高級時計ブランドが守り続ける文字盤装飾技術「ギヨシェ」とは

FEATUREWatchTime
2022.08.31

ギヨシェは、宮廷の技術であった彫金細工から派生したものである。18世紀、この繊細なパターンを時計の文字盤へ装飾として施したのはアブラアン-ルイ・ブレゲに他ならない。一時は消滅の危機にさらされたこの技術は現在、一部の高級時計ブランドにより大切に守り続けられている。

Originally published on WATCHTIME.NET
Text by Sabine Zwettler
(2022年8月31日掲載記事)


時代に翻弄された装飾技術

ブレゲ

スウォッチ グループが所蔵する、1831年製のブレゲのアンティーク懐中時計。異なるギヨシェ装飾により、カレンダー、均時差表示、ムーンフェイズ、パワーリザーブ表示が区別しやすくなっている。

 美しいエナメルのペインティング、巧みな象嵌細工、厳選されたエングレービング、繊細なギヨシェなど、古くより時計職人たちは時計の装飾や仕上げに最大限の注意を払ってきた。目に見えない部分にも丁寧に手を加え、カットや研磨、エングレービングを施してきたのだ。パテック フィリップやブレゲ、オーデマ ピゲやジャガー・ルクルトなどスイスの有名時計ブランドは、才能ある職人に懐中時計の装飾を依頼し、王侯貴族や世界各国の富裕層から求められる品質を実現していた。19世紀にはジュネーブが希少な工芸品の都として名声を博し、スイス南部はこれにより栄えていた。

マリーン 5517

ブレゲ「マリーン 5517」の文字盤に彫刻刀で描かれる波模様。

 20世紀に入ると、これらの貴重な技術への需要は急激に減少した。シンプルなデザインや効率重視の現代的な機械化により、この繊細な芸術的技法には終わりが告げられたのである。第2次世界大戦までは生産が続けられたものの、戦後数年で、エナメル職人、ギヨシェ職人、エングレーバーなどの専門技術は衰退の一途をたどっていた。

クラシック 9068

ブレゲ「クラシック 9068」のムーブメントのゴールド製ローターに施されるグレンドルジュモチーフ。


希少な技の復活

 しかしながら今日、伝統的な技術が復活し、守り続けられているのは、いくつかのスイスブランドに依るところが大きい。1980年代のいわゆるクォーツ危機を経たのち、機械式高級時計の需要は再び高まった。そして専門職の最高級の装飾技術に再び光が当たり、希少な職人技は新しい全盛期を迎えたのである。

 最もよく知られている装飾技術のひとつにギヨシェ装飾がある。文字盤をはじめムーブメントやケースに施されるものだ。1786年にアブラアン-ルイ・ブレゲが発明し、現在でもブランドの特徴として受け継がれてきたギヨシェの技術は、表面に小さな円または線状の模様を彫り込んでいくものである。職人技が光るこの伝統的な手法は200年以上経った現在でも変わらず、昔ながらの手動旋盤も使われている。

クラシック トゥールビヨン エクストラフラット スケルトン 5395

ブレゲ「クラシック トゥールビヨン エクストラフラット スケルトン 5395」のクル・ド・パリ・ギヨシェを施したオープンワーク仕様の地板。


熟練の技術と忍耐力を要するギヨシェ装飾

 確かな手つきと最大限の注意力で、ギヨシェ職人は金属の表面にエングレービングを少しずつ行い、模様を施していく。同時に回転するギヨシェ彫り機のふたつのクランクを手動で操り、わずかな圧力を加えつつ金属を10分の1mmの精度で削ることによって、モチーフを丁寧に彫り込んでいく。職人の技の精度と同じくらい印象的なのが模様の多様性で、そこに創造性の限界はない。最も代表的なのは鋲打ちのような模様のクル・ド・パリで、他にも石畳のようなパヴェ・ド・パリ、太陽光線のようなソレイユ、麦の穂のようなバーリーコーン(グレンドルジュ)、波模様のヴァーグ、籠のようなヴュー・パニエ、市松模様のダミエ、炎のようなフラメなどがある。

ギヨシェ彫り機

ジュネーブのブレゲ・ブティックにあるアンティークのギヨシェ彫り機は、工芸の歴史を生き生きと伝えている。

 クル・ド・パリのように任意の角度で交差する直線的な装飾には直線運動を、波のような装飾を施すには円を描くように堀り機で表面にノミを当てる。線に新しい形を与えたり、間隔を変えたり、交差する角度を変えたりすることで、職人は限りない可能性をデザインすることができる。これは多くのローラーやシャフトによって実現され、望むままの組み合わせが可能だ。それぞれの模様は、光の入射角によって多様な反射光を放つ。この要素には実用的な側面もある。その昔、電灯がまだ贅沢品だった時代には、カレンダーやクロノグラフなどの表示を、他と見分けやすくするための役割も担っていた。

スタッド

スタッドのETA/ヴァルジュー 7753搭載機。スターリングシルバー製文字盤にギヨシェ職人ヨッヘン・ベンツィンガー(Jochen Benzinger)による仕上げが施されている。

 常に照明が使用可能となった現代でも、職人技は何も変わらない。ギヨシェ職人ヨッヘン・ベンツィンガーは「文字盤など対象物を広い面積で均一に仕上げるには、確かな手つきと最大限の注意力、そして積み重ねられた経験が必要だ」と語る。彼は伝統的な手法を受け継ぎ、自身のレーベル「Benzinger Uhrenunikate」の名のもとにユニークな作品を制作している。また同時にドイツ・プフォルツハイムの工房で、さまざまに依頼されるブランドからの仕事にも対応している。

ヨッヘン・ベンツィンガー

ヨッヘン・ベンツィンガーは、現代において伝統的なギヨシェ技法を究めた数少ない職人のひとりである。彼の作品は業界でも高い評価を受けている。

 ヨッヘン・ベンツィンガーの説明によると、ギヨシェ彫り機にノミをセットするときは、彫りの深さが対象物に対し一定になるよう、強過ぎず弱過ぎず、ちょうどいい圧力をかける必要があるということだ。面からノミを付けたり放したりを繰り返すと彫り込みの深さに関わる。最初から最後まで一貫させることが望ましいかもしれないが、「手は機械ではない」とベンツィンガーは語る。「そこに見られるわずかな不均一さこそが手仕上げの文字盤の魅力なのだ。文字盤に生命の息吹と独自の輝きを与えてくれる」。

ベンツィンガー

ベンツィンガーが自身のレーベルで手掛けた、他に類を見ないギヨシェ装飾のシルバーブルーダイアルを備える、手巻きのETA/ユニタス 6498改良版の搭載モデル。

 クロノスイスの「オープンギア レ・セック キングフィッシャー」は、波打つようなギヨシェがカワセミの羽毛の煌めきを表現する、独特なレギュレーター文字盤を備えている。またクロノスイスは伝統的な職人技を保護することにも力を注いでおり、スイス・ルツェルンの本社では、ギヨシェ装飾、エナメルペインティング、オープンワーク加工のそれぞれに特化した工房を構えている。オープンギア レ・セック キングフィッシャーの強烈なブルーとオレンジの色調は、手仕上げのギヨシェにCVDコーティングを組み合わせることで生み出されている。漏斗型の時間表示、レトログラード式の秒目盛り、地板にも、全体を補完する色調のCVD加工が施されている。

 クロノスイスのデザイナー、マイク・パンツィエラは、「CVDコーティングにより、ガルバニック加工よりもよりメタリックな仕上がりとなり、色の選択肢も増えました」と説明する。現代的な外観とは裏腹に、長い波のようなアーチを描く装飾細工には、驚くべき職人技が隠されている。線と線のあいだの幅はわずか0.275mmしかない。

オープンギア レ・セック キングフィッシャー

伝統的なギヨシェ彫りと現代的なCVDコーティングが融合したクロノスイスの「オープンギア レ・セック キングフィッシャー」の文字盤は、カワセミの羽のような輝きを放つ。世界限定50本モデル。



【2022 新作】クロノスイスの美発色ダイヤル「オープンギア レ・セック ジャングル」と 「オープンギア レ・セック キングフィッシャー」

https://www.webchronos.net/news/77184/
オプ・アートのギョーシェ装飾が施された、ルイ・エラール「エクセレンス ギョーシェ 2」登場

https://www.webchronos.net/news/76588/
なぜ今、ブレゲ「マリーン」なのか?その実力の全貌を明かす(前編)

https://www.webchronos.net/features/70380/