、ブレゲのトゥールビヨンにシンクロする。
ただ豪奢というだけではなく、さまざまなテーマをタペストリーのように織り込んだブレゲの新作発表会。伝統も革新も、そして和も洋も超えたこのイベントの中心に据えられたのは「クラシック トゥールビヨン エクストラフラット アニバーサリー 5365」である。時代も国も超えたその揺るぎない佇まいは、なるほど、ブレゲの積み重ねてきた220年の歴史を言わずと体現している。
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