今でこそあまり問題にならなくなったが、かつてスポーツウォッチに自動巻きを載せることは禁忌とされていた。重いローターはショックを与えると外れやすく、また激しい動きはしばしば主ゼンマイを巻きすぎたのである。では、どうすれば理想的な自動巻きをスポーツウォッチに載せられるのか?2004年以降、その課題に挑み続けたリシャール・ミルは、ついにその最適解を見いだした。それが最新のRM 35-03だ。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2022年3月号掲載記事]
回転錘をバタフライのように
均衡させることで見いだした解決策
創業わずか20年で、時計業界のトップメゾンとなったリシャール・ミル。その牽引役のひとつが、テニスプレイヤー、ラファエル・ナダル選手のモデルである。驚くほど軽く、ショックに強いこの腕時計は、リシャール・ミルの方向性を決定付けただけでなく、高級時計の在り方自体を激変させた。もっとも、変わり続けるリシャール・ミルにあって、プロダクトも同じではありえない。新しいナダルモデルは、軽量で頑強という特徴に加えて、さらなる広がりを持つようになった。それを象徴するのが、自動巻きのRM 35-03オートマティック ラファエル・ナダルである。
強いショックを前提とした、例えばスポーツウォッチに、自動巻きは向かないというのがかつての常識だった。重いローターは衝撃を受けると外れやすく、また激しい動きは主ゼンマイを巻きすぎたのである。設計が進化した現在、スポーツウォッチに自動巻きを載せても大きな問題はなくなったが、まだ改善の余地はある。そこに挑み続けたのが、リシャール・ミルだった。
2004年に発表されたRM 005は、ヴォーシェ製の自動巻きをベースに、画期的な可変慣性モーメントローターを加えたムーブメントを採用したモデルだった。これはローターのウェイトを調整することで、巻き上げ効率を自由に変えられるものだった。動きの激しいときはウェイトを自動巻きの軸に近づけ、あまり動かないときは外周に寄せる。さらにローターの軸を強化することで、この自動巻きは強いショックにも耐えられるようになった。認定を受けた時計師が裏蓋を外さないと慣性を調整できないという弱点はあったものの、少なくともこれは、スポーツシーンでの使用を真面目に考慮した、おそらくは初の自動巻き腕時計であった。
とはいえ、リシャール・ミルは、ナダルモデルに自動巻きを載せることには懐疑的だった。2011年に発表されたRM 035は手巻きであり、可変慣性モーメントローターを採用したのはRM 35-02からだった。ナダルモデルが自動巻きを採用できた理由は、可変慣性モーメントローターが信頼に足ることが分かっただけでなく、緩急装置がフリースプラングテンプに変わったためだった。強い衝撃を前提とするナダルモデルに採用するには、優れた設計と十分な実績が必要だったわけだ。
ショックに強く、巻き上げ過ぎない自動巻きをスポーツウォッチに載せる。その現時点における完成形が、新作のRM 35-03オートマティック ラファエル・ナダルである。RM 35-02との大きな違いは自動巻き機構だ。ウェイトの位置を調整するRM 35-02に対して、RM 35-03のバタフライローターは、ケースサイドのボタンを押すとローターがふたつに分かれるようになった。ふたつに分かれたローターは、なるほどバタフライを思わせる。この機構のメリットは大きくふたつ。ひとつは、ユーザーが巻き上げを操作できるようになったこと。もうひとつが、ほぼ巻き上げないモードを選択できることだ。
軽さと頑強さに加えて、バタフライローター付き自動巻き機構による高い汎用性を備えたモデル。言うまでもなく、内外装の質感は傑出している。ローターを変形させるプッシュボタンの感触も極めてスムーズだ。自動巻き(Cal.RMAL2)。38石。2万8800振動/時。ブルークオーツTPT®×ホワイトクオーツTPT®(縦49.95×横43.15mm、厚さ13.15mm)。50m防水。2750万円(税込み)。ほかにホワイトクオーツTPT®×カーボンTPT®モデルもある。
ローターのウェイトを対称に置くと、重さが均衡し、ローターは回転しにくくなる。そのため、ショックを受けても主ゼンマイは巻きにくくなり、ムーブメントへの負荷は減る。ちなみに、主ゼンマイを巻き上げすぎないため、ローター自体を固定するというアイデアも存在したが、ロックするとショックがそのままローターに伝わり、時計が壊れる原因となった。対してRM35-03は、ローターを固定するのではなく、ウェイトを無効にすることで巻き上げにくくした。これならばローターを支える軸への負荷を減らせるため、激しい動きにも耐えられる。この腕時計であれば、デスクワークだけでなく、テニスで使っても問題はないだろう。説明されればなるほどと思うが、リシャール・ミル以前に、こういった設計を採用した腕時計はなかったのである。
発想の転換で、スポーツウォッチに適した自動巻きを完成させたリシャール・ミル。では、その鍵を握るバタフライローターの詳細を、次で見ていきたい。
「バタフライローター」のサヴォアフェール
自動巻きローターをふたつに分割し、自動巻きを巻き上がりにくくするというバタフライローター。スポーツウォッチに載せる自動巻き機構として、これほど適したものはほかにないだろう。では、なぜリシャール・ミルは、かつてない分割式のローターを採用するに至ったのか?公開された特許資料を中心に、その機構の詳細を見ていくことにしたい。
リシャール・ミルの設計・製造部門であるゲナ・モントル・ヴァルジンは2021年9月8日に「時計機構のための形状を変えられる振動錘」でヨーロッパ特許を取得した(EP3874331A1)。冒頭には次のような説明がある。
「時計の使用者は回転錘、つまりローターの形状を直接変えることで、その重心位置を変化させ、自分のライフスタイル(スポーツモード、通常モードなど)に適合させることができる」(訳は筆者)。この機構こそが、RM35-03が採用したバタフライローターである。説明は次のように続く。「今の自動巻き機構は、活動的な人のために主ゼンマイの巻き上げ条件を提供する。その結果、ユーザーが非常に活動的な場合、主ゼンマイに大きなストレスがかかり、摩耗の危険性がある。一方、ユーザーがあまり活動的でない場合は、主ゼンマイが十分に巻き上がらない可能性がある」。
その解決策が、04年にリシャール・ミルが採用した「可変慣性モーメントローター」だった。とはいえ、「EP1445668(=可変慣性モーメントローター)に記載されている振動マスには、いくつかの欠点がある。実際に振動質量(ローターの錘)の重心を移動させるためには、訓練を受けた時計師に時計を持ち込む必要」があったからだ。これこそが、バタフライローターの開発理由であった。
「この解決策(=バタフライローター)はユーザーが直接、振動質量と重心位置を変化させることができるという、先行技術に対して特別な利点を持っている」のだ。
バタフライローターは簡潔だが、驚くほど巧妙だ。7時位置のボタンを押すと、レバーがバネで引っ張られているカムの噛み合いを外し、カムはバネの力で時計回りに回転する。カムには太陽歯車と遊星歯車で構成された差動歯車が噛み合っており、これが反時計回りに弧状に動く。上下一体の2枚の歯車で構成される遊星歯車は、太陽歯車によって上の歯車が回転させられながら、同時に下の歯車が太陽歯車の下の歯車を回転させ、この下の太陽歯車が差動した分、ローターの下に内蔵されたカナを回転させ、ローターをふたつに分割する。
RM 35-02を含む、ヴォーシェベースの自動巻きは、自動巻き機構が極端に小さく、ムーブメントに余白がある。そこにリシャール・ミルは、バタフライローターを動かす差動歯車をビルトインしたのである。優れた自社製自動巻きムーブメントを持つ同社が、あえてRM 35-02を改良したのは、長年使ってきた信頼性はもちろん、スペースがあったためだろう。差動歯車はセラミックスのボールベアリングで支えられており、それを回すカムは、指の力ではなく、あらかじめチャージされたバネの力で動く。指の力を直接機械に伝えないようにした理由は、おそらく機械の摩耗を嫌ったためと、確実な動作を求めたためだろう。
ローターを固定するのではなく、ウェイトを対称に分散して回りにくくするバタフライローターは、今のスポーツウォッチが搭載する自動巻き機構としては最良と言ってよい。2時位置のファンクションセレクターはストロークを長く取り、ボタンを押し切ったところで切り替える。押し込まないと切り替わらないのは、誤作動を起こさないためだ。一方、バタフライローターを操作するボタンを押すと、軽い機械音と共にローターは2分割される。ボタンのストロークを長く取らなかったのは、誤作動が起きても問題ない、との判断からだろう。
スポーツウォッチに自動巻きは向かない、という常識に挑み続けたリシャール・ミル。新しいRM 35-03は、間違いなくその完成形と言ってよい。
https://www.webchronos.net/features/51301/
https://www.webchronos.net/features/62351/
https://www.webchronos.net/features/59987/