2021年に創業60周年を迎えたジン。元ドイツ軍のパイロットが起こしたささやかでニッチな時計メーカーは、今や年産1万7000本を超える一大メーカーに成長を遂げた。にもかかわらず、ジンの個性は何ひとつ変わっていない。ユニークさと成長を両立してきたジン。その豊かな歩みを振り返りたい。
1961年にコックピットクロックのNaBo(Navigations-Borduhren)を完成させたジン。当初はバルジューのCal.VJ5を搭載していたが、後に60分センター積算計を持つCal.VJ 558に改められた。これは、1970年代後半に、ドイツ空軍のトルネード計画のために設計したコックピットクロック「NaBo 17 ZM」。現在も採用されている傑作だ。フライバック付き。
717(右)
「NaBo 17 ZM」のデザインを、腕時計で再現したのが「717」である。搭載するのは、ジンの独自設計でセンター60分積算計が追加されたCal.SZ01。ケースの素材も、耐食性の高い904Lを採用する。自動 巻き(Cal.SZ01)。28石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約46時間。SS(直径45mm、厚さ15.3mm)。20気圧防水。88万円(税込み)。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2022年3月号掲載記事]
1961–94:元パイロットが起こした「プロフェッショナル」向けブランド
おそらくは1960年代後半にリリースされた、ジンによる最初期のパイロットクロノグラフ。同時代のパイロットクロノグラフに同じく、バルジューのCal.72を、ピケレ製の防水ケースに収めている。最初期の「103」は、60年代後半から74年まで製造されたとされる。手巻き(バルジュー72)。17石。1万8000振動/時。SS。参考商品。
ドイツ空軍でパイロットを務めたヘルムート・ジンは、ラリードライバーなどをしつつ、カッコウ時計などの販売を行っていた。その後も定職を見つけられなかった彼は、1961年に「ヘルムート・ジン特殊時計社」を起こした。最初に手掛けたのは、工業用タイマーとストップウォッチの販売。続いてジンは、コックピットクロックの「NaBo」(Navi-gations-Borduhren)を完成させた。
当時、ドイツの航空機が採用していたコックピットクロックは、主に第2次世界大戦中に設計されたもので、明らかに時代遅れだった。対してジンは、バルジューのキャリバーVJ5をベースにした、新しいクロックを完成させた。後に同社は、さらに改良を加えたキャリバー558を採用。60分センター積算計を持つ、新しいNaBoは大ヒット作となり、600個がルフトハンザドイツ航空に納入されたほか、ドイツ空軍の航空機にも制式採用されたのである。
この成功を受けて、ジンは腕時計パイロットクロノグラフの「103」を完成させた。基本的な構成は、フランス空軍のタイプ規格に準じていたが、ヘルムート・ジン自身による入念な品質管理は、103に高い名声をもたらした。
ヘルムート・ジンがおそらく最後に手掛けたのが、1993〜95年にかけて600本作られたと言われる限定モデル。手巻きと自動巻きが存在し、一部のモデルは、当時としては極めて珍しいサファイアクリスタル製の風防とケースバックを備えていた。自動巻き(Cal.バルジュー7758)。25石。2万8800振動/時。SS。参考商品。
以降、ジンは、信頼性の高いエボーシュを使った、堅牢な腕時計を製造するようになる。そのひとつが、レマニア5100を搭載した「142」だ。85年には、ドイツ人宇宙飛行士のラインハルト・フラーがこのモデルを着けて宇宙に飛び、ジンに名声をもたらした。また、ETA7750を採用することで、傑作103も継続。ジンはコックピットクロックメーカーからの脱皮を果たしたのである。
1994-2021:工学博士が導いた「ハイテク」ブランドへの脱皮
ジンを飛躍させたのが、現社長のローター・シュミットだ。ボッシュなどを経て、IWCに入社。「オーシャン2000」などの開発に携わった後、1994年にヘルムート・ジンから経営権を取得した。以降、エンジニアと して、数多くの傑作やユニークな機構をリリースする。
腕時計クロノグラフの成功で成長を遂げたジン。しかし、1990年代に入ると、創業者のヘルムート・ジンは、引退と会社の譲渡を考えるようになった。彼は家族にビジネスを継承させたかったが、残念ながら、家族とは良い関係ではなかったようだ。人づてにヘルムート・ジンが引退すると聞いたIWC出身のエンジニア、ローター・シュミットは、彼に直接コンタクトを取り、やがて説得に成功した。
94年9月1日に経営を引き継いだローター・シュミットは、社名をヘルムート・ジン特殊時計社から「ジン特殊時計会社」に変更し、さらなる拡大を目指した。かつてIWCで「オーシャン 2000」や「インヂュニア50万A/m」といった高機能ウォッチの開発に携わったシュミットは、ジンをパイロットウォッチ専業メーカーに留まらないメーカーにしようと考えたのである。まず94年に発表されたのが、チタンケースと8万A/mの耐磁性能を持つクロノメーターの「244Ti」だった。続く95年には、ケース内の湿気を除去する「Arドライテクノロジー」を開発。97年には、初のミッションタイマーである税関特殊戦闘部隊向けモデル「EZM1」を発表した。
EZMとは、出撃用計測機器を意味する「Einsatz Zeit Messer」の頭文字を取ったもの。視認性に特化したデザインが与えられた。30気圧防水のチタンケースにArドライカプセルを加えたほか、ムーブメントには、60分同軸積算計を持つレマニア5100を採用する。自動巻き。17石。2万8800振動/時。直径40mm、厚さ16.5mm。参考商品。
ヘルムート・ジンの時代、ジンはサプライヤーの提供する部品を購入して時計を組み立てていた。事実、傑作の「103」といえども、基本的な部品は他社のパイロットウォッチに同じだった。対してシュミットは、ケースの内製化に取り組んだ。99年、同社はグラスヒュッテにあるケースメーカーのSUGに出資。2002年には株式の74%を取得し、完全な子会社とした。以降のジンは、ケースを中心にさらなる進化を遂げていく。
好例が、1999年に発表された「フランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチ」だろう。ポリッシュ仕上げのケースとブレスレットを持つ本作は、ジンとしては初となるラグジュアリーへの試みだった。また、耐食性に優れ、磁気を帯びにくい「Uボート・スチール」の一部モデルへの採用も、SUGの優れた加工技術を反映したものだった。そしてもうひとつ、大きな進化を挙げたい。長年ジンは、ケースの気密を保つOリングに、時計業界の標準であるニトリル製のパッキンを使用していた。しかし、シュミットはパッキンをフッ素カーボン系の素材であるバイトンに改めた。これはニトリルゴムに比べて高価だが、ムーブメントの油を劣化させるガスが出にくいほか、化学薬品や燃料などにさらされても劣化しにくいというもの。ジンがミッションタイマーのEZMを進化させ、後にパイロットウォッチの技術基準である「TESTAF」を実現できた一因には、この優れたパッキンがあった。
SUGを傘下に収めることで、シュミットのアイデアを具現化できるようになったジン。もっとも、上質さを盛り込んだフランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチが示す通り、シュミットは、時計の機能だけに関心があったわけではなかった。最近の好例が、外装すべてをダマスカス鋼で作り上げた「1800.DAMASZENER」である。文字盤を含めて一体成形という手法は、性能を上げるためではなく、見た目のユニークさを強調するもの。また、近年では、黒以外の、ポリッシュ仕上げの文字盤を採用するようになった。
そんなジンの集大成が、「NaBo」をモチーフにした「717」と、次世代のベーシックウォッチの「105」だ。長年自動巻きクロノグラフとして、ジンはレマニアの5100を採用してきた。その生産中止後、ジンはサプライヤーと協力して、ETA7750やコンセプトC99001をベースに、レマニア5100と同じ60分センター積算計を再現してみせた。
2020年に追加されたベーシックモデルが、3針の105。写真は、白文字盤にUTC針を備えたもの。マット仕上げの文字盤に、ジンとしては珍しく、楕円形のインデックスを採用する。ハードさを抑えた見た目は、普段使いにうってつけだ。自動巻き(Cal.SW330-1)。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。SS(直径41mm、厚さ11.9mm)。20気圧防水。31万9000円(税込み)。
このSZ01を用いて、NaBoのデザインを腕時計で再現したのが717である。ケース素材には、普通の316Lではなく硬くて耐食性に優れる904Lスティールを採用。その上から硬化処理のテギメントとPVD加工を施している。
105は、傑作103のケースデザインを踏襲した3針モデルだ。SUG製のケースは明らかに質感が良くなったほか、マット仕上げのピュアブラックの文字盤に、楕円形のインデックスはジンでは珍しい。いわゆる高級時計とは違うが、最近のジンらしい、丁寧に作り込まれた実用時計らしさが際立っている。
こちらはデイデイトを備えたモデル。左モデルに同じく、回転ベゼルには硬化処理のPVDとテギメント加工が施されている。11.9mmという袖口を邪魔しないケースの薄さも本作の魅力である。自動巻き(Cal.SW220-1)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約38時間。SS(直径41mm、厚さ11.9mm)。20気圧防水。27万5000円(税込み)。
この年で、さまざまなジャンルに進出し、時計の質も大きく高めたジン。しかし、驚くべきは、会社のスタンスがなにひとつ変わっていないことである。シュミットはこう語る「。ドイツ国内では一切宣伝をしていませんし、私たちの主な顧客は、あくまで時計が好きな方ですね。私たちが作るのは、実用時計が中心なのです」。
ジン創業60年 年表
1961 | ヘルムート・ジンがドイツ・フランクフルトにて創業 |
1960s | 1960年代後半に「103」シリーズが登場 |
1980 | コックピットクロックと腕時計の販売比率が4:1になる |
1985 | ドイツ人宇宙飛行士ラインハルト・フラーが142.Sを着用し、宇宙へ |
1992 | ふたりの宇宙飛行士によって、142.BSが宇宙へ飛び立つ |
1994 | ローター・シュミットがヘルムート・ジンより会社を引き継ぐ |
1995 | Arドライテクノロジーが開発される |
1997 | ジンにとって初のミッションタイマーであるEZM1が発表される |
1999 | フランクフルト・ファイナンシャル・ウォッチが発表される |
2002 | ケースメーカーSUGが発行する株式のうち74%を取得し、傘下とする |
2012 | パイロットウォッチの技術基準であるTESTAFをアーヘン応用科学大学と制定 |
2021 | 創業60周年を迎える |
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