パイロットウォッチというジャンルが想起させる一般的なイメージには、どこかに規格化された機能性の優劣がつきまとう。しかし、2015年に発表されたカラトラバ・パイロット・トラベルタイムには、そうした既成概念に縛られることのない自由さがある。パイロットウォッチらしい記号性と視認性を有用なトラベルウォッチに落とし込んだ非凡さは、パテック フィリップの新たなアイコンに相応しい。
2015年初出。トラベルタイムの機能性をパイロット調のデザインにまとめた快作。ストラップはヴィンテージ・ブラウンのカーフ製。自動巻き(Cal.324 SC FUS)。29石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KWG(直径42.0mm、厚さ10.78mm)。6気圧防水。618万2000円(税込み)。
(左)カラトラバ・パイロット・トラベルタイム Ref.7234
2020年に追加されたWGケースのミディアムサイズ。WGケースにはブルーダイアルが組み合わされるが、こちらはストラップも艶やかなブルーカラーに。自動巻き(Cal.324 S C FUS)。29石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KWG(直径37.5mm、厚さ10.78mm)。6気圧防水。557万7000円(税込み)。
鈴木裕之:文 Text by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2022年3月号掲載記事]
パテック フィリップ「カラトラバ・パイロット・トラベルタイム」
民間航空会社が大きく発展を遂げた1930年代は、パイロットウォッチが急速な進化を果たした時代でもあった。こうした30年代中頃の一時期にだけ製作された特殊時計が、天測のみに用途を限定したサイドロメーターだ。
時角時計、または星測器と訳されるこの装置は、恒星の位置を角度で表すことを目的とする。短針は24時間=360度で1周し、ひと目盛りは60度。長針は1周4時間=60度でひと目盛りが1度、秒針に相当する針は1周4分間で、ひと目盛りが1分(1度の60分の1に相当する角度)を表示する。運針のサイクルが通常の時計とは異なるため、時刻を表示することはできないが、デザイン的には同時代の航空用デッキウォッチとの共通点も多い。
パテック フィリップでは1936年に少数のサイドロメーターを製作しており、うち2本がジュネーブのミュージアムに収蔵されている。搭載される手巻きのムーブメントは19リーニュ。50mmを超えるケース径はパテック フィリップのアーカイブの中でも一際異彩を放つ。
同ミュージアムがこの2本を収蔵品に加えたのは、1991年と2009年のこと。それをインスピレーションの源として、2015年に登場した「カラトラバ・パイロット・トラベルタイム 5524」もまた、初出時は異色のパテック フィリップとして愛好家や関係者を大いに驚かせている。
1936年に製作された2本のサイドロメーター。右のPPM 844は、ムーブメントNo.170383/ケースNo.613 411、左のPPM 1655は、ムーブメントNo.170381/ケースNo.613 559で、後者は分単位の角度表示針(秒針に相当)がスプリット式となっている。なお角度の読み方は、右の例で308度0分となる。搭載ムーブメントはどちらも19リーニュ、21石のレバー脱進機仕様で、ジュネーブ・シールに準拠。スワンネック式の微調整装置を持った緩急針や、ウルフティースの歯形を持った角穴車などを備える。ダイアルは共にブラックエナメル。直径55mm(オークション出品時の資料では前者が56mm、後者が55.3mm)。現在はパテック フィリップ・ミュージアムに収蔵。
ケース径は、従来のカラトラバのイメージからすれば、かなり大ぶりな部類に入る42mm。機能性に溢れたダイアルデザインは典型的なパイロットウォッチ像をイメージさせるものの、なぜパテック フィリップがパイロットを手掛けるのか、その理由についてはほとんど知られていなかったのである。18年にケース径37.5mmの7234が追加されると、スタイリングの自由度が大きく増し、より幅広い層に受け入れられるアイコンのひとつに成長してゆく。
パテック フィリップが非凡だったのは、1930年代のサイドロメーターという歴史上のルーツを明示しておきながら、デザイン面では時計としての機能性を最優先に換骨奪胎させたこと。そして何より、トラベルタイムを搭載することで、実用的なコンプリケーションに仕立てたことであろう。デュアルタイマーの機能性を現代的なパイロットウォッチ像に還元させつつ、往年のサイドロメーターからDNAを抽出することで、ダイアルの判読性も極めて高いレベルに纏め上げている。
例えばセリフ体のアラビックインデックスは1930年代製パイロットの典型的なディテールのひとつだが、実用性一辺倒のペイントではなく、立体的なアプライドとすることで質感を高めたことも同社らしい。第2時間帯表示針(=スーパールミノバが施されたほうの短針)は8時と10時位置のプッシャー操作で早送り/逆戻しが可能で、6時位置のポインターデイト表示もこれに連動する。ホームタイムとローカルタイムの双方に独立表示させたデイ&ナイトも、実際に使ってみるとその利便性が際立つ。
航空管制の発達に伴い、サイドロメーターはその役割を終え、以降のパイロットウォッチは航法上の補助装置として規格化された進歩を遂げることになる。カラトラバ・パイロット・トラベルタイムが持つ自由度の高さは、こうした画一化以前にルーツを遡ることができるからだろう。現代的なトラベルツールとしての利便性とパイロット由来の視認性が一体となった、稀有なるタイムピースなのだ。
2018年発表のミディアムサイズ。クロス状のステッチが施されたストラップに、独特なフリップの付いたネジ留めピンバックルを組み合わせる。自動巻き(Cal.324S C FUS)。29石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KRG(直径37.5mm、厚さ10.78mm)。6気圧防水。557万7000円(税込み)。
(左)カラトラバ・パイロット・トラベルタイム Ref.5524
2018年に追加されたRGケース版。下地のソレイユを強調した艶やかなブラウンのダイアルは、外周にブラック・グラデーションを施す。自動巻き(Cal.324 SC FUS)。29石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KRG(直径42.0mm、厚さ10.78mm)。6気圧防水。618万2000円(税込み)。
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