独立時計師・浅岡肇率いる東京時計精密のサブブランドが「クロノトウキョウ」だ。浅岡自身が日常で着用できる時計をコンセプトに生まれたクロノトウキョウは、浅岡デザインの時計を普及価格帯で楽しめることから、時計愛好家から絶大な支持を得ている。なぜクロノトウキョウは国内外から評価を得られているのか、その理由を掘り下げていく。
Text and Photographs by Tsubasa Nojima
2018年に発売されたクロノトウキョウの記念すべきファーストモデル。独立時計師の作品が手頃な価格で手に入るとして好評を博した。テレビドラマのキーアイテムとして採用されたことでも話題になった。カーフレザーのストラップが装着されている。自動巻き(Cal.90S5)。24石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。SS(直径37mm)。3気圧防水。完売。
今回は東京時計精密が送るデイリーウォッチの傑作「クロノトウキョウ」について、その魅力を紹介する。正確には、「クロノトウキョウ」は、時計専門店「TiCTAC」が販売する国内向けのブランド名であり、それとは別に海外向けの「クロノブンキョウトウキョウ」が存在する。基本的なスペックはどちらも同じだが、前者は12時位置のロゴが“CHRONO”であるのに対し、後者はカタカナの”クロノ”となっているため、両者を見分けるのは簡単だ。冗長になることを防ぐため、本稿の「クロノトウキョウ」には「クロノブンキョウトウキョウ」を含んだ表現の箇所もあることを予め承知いただきたい。
単体でも語るべきところの多いコレクションではあるが、その根底に流れる哲学を理解すべく、まずは「クロノトウキョウ」を生み出した、独立時計師・浅岡肇の来歴から辿っていきたい。
独立時計師・浅岡肇
腕時計に精通されている方であれば、「浅岡肇」の名を聞いたことのない者はいないだろう。浅岡は世界的に認められた独立時計師であり、2015年にAHCI(アカデミー独立時計師協会)の会員になっている。AHCIは伝統的な時計技術の継承を目的として1985年に設立された国際的な組織であり、現在の正会員数が30数名と小規模なことからも推察されるように、その一員として認められるためには、時計製造に関する卓越した技術を持ち、実績を出していなければならない。
では、この狭き門を潜り抜けた浅岡の半生は、時計一色であったのか。驚くべきことに、65年生まれの浅岡が時計制作に着手したのは2005年。制作に必要なノウハウは独学で習得しており、専門学校に通っていたわけでもない。独立時計師としては異色の経歴と言えよう。
神奈川県茅ヶ崎市で生まれた浅岡は、東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、浅岡肇デザイン事務所を設立。プロダクトデザイナーとしての活動を開始した。時代に先駆けて3DCG等のコンピューターグラフィックスの技術を身につけた浅岡は、プロダクトデザイナーの傍らで、その表現手法をグラフィックデザインにも展開。ダンヒルを始めとする有名ブランドの広告や雑誌のデザインを経て、業界にその名を轟かせていく。
全国に展開する時計専門店「TiCTAC」より、時計デザインの依頼が舞い込んできたのだ。ブランドは、ミッドセンチュリーの物づくり精神を受け継ぐ家具メーカー「MODERNICA(モダニカ)」。初のウォッチデザインを手掛けた浅岡は、ミッドセンチュリーの色使いを多用し、好みや気分によってカラーリングやデザインを変えることができる時計を生み出した。モダンなデザインで好評を博したこれらの時計が浅岡の心に火を着けたのだろう。その後から、浅岡は独学で時計制作を開始することとなる。
デザイナーとしての活動は順風満帆そのものであったが、08年に発生したリーマンショックは広告業界にも影響を及ぼした。依頼の減少によって空いた時間をどう活用するか。なんと浅岡は、複雑機構の代名詞とも言われるトゥールビヨンの制作に着手したのである。今でこそ、CNC旋盤を始めとするコンピューター制御による製造技術が確立し、トゥールビヨンを量産することは不可能ではなくなった。だが、当時のトゥールビヨンはまさに高嶺の花。日本国内に至っては、どのブランドも開発に成功していなかった。そして浅岡は、制作着手からわずか半年あまりで国産初のトゥールビヨンウォッチ「トゥールビヨン プロトタイプ」を完成させてしまった。このモデルはあくまでも非売品であったものの、その偉業は雑誌「BRUTUS」に取り上げられ、大きな注目を集めることとなった。
時計業界への参入、「ハジメ アサオカ」ブランドの誕生
トゥールビヨン プロトタイプの開発後、浅岡は「ハジメ アサオカ」ブランドとして、販売用の時計を制作するようになる。こうして浅岡は本格的に時計業界へ参入し、日本初の独立時計師として人生をスタートさせた。11年、同ブランドの処女作として送り出したのは、「トゥールビヨン プロトタイプ」を改良した「トゥールビヨン #1」。ステンレススティール製、42mm径のケースには手巻き式トゥールビヨンムーブメントが収められており、ダイアル9時位置の開口部からその動きを鑑賞することができる。
ダイアルに入れられた縦方向のストライプがトゥールビヨン プロトタイプの面影を感じる。ムーブメントだけではなく、ケースやダイアル、針、リュウズに至るまでを自作する独立時計師としての作品らしく、各部の意匠はオリジナリティにあふれるものだ。つるんとしたケース、注射器のような形状の針は現行の作品にも共通しており、当時から完成度の高いデザインであったことが分かる。銀座和光で販売された「トゥールビヨン #1」は、手作りゆえ年産僅か10本程度であったが、好評を博し現在では完売となっている。ちなみにセイコーは16年に同社初のトゥールビヨンウォッチ「FUGAKU」を、シチズンは17年に同社初のトゥールビヨンウォッチ「Y01」を発表しており、浅岡の挑戦が両社に少なからず影響を与えていたとしてもおかしくはないだろう。
2作目に発表されたのは、前作のトゥールビヨンとは打って変わってシンプルなスモールセコンド式3針時計、「TSUNAMI」である。独自に調合されたインクを用いたツートンダイアル、何度もインクを塗り重ねることで厚みを持たせたアラビア数字インデックス、外周に向けて大きく湾曲した針等、デザインの秀逸さもさることながら、このモデルの魅力はそのムーブメントにもある。シースルーバックからムーブメントをのぞいた際にまず飛び込んでくるのは、直径15mmの巨大なテンワである。TSUNAMIには、ムーブメントのデッドスペースを活用すべく、ブリッジよりも一段高くテンプを配した“出テンプ”という手法が取られている。
一見してシンプルなスモールセコンド式3針モデルであるが、そのムーブメントには懐中時計に見られる“出テンプ”を採用することによる大型のテンワが装備されている。37mm径のケースは、時計としての取り回しやすさを突き詰めた結果である。手巻き。17石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約40時間。SS(直径37mm)。価格要問い合わせ。
一般的なムーブメントではブリッジの下にテンプが収められているが、アンティークの懐中時計では、しばしばこの出テンプを採用したムーブメントが見られる。歯車がほとんど見えず、平らなブリッジの上にテンプだけが載っているムーブメントを見たことのある方もいることだろう。この古典的な手法を用いることによって、腕時計にとってベストな37mm径のケースに、高精度を生み出す巨大なテンワを収めることを実現させたのである。このムーブメントは現行品としてはほとんど見られなくなった5振動であり、ゆったりとテンワが回転する様は、多くのコレクターの心を鷲掴みにした。
その後も同社は立て続けに新作をリリースする。14年に発表された、日本の技術力を結集させて制作した「プロジェクトT」。東京時計精密として株式会社化を果たした16年には、超々ジュラルミン(A7075)をキャリッジに採用した「トゥールビヨン ピュラ」。17年は、直径15mmのテンワを持つオープンダイアルの「クロノグラフ」を世に送り出している。設計・組立は浅岡、部品製作を由紀精密、そして工具開発をOSGが担当することで実現したプロジェクトTの全貌は、浅岡肇 編著、大坪正人・大沢二朗・広田雅将 共著『ジャパン・メイド・トゥールビヨン -超高級機械式腕時計に挑んだ日本のモノづくり-』(日刊工業新聞社、2015年)でも語られている。
浅岡、由紀精密、OSGからなるドリームチームによって制作された究極のトゥールビヨンウォッチ。メンテナンス性を高めるために、調速機側と動力側を分離できる特異な構造を持つ。手巻き。13石(+ボールベアリング13個)。1万8000振動/時。パワーリザーブ約40時間。SS(直径43mm)。価格要問い合わせ。
余談ではあるが、このプロジェクトに携わった由紀精密の加工技術の高さを手軽に味わう方法がある。それが同社の販売している「SEIMITSU COMA」である。小さなコマだが、回転させると一切のブレがなく、まるでその場で止まっているかのように見える。軸を中心に正確に削りださなければ、ここまでのものは実現できないだろう。SEIMITSU COMAは、同社のオンラインショップ等で購入することが可能だ。興味のある方は是非お試しいただきたい。
以上が簡単に紹介させていただいた、浅岡の作り出した時計たちである。明確なコンセプトと唯一無二の魅力を放つこれらには、ある共通点が存在する。それは、“浅岡が自身で作りたいと思った時計である”ということだ。一般的に量産品は、多くの人に買ってもらう必要がある。故にマーケティングを経て導き出された、大衆の求める仕様になることが多い。腕時計でもケースサイズやカラーリングにはトレンドが存在し、多くのブランドがそれに追随しているのは事実である。
しかし、浅岡はあくまでも作りたいと思ったものを作るという100%自分の意志に従った時計制作を行っている。これが各モデルの隅々にまで浸透した、浅岡の哲学の源である。こうして生み出された浅岡の時計を買い求める顧客は、王室や世界的な時計コレクター等の錚々たる顔ぶれだ。納品まではなんと5年待ちと言われている。浅岡がほぼ全ての工程をひとりで手掛けること。その中には各部品の完璧な磨き上げだけでなく、理想的な色を出すためのインク調合の試行錯誤、綿密な設計、CNC旋盤を最適に動かすため、加工パスを手入力することも含まれている。顧客は、そのことを理解しているからこそ、たとえ5年待ちだったとしても喜んでウェイティングリストに名を連ねるのである。
浅岡肇のプライベートウォッチとして誕生した「クロノトウキョウ」
いよいよ本題である「クロノトウキョウ」の話に移りたい。前述の通り、5年待ちの人気を誇る東京時計精密の時計。その制作を担う浅岡にはある悩みがあった。それは“自分用の時計が作れない”ということである。注文が殺到するあまり、自身の時計を制作する時間がないのであった。加えて、時計業界に身を置く浅岡は、昨今の機械式時計の価格高騰に危機感を覚えていた。そこで、機械式時計の入門機としてふさわしい価格かつ、浅岡が自身のプライベートウォッチとして使いたいと思えるデザイン・品質を備えたモデルを生み出そうとしたのである。これがクロノトウキョウの始まりである。
しかし、これは簡単なことではなかった。クロノトウキョウのデザインは浅岡の手によるものだが、製造は外注であり、ムーブメントも社外の汎用品を使用している。浅岡がそれまで制作していた時計は、どれも一点一点削り出しを行う少量生産の高額品であったが、クロノトウキョウは量産を前提に価格を抑えた製品である。ひとつひとつケースを削り出すわけにもいかず、従って生産に必要な金型を始めとする初期投資がかさむこととなる。この初期投資を回収し利益を出すためには、単価を上げるか販売数を増やさなければならない。価格と品質をバランスさせることを主眼に置いた同ブランドにとって、これは大きなハードルであったに違いない。
TSUNAMIのデザインコードをセンターセコンド用に再構築したモデル。TSUNAMI自体がもともと浅岡のプライベートウォッチとして設計されたものであることを考えると、このブルズアイこそがクロノトウキョウのコンセプトを色濃く表現したものだと言えるだろう。ゴートレザーのストラップが装着されている。自動巻き(Cal.90S5)。24石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。SS(直径37mm)。3気圧防水。完売。
クロノトウキョウは、ケースや針、リュウズといった主要な部品は各モデル共通とし、ダイアルバリエーションを増やすことでコレクションを拡充させていった。購買者に対し、選ぶ楽しさと集める楽しさを提供しつつ、量産品特有のネックを克服したのである。そんなクロノトウキョウには、大きく3針モデルとクロノグラフモデルの2種類が用意されている。